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第四話 そして泡になる
【第四話 そして泡になる】
まあ、そんな寝惚けた世迷言は叶うはずもなく。俺は全治二週間の松葉杖生活を送っていた。幸いにも左足は軽い打撲だけで済んだのだが、右足は靭帯を傷めてしまったらしい。重度ではないのでしっかり固定して安静にしていれば一ヵ月程度で治る、というのは保健医の言。最近食欲が無くてあまり食べていなかったので、このままそれが続けば栄養が不足して治るのに時間が掛かるよ、という意味で「通常なら全治二週間。だけど君の場合一ヵ月程度」という不可思議な診断が下ったのだった。ちなみに足の怪我は麓の病院まで先生にきちんと付き添ってもらった上で診察を受けた結果だ。
あの書庫倉庫からそのまま搬送されたらしいのだけど、病院で目が覚めた時には何故か隣には洋輔がいた。だから、俺の怪我の詳細は洋輔も知っていることになる。ちなみに、顔と指先、腕のガラス片による怪我は眠っている間に洋輔が治していたらしくて、俺が目を覚ました時には勝手な治療をするなと保健医に怒られていた。そのお陰で目が覚めたら隣に洋輔がいた驚きなんて吹き飛んでしまったのだから、怪我の功名というか。いや、怪我は治されてるんだけど。
不機嫌そうな洋輔はその日中しきりに俺の頬や指先を撫でては治療漏れがないか、傷跡が残っていないかと確認していたのだけど、保健医にそういうイチャコラは部屋でやりな、と注意を受けてからは触らなくなってしまった。多分洋輔は自分の魔法に不備がないか確認していただけだろうから、不名誉な見られ方したら嫌だったんだろうな。
そんな風に病院での診察を終えて、学園に戻ったばかりの頃こそ移動にもたついては時折洋輔に手助けされることもあったけど、今は時間は掛かるもののもう手慣れたもので、一人であちこち歩き回れるようになっていた。寮はエレベーターが付いているし、俺の得意魔法の属性は水と風なので、最悪風魔法を使って浮いてしまえばいい。登下校も元から人が少ない時間に行っていたからそれを変えなければ特に困ることも無かった。
立ち上がりやすいように、と座面を少し高くした椅子に腰掛ける。生徒会室での仕事は相変わらず書類整理と簡単な事務作業。外部活動申請の書類の不備部分に付箋でチェックを付けて差し戻しの箱へ。問題のなさそうな合唱部と吹奏楽部の書類は会長行きの箱の中へ。合唱部か、とその名前を視線でなぞる。小学生の頃、洋輔の家に居候するようになるまでの間は地元の聖歌隊に所属していた。祖母が昔からゴスペルが好きだったのと、俺の引っ込み思案を心配して友達作りのためにと参加を勧めてくれたのだ。
中学校に上がったら合唱部に入るんだ、と洋輔にも話していたような気がする。洋輔も楽しみにしてると言ってくれていて、たしか、文化祭のステージは絶対見に行くからな、なんて、気の早いことを言っていた。好きだ、と言ってくれていたのだ。俺の声と、歌声を。結局、中学はこの学園ではなく祖母の入院している病院の近くの私立校を選んだし、放課後は祖母のお見舞いか実家の手伝いをするかの二択で部活をしている暇なんてなかったのだけど。
今でこそ回復傾向にあるけれど、あの時期の祖母は余命宣告すら受けていた状態だった。まだ幼かった俺には病名も原因も理解できなくて、だけど同じように理由もわからず回復をしたのだということだけを今の俺は理解している。普段はおおらかで大雑把で、何があっても何とかなるわよと笑っていた母が、何度も何度も泣き崩れていたのを見たのは、その時期が最初で最後だ。それがひどくショックで。そのくらい重たくて、大切なことで、だから俺も全力で受け止めなくてはいけないことなのだとずっと緊張していた覚えがある。
そんな俺に、学園に行きなさいと諭したのもまた祖母だった。あれは余命宣告が撤回されて、でもまだ入院が必要で、そんな時期だっただろうか。洋輔とちゃんと話しをしなさい。側に居てもらいなさい。側に居てあげなさい。そんな風なことを言われたのを覚えている。洋輔に会ったことさえなかった祖母の言うことなのに、ずしりと俺の中に突き刺さった。
当時は、実家のことでバタついていたのもあったし、何より……俺が、声変りをした頃で、洋輔との会話を避けがちになっていた頃だった。俺の声を褒めてくれていた洋輔に、この声を聞かれたくないと逃げていた。多分、そういうぎこちなさを祖母には見抜かれていたんだろうな。今でもそのぎこちなさは継続しているけど。
