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[バク] 2.叔母のスナックで
駅まで十五分かけて歩き、二駅電車に乗って、叔母の経営するスナックに辿り着く。
「洸ちゃん、あけましておめでとう。今年もよろしくね」
「おめでとう……ございます……」
僕の小さな声に覇気がなくても、和服姿の叔母は気にせず、僕の脱いだダッフルコートをハンガーに掛けてくれる。
叔母は母の姉だから、それなりにいい歳のはずだが、若い頃から変わらない華奢な色白美人だ。
カウンターの中には整髪料で髪を上げ、黒いベストに蝶ネクタイの兄がいた。
「洸、三番テーブル」
そう言って、グラスに入った烏龍茶とコースターを手渡された。
僕は黙って頷き、店の奥にあるテーブルに行き、リサさんの横にちょこんと座る。
リサさんは僕を見て、ニコリと微笑んだ。
「誰だ?」
客の中年男性が咎めるような声を出す。
当たり前の反応だ。
「この子、ママの甥っ子で洸くん。社会勉強の為に、時々こうしてお客さんのお話を一緒に聞かせてもらってるんですぅ」
客からしたらおかしな話だ。
けれどすぐに叔母がフォローにやってきて、生ハムがたっぷり入ったポテトサラダを客の前に置く。
「ごめんなさいね、山本さん。これ、サービス。召し上がって」
山本と呼ばれた客は、分かりやすくデレっとした顔になる。
リサさんが舌足らずな口調で、すかさず山本に話をふる。
「山本さんは、ママのこと大好きですものねぇ。リサもママみたいなイイ女になりたいんですよぉ。ママのどんなところが、お好きですかぁ?」
山本は得意気にママへの勘違いな愛を語り始める。
愛だの恋だの心底気持ち悪い。
そう思いながら、僕は黙ってフカフカのソファに身を沈め、その話を聞いている。
話が仕事のことなどに逸れそうになると、リサが上手に質問をはさみ、軌道修正した。
山本はママのことを「いい女だ。一目で惚れた」と盛んに褒める。
そして「ママも結構その気だ」「自分を頼ってくれたら、もっといい場所に店を持たせてやれる」と大きなことも口にする。
「もう場所の目星もつけている」なんて嘘くさいことも言う。
「それって愛してるってことですよね?」
リサさんが誘導する。
「もちろん、誰よりもママを愛してるさ。当たり前だろ」
なぜか大威張りの山本が、明日以降店に来ることはないだろう。
どうしてそうなるのかは分からないが、僕がテーブルにつくと、客が抱えている恋愛感情は消え失せるらしい。
たぶん僕が陰鬱な気を、発しているからだ。
だから叔母は、もう来てほしくない客のテーブルに僕を座らせる。
その客に僕の陰な空気を浴びせる為に……。
二年前。
叔母は兄の勧めで半信半疑、僕を店に呼んだ。
すると嫌な客を寄せ付けなくするのに、一定の成果があったらしい。
それ以来僕には、愛や恋を口にする男を心の中で軽蔑するという役割が、与えられた。
山本は上機嫌で帰っていった。
僕の陰鬱攻撃が効くのは、少し時間が経ってからだろう。
僕はただ座っていただけなのに、内臓の奥からずっしりと身体が重くなり、ソファから立ち上がるのも辛くなった。
この情けないひ弱さも、いつものことだ。
叔母は美しい所作で僕の目線にしゃがんで、ポチ袋を渡してくれた。
「洸ちゃん、ありがとうね。はい、バイト代。ご飯、毎日ちゃんと食べるのよ。いい?」
「うん」
兄が手を添えて僕を立ち上がらせ、ダッフルコートを着せてくれた。
タクシーを呼んで、多めの代金をポケットに入れてくれる。
店の外に出れば、既にタクシーが到着していた。
僕が身体を引き摺るように乗り込む間に、見送りの兄が自宅マンションの住所を運転手に告げる。
「気をつけて帰れよ」
「うん」
リサさんも寒いのにわざわざ店の外まで来て、手を振ってくれた。
バタンとドアが閉まる。
僕を乗せたタクシーは、兄と暮らす生まれ育った古びたマンションへ向かって、夜道を走り出した。
真っ暗な流れる景色を見ながら、僕は考える。
タクシーを途中で降りて、知らない場所に行ってみようか。
運転手に行き先変更を告げ、どこかの駅まで連れて行ってもらおうか。
いつもここではないどこかへ行くことばかり、考えてしまう。
具体的な計画があるわけでもないのに。
斜め掛け鞄の底には、過去に叔母からもらったバイト代の全てを忍ばせている。
このお金で一体どこまで行けるだろうか。
新しい環境では、愛や恋を唾棄する側から、愛や恋を語る側に回れるかもしれない。
今日見たあのイヤらしい初夢のように、僕にもどこかに居場所があるかもしれない。
結局、その一歩踏み出す余力はなく、マンションに帰ってくる。
照明もエアコンも付けたままのリビングは暖かいが、寂しい雰囲気だ。
そのままよろよろと子ども部屋のベッドまで移動し、コートだけを脱いで冷たい布団に潜り込んだ。
兄には迷惑をかけていると思う。
幼い頃は仲の良い兄弟だけだったけれど、今の僕は兄にとってただのお荷物だから。
申し訳ないけれど、どうしようもない。
そう思いながらギュッと眼を閉じた。
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