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[バク] 3.突然の来客
金曜夜、遅い時間。
また叔母のスナックに呼び出された。
正月から間を置かず、早くも三回目だ。
美しい叔母はとにかくモテる。
ゆえに店も繁盛しているが、その分トラブルも多いのだろう。
今夜は随分と酒の入った客同士が、どちらがママを好いているか、先に落とせるか、という話で大いに盛り上がっているようだ。
ママはこういう大きな声で喋る下品な客が大嫌いだと、気付きもせずに。
「あの声のボリュームなら、ここでいいだろ」
兄は小声でそう言って、カウンター席に烏龍茶のグラスを置いてくれた。
大声で男たちが語る、叔母への焦がれる想いをくだらないと唾棄しながら、僕は烏龍茶を飲む。
どうやら二人とも妻子がいるようだ。
家庭での満たされない思いを、叔母への愛にスライドさせ、補おうとしているのだろう。
「週に三回来ている俺の方が、ママを愛している」
「何言ってんだ。毎回高い酒を入れている俺の方が、愛しているに決まっている」
話を聞いていると、やはり具合が悪くなってくる。
河原に転がる重い石を、内臓にどんどんと詰め込まれていくような感覚だ。
二人分まとめて聞いているから、なお辛く感じる。
喋るだけ喋って満足した客がそれぞれ千鳥足で帰った後、控え室のソファで横にならせてもらった。
零時を回って、店の片付けが終わった兄に抱えられ、タクシーで一緒に帰宅する。
そしてそのまま一日半、トイレに行く以外はベッドの中で丸くなり眠り続けた。
—
日曜の昼前。
ようやくノソノソと起き上がる。
内臓に溜まった石ころは完全には無くなってはいないが、だいぶ小さくなったと感じられた。
トイレに行ったついでに、玄関に並んだ靴を確認する。
兄の黒い靴は置いてないから、留守なのだろう。
たぶん新しい彼女のところだ。
僕の前ではその存在すら口にしたことは、ないけれど……。
冷えきったリビングのテーブルにはメモが置かれ、三つの事柄が箇条書きになっていた。
・起きたらちゃんと飯を食えよ
・起きている時に宅配便が来たら受け取っておいて
・日曜も土曜も家に戻らず直接店に行くけど、月曜には必ず帰る
どうやら、昨日書かれたメモのようだ。
食欲はないが、冷凍庫から鍋焼きうどんを取り出し、コンロに掛けた。
暖かい食べ物が身体に入ると、少し気分が良くなったように感じられた。
ピンポーン。
突然、インターホンが鳴る。
宅配便だろうか。
通話ボタンを押し「はい」と応答する。
「お荷物です」
確かにそう言った。
聞き間違えてはいないはずだ。
だから僕は一階のオートロックを解除したのだ。
数十秒後にドアホンが鳴り、サインするためにボールペンを持って玄関のドアを開ける。
ドアの向こうにいたのは、どうみても宅配便の業者ではない、兄よりも背が高く、足の長い二人組の男だった。
彼らはすかさず、ドアの中に身体を滑り込ませてきた。
「うわー、君が洸くんだね!やっと会えた!」
オレンジ色のモフモフとしたダウンジャケットを羽織った細身の男が、ニッコリと微笑んできた。
アイドルのようなフワッとした赤茶色の髪で、耳にはピアスが光っていた。
「え、あ、あの。に、荷物?」
「うん。そうそう荷物。俺が持ってあげるから、ね、まとめないと」
一歩遅れて、どうして僕の名前を知っているのか、と疑問に思い、更に慌てる。
「え?いや、あの……」
「ダメですよ、洋介(ようすけ)。バクを困らせています。落ち着きなさい」
「ごめんごめん。俺ちょっと浮かれちゃってた。そうだね、説明しなきゃ。じゃ、ちょっとお邪魔しまっす」
男二人は躊躇うことなく靴を脱ぎ、リビングに上がってくる。
奪う物など、何一つ無い我が家に強盗だろうか?
「あっ、食事中だった?」
「いや。あ、あの、な、なんのご用ですか……」
情けない消え入るような声しか出てこない。
上品な千鳥格子のスーツを着て、長い髪を後ろで緩く結った眼鏡の男が、名刺を差し出してきた。
僕は咄嗟に受け取ることもできず、立ちすくんだままだ。
すると名刺はテーブルに置かれた。
『草上和樹(くさうえかずき)』
草上という名字には、なんとなくどこかで聞き覚えがある。
それよりも、ゴシック書体で名前が書かれた左上に「ヘラジカ」と小さく記載されているのが目に入った。
思わず「ヘラジカ?」と小さな声で問いかけた。
「そう!」
オレンジのダウン男が答え、彼もポケットから名刺を取り出し、テーブルに並べて置いた。
『及川(おいかわ)洋介』
彼にもヘンな肩書がついている。
「サーバル?」
「うん!洸くん知ってる?サーバルキャット。アフリカのサバンナにいる猫。ヘラジカは世界最大のシカだよ」
サーバルは名古屋の動物園にもいた。
ヘラジカは見たことがないが、図鑑でならよく知っている。
「それでね、これが洸くんの名刺」
『日浦(ひうら)洸』
確かに僕の名前だ。
肩書は「バク」だった。
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