そういったごたごたを、俺は洋輔に伝えられていない。両親同士では連絡をしていたかもしれないが、俺たちはあまり会話をしていなかったし、今になって話そうにもその手段がない。……いや、その気になれば文章でもなんでも伝えることは出来るから、これは俺の逃げか。今更言い訳をするようで、どうにも言い出せないでいた。
さて、と仕切り直しをして意識を手元の書類へ戻す。サッカー部の日付と曜日の記載ミス、練習試合だから多分曜日は合っていて日付を間違えたんだろうけど、その部分に付箋を貼って差し戻し箱へ。時計を見上げればそろそろ食堂の意見箱と食堂のアンケートの回収をしに行かないと帰りが間に合わなくなる頃合いだ。松葉杖での移動に慣れたとはいえ、元から運動神経が良いという訳でもない俺が素早く動けるはずもない。
保健室での定期健診、それを兼ねたリハビリ交じりの散歩。それにそれらしい理由を付けるために用意されたのがこの仕事。もう治りかけだけど、最初の内は毎日保健室に顔を出せと言われたのを仕事で無視したのが会長と副会長の耳に届いたらしい。届いたというか、届かせたというか。保健医は誰にでも強気に行けるのがすごいよなぁと溜息を吐きながら、引き出しの中のホイッスルを首から下げる。
この前の騒動で、怪我をした後にすぐ神崎先輩が来てくれなかったらどうなっていたか。今より悪化していたことはまず間違いない。何より、今後似たような状況に、つまり、俺が一人でいる状況で暴行や強姦の目標にされた時、助けを求める手段がないのは如何なものか、という風紀委員、多分神崎先輩からの苦言もあって、一人で放課後や朝活動の時間帯に行動する時はホイッスルを携帯するように、これも会長と副会長連名で命じられた。
くるりと室内を見回して目の合った副会長補佐の先輩にホイッスルを見せながらぺこりと会釈をする。それで俺の意図は伝わったのか、行ってらっしゃい、と穏やかな笑みで手を振られた。顔を上げた会計の先輩もにこやかに見送りの言葉をくれる。他の面々も手を振ったり軽く声を掛けてくれる中、洋輔は少しの沈黙の後、気を付けろよだけ言って手元の書類に目線を戻してしまった。大丈夫。言葉をくれるだけ、気に掛けてもらえるだけで、嫌われていないとはわかるから。嫌いな人間に不要な声を掛けるほど洋輔は社交的な人間ではない。その辺りは大学に進んだ頃に治幸先輩がフォローしてくれるかな。洋輔はもう少し付き合いを良くした方が良いと思う。俺も人のことは言えないけど、洋輔には俺と違って立場があるから。
よっこらせ。音にならないからおじさんくさいとか気にせずに口にする。一瞬厳しい眼差しで洋輔が俺のこと見てた気がするけど気のせいだろう。机に立て掛けてあった松葉杖を使いながら立ち上がり、のそのそと部屋を後にした。
さて、保健室に寄るなら最初に一階に降りてしまうのが楽だろう。二階にも三階にも通常校舎への渡り廊下はあるけど、保健室も食堂も一階から向かうのがルート的に楽だ。生徒会室が三階にあるのだけがネックだよなぁと考えながら階段を降り始めた。非常時とか急ぎの時は魔法を使って移動することもあるけど、普段は運動も兼ねて杖を使いながら登り降りをするように保健医からのお達しを受けている。特別棟は人が少ないから、ゆっくり移動していても周りの迷惑にならなくて気兼ねしなくていいのが楽だ。たまに早足の風紀委員とすれ違うくらいで、一般生徒は許可がなければ入れないのが特別棟の日常だ。教師は自由に出入りが出来るけれど、うちの教師たちは講師棟の教科担当室か通常校舎の中にある準備室を自分の根城にしているからあまり顔を出さない。部活のことも生徒の自主性に任せて、といううちの校風に合わせて書類作業は生徒に任せていることが多いし。
こつ、きゅ、こつ、きゅ。松葉杖の先と、左足の室内履きがリノリウムの廊下と擦れる足音が響く。通常校舎も今日は人が少ないようだ。テストが近いからか、その先の大会や遠征を控えた部活が活動に精を出しているのか。グラウンドや教室に人の気配はするし、少なくはあるものの廊下で生徒とすれ違いもするが、人気の少ない通常校舎というのは少し新鮮だった。はて、何の話だったか。……ああ、そう、うちの校風の話だ。
俺の所属する生徒会の各役員に補佐が付いているのもその自主性の余波というか。生徒会が生徒主動だから他の部活動や委員会も生徒主動なのか、一般生徒たちが生徒主動で動くから生徒会も教師が不介入になったのか。卵が先か鶏が先かの問題だから、こればかりは今となっては学校史でも紐解くしかない。まあ、そんなことをしている暇があれば一枚でも多く書類を片付けた方が建設的なのだけど。
コンコン、と保健室の扉をノックする。真砂です、と意味のない声掛けをしながら扉を横にスライドしようとして、がちりと突っかかる感覚がした。鍵が掛かっている。俺がこの時間帯に訪れるのは知っているだろうに。急患でも出たのだろうか。首を傾げながら、それでも帰りにもう一度寄ればいいかと見切りをつける。施錠されているなら俺にはどうしようもないし。
こつ、きゅ、こつ、きゅ。また足音が響く。保健室から食堂に向かうには一度外廊下を経由しなくてはいけない。まあ、外廊下とは名ばかりの、外に続く小さな昇降口が脇にあるただの廊下だが。壁も屋根もあるから雨風は吹き込まないしけれど、滅多に使われない外との出入り口があること、一応校舎と校舎の間を繋いでいることあたりが所以で昔から外廊下と呼ばれている。その外廊下を窓越しに確認できる廊下に差し掛かった辺りで、珍しくその昇降口が開かれて、裏庭側から誰かが首だけ突き出してきょろきょろと周囲を見回していることに気が付いた。
少し距離があったものだから何かあったのかと声を掛けてやりたかったけれど、生憎それは叶わないので気持ち歩調を速める。片手間にスマホを取り出して、メモ帳に「なにかありましたか?」と打ち込んだ。利き手じゃない操作はぎこちなくてもどかしい。
こつ、と松葉杖の先が床にぶつかる音が聞こえたのだろう。何かを探すようにあちこちに視線を動かしていた生徒は安心したように張り詰めていたらしい息を大きく吐き出した。何か問題でも起きただろうか。生徒会か風紀委員に連絡を入れるべきか?無理な早歩きのせいで少しだけ痛む右の手のひらと脇のじんわりとした熱を無視しながら、スマホを生徒に見せる。
室内履きのカラーで学年が分からないかとちらりと足元を確認したが、生憎彼の足元はスニーカーで判断材料がなかった。小柄だから一年かとも思ったが、体格だけで判断するのは早計だろう。
彼は青褪めた、けれど安心したような表情を浮かべるとスマホを掲げたままの俺の手を両手で強く掴んだ。そのままぐいぐいと裏庭に続く出入り口の方へと俺を引っ張っていく。慌てて抵抗しようと腕を自分の側に引き寄せたようとしたところで、今度は鬼気迫る表情で彼は大声を出して捲し立て始めた。
「う、裏庭で暴動です!暴れてる、せ、生徒がいるんです!早く行かなきゃ!巻き込まれた一年生が、け、怪我をして、だから、早く!」
「……っ」
「生徒会なんでしょ!た、助けて、助けてくださいよぉ!は、早くしないとダメなんです!急いで!!早く!!早く!!」
その勢いに押されながらも、スマホを操作して応援を呼ぼうとする。何が起きているにしたって、俺一人では対応するのは不可能だからだ。けれど彼はそんな俺の手からスマホをパシリと力強く叩き落とした。あ、とか細い声が彼から漏れる。自分でも驚いたようにスマホと俺の顔を交互に見て、けれど気を取り直したように連絡は自分がしておくから、早く限べに行けと背中を押された。
どう考えたって可笑しいのは彼の態度の方だが、実際に何か揉め事が起きているのならそれを無視もしていられない。せめてもう一人誰か来てくれたら、あるいは一般生徒でもいいから通り掛かってくれたならと願ってもそう上手くは事は運ばない。自分の判断に自信が持てないまま、俺はスマホを拾い裏庭の奥の方を指差した。
裏庭のどのあたりだ、という意図を込めて首を傾げれば、少し戸惑ったような表情をして少し考えたあと、俺の考えを察したのか池の方です、と彼は答える。その後矢継ぎ早に俺が風紀委員呼んでくるので、と言って強く俺の背を押した。その勢いが強すぎて思わず右足で踏ん張ってしまい、まだ治りきっていない足首がじんじんと疼く。悲鳴は音にならないし、すぐ走り去ってしまった彼には俺の苦悶の表情は見えなかっただろう。恨めしいような、気付かれなくて安心するような。
相反する気持ちを清算するために、一度長く細く息を吐く。疼きが治まってきたのを見計らって、俺は裏庭側に足を踏み出した。本当は外履きに履き替えたかったのだけど、背中を押された勢いでもう外の土は踏んでしまっていたし今更だ。
今日は帰ったら魔法で靴底を洗う所からだな、なんて考えながら裏庭の池の方へ足を進めた。あまり丁寧に舗装されていない道は小さなものから程々の大きさのものまでそれなりの数の小石が転がっている。誤って松葉杖の先で踏まないように気を付けながら、こういう自然環境を残してあるのもうちの学園の特色だよな、と思う。池もそうだが、自然の生態系にルーツを持つ生徒は少なくないし、精霊や幻獣種の血を引く者の中には元の生態に近い環境に身を置くことを好む層も一定数いる。
分かりやすく言えば、水棲系のルーツを持つ生徒は水中や水辺を好むことがあって、その為に学園の複数個所にそれなりの規模の遊泳可能で衛生管理のされた水場が用意されている。他にも擬似的な森林や砂漠地帯、山岳地帯を模した地域や区画がある。本物のそれと比べると小規模だろうが、無いよりはマシだと好評らしい。俺は使ったことはないけど。まあ、魔力が強いと血の中に流れている亜人種の影響が表に出やすい場合もあるらしいので、これは本当にうちの学園の独自の文化だ。空間の維持とか調整は魔法でどうにかしているらしいが、どうなっているんだか理論はさっぱりだ。それで、その内の一つが俺が向かっている池。
喧嘩でもしているならそろそろ何か聞こえてきてもいいはずだが、と目を凝らして辺りの様子を見回しても、誰かが暴れたり魔法が使われた痕跡はない。嘘を吐かれた?でも理由が分からない。首を傾げながら、そのまま池に繋がっているすり鉢状の階段を何段か降りる。水の中に何かある様子もないようだが。
「うわ、ウケる~。一人で来たんだァ。もしかしてホントは頭弱かったりするの?」
いい加減聞き飽きた声だ。どこに隠れていたのか坂木は段差の一番上に立って俺を見下してくる。返事をするのも面倒だったししたくても出来ないしでだんまりな俺がつまらないのか、坂木は一つ舌打ちをすると口を開いた。
「お前が妙な怪我するからボクが怒られたんだけど。証拠もないのにさァ。それともお前が言ったの?自分より小柄で華奢な坂木君に情けなくもイジメられてますぅ~って」
小柄、の辺りで坂木は自分の身体をぎゅ、と抱きしめるように腕を回した。確かに身長もそこまで大きくないし細身の体系だと思う。ただ、そこにこの傷害事件の加害者被害者は関係ない、と言ったら火に油だろうか。ちなみに傷害事件と言い出したのは風紀委員の神崎先輩だ。
「そもそもあんな怪我して自分の鈍臭さ大声でアピールしてるようなもんなのに、よく生徒会辞めずに続けてられるよね?ボクとしては自分の無能さに気が付いて辞任してくれると思ってたのにさァ~?」
怪我をさせた張本人が良く言えるな。それを言うなら感情で人を傷付けるような人間がよく生徒会に入れると思ったな、だ。坂木が俺個人に行った行為や発言には正直そこまで怒りを感じてはいない。理由が分からないから……いや、洋輔に近付きたいのに俺が邪魔なのはわかるのだけど、それでもあんなに、装飾品を貰うほど可愛がられているのなら、もっと余裕を持てばいいのにと思う。俺が思うのも可笑しな話だが。だから、どうしてという疑問の方が強くてまだ怒りには達していない。
だけど、特別棟への無断侵入やそれに乗じた器物破損によって生徒会や風紀委員に迷惑をかけて、剰えそれで生徒会長の補佐になろうという精神には憤りを覚えざるを得ない。俺は洋輔からの指名で補佐になったけれど、補佐といえど仮にも生徒会と名の付く役職を持ったのだからと模範生足ろうとした。それは他の生徒も同じだろう。
風紀委員だってほとんどが志願した生徒によって構成されている。だから彼らは責任感が強いし、自分の仕事を熟すことに一生懸命だ。そんな生徒会役員だから、風紀委員だから、安心して仕事を任せて回していけるのだ。
ただ洋輔の側に居たいだけなら、番にさえなってしまえば制度を使えば同室にだってなれる。生徒会なんて入らずにただ部屋で洋輔の帰りを待っていればいいのに。どうして役職に拘るのか。そこに今の役職持ちの彼らと同じ責任感が見えないから、その点には苛立ちのようなものは覚えてはいる。
「これ見よがしに首に包帯なんか巻いちゃって。洋輔の首に紋様があるからって自分もアピール?あ、もしかして逆に番なのに同じ場所に紋様が無いの隠してるのかなァ?ボクはほら、こうやって首に紋様だってあるし、ペンダントも……あれ、もしかしてそのちゃちい笛がお前へのプレゼントだったりする?悪いこと聞いちゃったかなァ。ごめんねェ、まさかこんなに差があるとはさ、想像してなかったからさァ!アハハッ!」
不機嫌さとは一転、愉快そうに腹を抱えて坂木が笑い出す。今にも折れそうな膝が本気で笑い転げる寸前なのだと告げるようで不愉快だった。相手にするだけ無駄。俺に構う暇があるなら洋輔に番の交渉をしに行けばいいのに。無意味に絡まれていることに不快感を覚える。
その裏で、洋輔がこの学園に入った頃から贈り物という体で何かを送られたことがない事実に焦りと哀しみも込み上げる。事実だから言い返せない。事実だから苛立っている。黙り込むしかないのは勿論のこと、ジェスチャーでも視線でも大した反応を返さない俺を見て余計に悦に入ったように坂木は口の端をにんまりと釣り上げて俺の方へ段差を降りてきた。
「ね、見せてみてよ。その包帯の下」
ゆるりと俺に手を伸ばしながら坂木がカラカラと笑い出す。勝利を確信したような、勝利に酔いしれているかのような、どこか様子の可笑しい笑みに気圧されながら、一歩後ろに下がる。それでも坂木は足を止める様子が無かったので、もう一歩、今度は段差を一段降りて距離を取った。水際までは、あと二段。
庇うように自分の手で首元に触れた。あの日とはもう包帯も巻き方も違う。それでも、あの日、洋輔に触れられた熱と感触を思い出すようにざらついた表面を指先で撫でた。ほう、と熱い吐息が漏れる。洋輔以外に触れさせるな、と、他ならぬ彼自身に命じられた。魔力を込められた手のひらを思い出すだけで俺の身体の芯には震えが走るけれど、あの接触にどんな意図があったのかは今でもわからない。
でも、彼から渡された数少ない言葉のうちの一つが、その命なのだから。少なくともまだ俺を番として置いてくれる限りは、それを守るのが番としての俺の矜持だ。
坂木はそんな俺と洋輔のやり取りなんて知る由もないはずだが、急に抵抗する態度を取り始めた俺の様子を見て思う所があったのだろう。愉快そうに笑みを浮かべていた口の端はすっかり下向きに歪められ、気に食わないとばかりにまた一度大きな舌打ちをした。
「本当に洋輔との契約印かも怪しいよね!見せてみてよ!」
ずんずんと俺に歩み寄る坂木が俺の胸元を掴み上げる。身長は俺の方が上だけれど、段差を利用して上手く上から力を掛けているようだ。揉み合いになりそうになって、反射的に松葉杖から手を離して坂木の手に触れる。相当に強く握り込まれた手のひらを引きはがすことは困難でそのままがくがくと前後に頭を揺さぶられた。
「な、にが、人魚姫だよ!そうやってチヤホヤされて気持ちいい!?サカナの分際で、洋輔には僕の方が相応しいのに!だって僕の方がカワイイ!愛されるべきは僕の方なのに!お前には、お前なんか、そうだよ!この笛程度がお似合いなんだ!!」
包帯を解こうとしていた指先が留め具に掛かったのと同時、ぶちりと首元から音がする。解け掛けた包帯を手のひらで押さえながら、坂木の手が突然離されたことで、抵抗していた足元は踏鞴を踏んだ。坂木の手元にあるのは、笛だ。
ぶん、と腕を大きく振ると坂木はその笛を池の深いところへ向かって投擲した。ぽちゃり、と軽い音がして笛が沈んでいく。
「ほおら、拾ってきなよ!サカナは水の中がお似合いで、しょ!」
言葉と同時に、全身で体当たりをして坂木が俺を池の方へと押し出した。松葉杖もない。怪我をしている方の足を無意識に庇ったのだろうか。一段段差を降りた際にぐきりと無事だった方の足から嫌な音がした。悲鳴をあげる間もなく、ばしゃりと水の中に叩きつけられる。
この池は、畔から一気に水深が深くなる造りだ。それでも浮かぶことくらいは人間の形態の俺でも難しくはないはずなのに、何故か身体がぐいぐいと深みに、中央の方へと引っ張られていくように沈んでいく。綻んでいた包帯がゆらゆらと解け、俺の代わりとばかりに水面へと泳いでいった。
ごぽり。大き目の水泡がその包帯を追い掛けるように浮き上がっていく。まともな呼吸も出来ないまま水に突き落とされたから、大半の酸素は水面にぶつかった際の衝撃で吐き出してしまった。今のが辛うじて残っていた息の残り。俺のルーツが水棲生物にあると言っても限界がある。多少は真人間より長く水中で息を止められるが、基本的に人間形態の俺は鰓呼吸ではなく肺呼吸の生き物だ。精々が他人より少し息を止めるのが長い人止まり。
今更のように魔導具に触れる。この状況をどうにかできる魔法、なにかあっただろうか。呪縛印の為に人間形態から変化することも出来ない上に、有効な魔法すら思い付かない。ああ、これが、諦め時ってやつなのかも。
洋輔が選ぶなら仕方ないって、そう坂木の言い分を受け入れてきた。嫌だけど飲み込んできた。それでも、本音を言うのなら。
「(あいしてる、ずっと)」
身体は沈んでいく。視界が暗く、影に覆われるような中で。口パクで、そう言葉にする。
不思議だ。言葉が泡になって昇っていくから、まるで俺が本当に喋れているみたい。
形にできなかった愛の言葉が、最期に泡となって俺の代わりに天に昇っていくなんて。なんてロマンチックなんだろう。俺へのご褒美だと勝手に心が満たされる。きっと涙がボロボロに零れているのだろうけど、それは全て水に溶けて消えてしまうから。俺の愛を込めたあの気泡だけ、どうか洋輔に届きますようにと、いい加減に開けているのが辛い瞼を閉じた。
俺の後頭部を支える熱い何かの体温と、唇を覆うカサついた何かから注がれる、灼けるような熱が俺の喉を覆ったのと、俺の意識が底に沈んだのは、ほぼ同時だった。
◇ ◇ ◇
「人魚姫なんでしょ!サカナらしく僕も魅了してみれば助かるんじゃない!?」
水面の近くで座り込んでいたのは、たしか最近魔力暴走で色々と揉めていた一年だ。呼び寄せたブレザーを地面に放り捨てながらその横を一足飛びで通り抜けて勢いよく池の中に飛び込んだ。ばしゃり、と大きな水飛沫がその一年を襲っただろうが、関係ない。なにせこの一連の騒動の首謀者だ。今頃は治幸が取り押さえている頃だろうか。
水魔法を駆使して推進力を得、深く水底に引き摺り込まれていく涼の腕を取った。虚ろな瞳は今正に閉ざされようとしていて、考える間もなくその頭を抱え込むように唇を重ねる。どろり、と、涼にとってはマグマの様な俺の原液そのままの魔力が流し込まれたからか、びくり、と涼の身体が痙攣した。同時に契約印の上下に囲い込むように刻まれていた呪縛印がすう、とその姿を消していく。痙攣する力すら失せたのか、ぴく、と涼の指先だけが震えるのを感じた。見れば既にうっすら水かきが生え始めていて、足元は何かに耐えるように身じろいでいる。
すい、と指先を動かして、水棲形態へ変化しようとしている涼の身なりを整えてやる。具体的には水棲形態への変化を阻害しないように下半身一式の衣類を部屋に魔法で転送した。瞬く間に両足は一本に纏まり鱗が覆っていく。大きな尾びれがふるりと揺らいだのを見て、そろそろ自分も限界だなと今一度涼の身体を抱え直した。
未だに水底に引かれ続ける涼の全身に向けて魔法解除を施せば、ふわりとその身体が浮力に任せて浮かび上がろうとする。それを逃がさないようにしつつ、潜った時と同じように水魔法を使って勢いよく水面へと上昇する。涼が水棲生物で俺も水の魔力を待つからこそ出来る荒業だが、今この時ほど血筋に感謝したことはない。水中で詠唱なしで魔法が連続で使えたのもこの強力な血筋だからこそ為せる業だった。
ばしゃり。大きな波飛沫を上げながら水面へと顔を出す。涼も水上に上がった衝撃でか何度か大きく噎せては水を吐き出していた。その背を支えるように胸元辺りまでを水面に浸して、鰭呼吸と肺呼吸どちらも出来る様に調整しながら、自身も少しの間呼吸を整えるためにその場で立ち泳ぎを続けた。涼の意識はうっすらあるようだが瞼は今にも閉じそうだ。呼吸は少し浅いが特に異常はない。魔力で走査を巡らせても魔力の乱れ以外に特におかしな点はなかった。
呪縛印を解き契約印だけになった首元を撫でる。体内魔力の乱れは、呪縛印を消す際に無理矢理俺の魔力を流し込んだことと、呪縛印自体がなくなったことによって抑えられていた魔力が溢れ出していることに依るものだろう。どっちにしろ俺のせいだな、と苦笑を浮かべ、すぐにそれを掻き消して岸辺へと身を寄せた。
池の周りには生徒会役員やら風紀委員やらでいつの間にか少しの人だかりが出来上がっていた。半分水に浸かった状態の段差に腰掛けて、膝の上に涼を乗せてやる。無意識だろう、尾びれはゆらゆらと水中で遊んでいた。俺の胸元に頭を預けた涼の呼吸も魔力も少しずつ落ち着いてきている。さっさと部屋に移動して眠らせてやりたかったが、俺の身体も相応に消耗しているらしく、少しばかり休息が欲しかった。それを思い通りにさせてくれないのが、この一年生なのだが。
「なにそれ気持ち悪い、サカナでもないじゃん、人魚姫なんて囃し立てられて、全部ウソなんだ!混ざり物!気持ち悪い!!」
風紀委員に取り押さえられながら、一年……坂木だったか。そいつが涼の頭部、耳元へ指を差しながら気持ち悪い、気持ち悪い、と半狂乱になりながら暴れている。聞こえないように、元々意識も曖昧だろうが、少しでも記憶に残らないようにと涼の耳元を両の手で覆った。本来はふわりとした羽毛が手のひらに当たるそれは、水に濡れてぺしょりとした感触がする。今涼の耳は羽根に埋もれている。背に羽根こそ生えていないが、涼は鳥種の特徴の一つであるそれを耳元に顕現させていた。
「態々公表することでもない。涼に人魚の血が入ってるなんて俺たちは一言も言ってない」
「否定もしなかったくせに!偽物!嘘つき!」
「それを出来なくさせたのは俺の呪縛印だ。責めるなら俺を責めればいい。涼の主たる種族はセイレーン。祖先にハーピーの血も混ざっていて、だから弱るとその二種の血が顕現しやすく、魅了の力が強く出る。わざわざこれを出逢う人間全てにしなくちゃいけないと言うのなら非はこちらにあるだろうが。なあ、そんなルールこの学園に、国に存在するのか?じゃあお前のルーツもここで明かしてくれるか。明かせるのか、なあ」
「洋輔」
肩に手が触れる。睨み付ければ相手は治幸だった。拾ってきた俺のブレザーを涼の上半身に掛けると、俺にだけ聞こえるように耳元で囁いてくる。
「いい加減水辺から離れな。水の魔力持ちとは言っても我慢の限界はあるだろ」
返事を待つ間もなく洋輔は身を起こして、周囲に俺が今番を襲われて興奮状態にあり涼と共に療養、休養が必要な状態であることを宣言すると、自分は二人のサポートの回るからとこの場の指揮は風紀委員長に預けると同時に副会長に生徒会役員たちを通常業務に戻らせるように指示を出していた。ま、入学してすぐの生徒会選挙から去年までの二年間、補佐とはいえ生徒会役員を務めあげた男だ。この場は任せていいだろう。
ぐるぐると体内を巡る魔力に意識を向けて沸き立つような熱を鎮める。水場から離れれば少しばかりコントロールも容易になった。水の魔力を宿している。それは偽りではないが、俺のルーツは上位の火竜だ。水に触れていると力が抜けるし、逆に気張れば沸騰させかねない。
涼と俺では魔力の相性が良くないのではなんて、何度も言われてきた。実際属性だけ見れば正反対だからあながち間違いでもない。それでも、俺たちは番だし、相性という観点だけでいうのなら周りの下馬評は全くもって馬鹿らしいとしか言いようがない。
俺はリーダーシップを取るのが得意だ。その気質は魔力操作でも変わらない。魔力の方向性を決めて、道筋を通す。反面やり方が少し荒っぽい。涼は目が優れている。まだ色の乗せていない俺の魔力を見て、何がしたいのか、何処へ流したいのかを判断して過不足なく魔力を補填し、やすり、磨き、寄り添う。自由気ままに姿かたちを変えられる水と風の魔力だから出来る業だ。反面、自分一人では威力や指向性の計算に少し時間が掛かる。二人で魔法を使うのならお互いをカバーし合えるのだから何の問題もない。
それに、涼の目が見抜ける魔力の流れは番である俺の魔力だけだ。元々の魔力感知自体も優れているようだが。番同士でしか出来ないのなら番を解消する意味など一つもない。そもそも理由があっても解消なんてするつもりもない。
「悪い、後のことは任せていいか」
「……ああ。今週は急ぎの書類もないだろ」
「副会長もほどほどに。目の色変わってる」
口を挟んできたのは副会長補佐の棚田 だ。眼鏡のフレームで誤魔化されていたが、副会長の藤林 の瞳は真紅に染まっている。彼の元の瞳の色はアンバーだったはずだ。
冷静になれ、と己に言い聞かせ一つ深呼吸をしてから辺りを見回せば、何か行動を起こす者こそいないものの風紀委員の中にも殺気立っている生徒の姿がちらほら見られた。現在生きている人類というのは基本混血だ。その中で一番強く発現している種族の血を第一種族として申請し、公表する。それが俺はヒトで、涼はセイレーン。そこまではいい。その先の公表を強いたり暴いたりすることは基本的にはマナー違反とされているし、混血が基本である以上第一種族も第二種族もそれ以降も濃度がはっきりしない、本当の意味での混血も存在する。俺の様に属性の相反する属性を宿したが故に能力が暴走したり、皮膚や頭髪などの色彩が疎らになったりする事例もある。俺も水属性は先祖返りで発現したものなので両親は当初ひどく驚いていた。
そんな中でどれか一つの種族の特徴だけが表に出ている、あるいはヒトと一種類だけの混血を純種、純血などと呼ぶ新興宗教のような団体もいるらしい。宗教とまではいかないまでも、特別視する風潮も未だ一部の地域には残っている。
紋様持ちはその種族の特徴の発現の時期も早く、また強力であることが多い。いじめや迫害、揶揄、不当な評価。数えれば切りがない。能力があるから、異端だから、そんな理由によって理不尽な目に逢ったことがある者はこの学園にも少なくない。だから、血のことで涼を詰った坂木を許せないのだろう。だけど風紀委員はこの学園の秩序としての機関だから、手を出さずにただ歯を食いしばって耐えている。その毅然とした態度が誇らしいよ、と生徒会長として声を掛けてやれるほど己に余裕が無いことが口惜しかった。
無言で眼鏡を外して、何秒か片手で目元を覆っていた副会長がもう一度俺を見詰める。眼鏡は手に握られたままだった。なんだ、それ伊達だったのか。知らなかった。
「少しは落ち着いたつもりだ。棚田もフォローに付かせる。早く休ませてやれ」
そう言うと、藤林はかちゃり、と眼鏡を付け直して、騒動に驚いて動けないでいた一年の会計と書記に声を掛け始めた。棚田は一度風紀委員の方に視線を向けてからその後に続く。携帯を弄ってどこかへ連絡を取っている背中を見送って、俺は人気の少ないルートを弾き出しながら咥内で詠唱を唱えた。鱗部分を水分の膜で覆うための魔法だ。この際俺の腕は濡れてもいいかとやや乱暴に詠唱を短縮する。どうせ部屋に着くころには人間の姿に戻っているだろうから。
今は俺が無理矢理手順を踏まずに呪縛印を解除したから、肉体が勝手に緊急事態だと判断して全身が血の能力を発現させているだけだ。本来なら一見人魚に見えるように下半身だけ魚の状態に変身することもできるし、むしろそれの状態で泳ぐことが涼の能力の一つだ。
ああ、でも俺が呪縛印を付けたから、今年はプールの授業も受けさせてやれなかったな。顕わになった首筋にちゅ、と一つ口づけを落とす。忘れない。忘れることなどない。だけど今はただただ無性にお前の声で俺の名前を呼んでほしかった。
◇ ◇ ◇
歩き去っていく洋輔の背を見送りながら、俺は二人の代わりに風紀室で事情聴取を受けるかと緊張で凝り固まっていた首元を手のひらで解した。俺は慣れてるからまだいいけど、流石に高位の龍種がキレると威圧感が半端じゃない。番に手を出されたんだから仕方ないけど、巻き込まれた方は溜まったもんじゃないよねぇ。はあ、と溜息を一つ。
慌ただしい風紀委員たちの間を縫って池の畔にしゃがみ込んだ。手のひらをちゃぷりと水面に押し当てる。うーん、多分この辺りにあると思うんだけど。とぷんと俺の魔力を池の中に沈めてやれば、しばらくして池全体がふるりと震えた。それを確認して俺は腰を上げて近くを歩いていた風紀委員に声を掛ける。
「これ、坂木クンの魔力が残ってるから解析魔法使って」
差し出した手のひらに、池から飛び出してきたホイッスルがお行儀よく着地する。僅かに水に濡れているけれどそこはご愛嬌。多分このホイッスルが涼ちゃんを水底に引っ張っていた原因だろう。よろしくね、と風紀委員の手にそれを押し付けて、俺はいい加減風紀室へ向かうべく池に背を向けた。
洋輔が坂木クンに渡したというペンダント。あれはただの制御装置だ。魔力量が豊富らしい坂木クンに合わせて惜しみなく宝石を使った結果本人に良いように使われてしまったみたいだけど。まあ、造形に時間を掛けるくらいなら一秒でも早く渡して涼ちゃんが怪我しないようにしたかったんだろうな、洋輔は。
そんなことするくらいならさっさと涼ちゃんに全部話せってあれほど言ったのに。今頃はちゃんと話し合えてるといいんだけど。
さて、外側の出入り口から風紀室を覗き込む。顔馴染みの風紀委員にちょいちょいと手招きをされて、靴を脱いで風紀室の奥へと足を踏み入れた。生徒会と違って平の風紀委員に明確な代替わりはない。生徒会役員だった時に散々世話になったこいつも三年生で何なら同じクラスだ。
何を気負うこともなくソファに深く腰掛けて、また大きく溜息を一つ。
「魔力暴走の問題児、その割に随分器用に重力魔法使いこなしてるみたいだね?」
何かを言われる前に、天井を見上げて一方的に語りかける。真相解明とか、俺は本当はどうでもいいと思ってる。涼ちゃんが怪我したのは痛ましいと思うけど、それだって半分くらいは洋輔の責任だと思ってすらいるし。でも、それじゃ八重垣の家が黙ってない。自分の跡取りの番に手を出されたんだもの。
だから、この騒動を学園の中で終わらせたいのなら、きちんとした説明を、風紀委員の方から、洋輔によろしくね。
そこまで言えば多少なりの橋渡しを期待していたのだろう風紀委員たちは、諦めたように肩を落として了解、と苦々しい返事を返した。正直風紀委員だって貰い事故だとは思うけど、明らかに坂木クンにいいように使われてる生徒までいるみたいだし、ここで手を抜いてもらっちゃ困るんだよね。俺が風紀室に入る前からいたであろう、パーテーションの向こうですすり泣きをしている生徒も多分その一人だろうし。これでも一応元生徒役員だから、学園の治安が乱れるのは喜ばしくない。
ま、一番に望むのは。
「弟分たちが平穏に学園生活を送れたらそれでいいんだよ、俺は」
引き攣った笑みの風紀委員たちを横目に、俺は今日も不器用な弟分たちのことで頭がいっぱいなので。
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