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[バク] 9.四つ足の人形
客と接した回数が十回に近づく頃には、どうやらバクは人の役に立っている、と確信できるようになった。
客は自ら恋や愛の想いを消したい人ばかりで、その想いが消えることを喜んでくれたから。
一方的に婚約を破棄され傷心の男性。
旦那に浮気をされ離婚を決意した女性。
ロマンス詐欺にあった老齢の女性。
同級生への片思いを解消し仕事に打ち込みたい若い男性。
などなど、さまざまな人間模様だ。
帰る時に、四つ足人形に手を合わせ拝んだり、僕に対して深々と一礼してくれる人もいた。
茶封筒に入ったお給料も、サーバルからもらった。
「一月末までの分だよ」
そう言われたが、一万円札が何枚も入っていて、恐縮するほどだった。
昼間の体調はすこぶる良く、毎日の生活にも余裕が出てくる。
サーバルがしていた家事の中から、掃除と洗濯を教えてもらい、一部を担当することになった。
しかしまだ外出は許されてない。
スマートフォンも預けたままだ。
「防衛する術を学んでからね」
サーバルはそう言うが、東京の吉祥寺とはそんなに物騒な土地柄なのだろうか?
ディンゴは平日は毎朝、サーバルが作った朝食を食べてから、自転車で出勤する。
そして十八時の夕飯までに帰ってくる。
電車で一駅程の距離にある、タウン誌の制作会社で働いているらしい。
サーバルは基本的に家にいて、家事をする以外にリビングの片隅で頻繁に電話やメールのやり取りをしている。
電話には畏まった口調で出ているから、仕事のやり取りなのだろう。
「では、詳細を明記したメールに地図を添付して、お送りしておきます。時間厳守でいらしてください。はい、伺っております。では今一度、当日の手順のみ、口頭で伝えさせていただきますね」
次に来る客と話しているのだろうか。
パソコン画面を見ていたサーバルが顔をあげ、僕がいることに気が付いた。
けれど慌てる様子もないから、僕が聞いても差し支えない事なのだろう。
「相談者様には、一時間かけてご自分の忘れたい恋心や愛情について、話をしていただきます。私自身もその場に立ち合い、お話しを伺います。部屋には私以外にも数名の者が在席しますが、テーブルに置かれたバクの人形に聞かせるつもりでお話ください」
バクの人形?
あの四つ足人形はバクだったのか。バクというと白黒なマレーバクが思い浮かんでいたので、だいぶ印象が違った。
「ですから、これ以上のシステムについては、申し上げられません。はい、そうです。ご相談者様のお話をバクが聞き、それを一旦他の人間の身体に移します。はい。私ではなく、そういう役割の者が当日ご一緒いたします。はい」
僕も初めて聞く話だ。
そんな仕組みだったなんて……。
「納得いただけないようであれば、今からでもキャンセルは可能ですが、どうされますか?」
納得などできないだろう。
だって当事者の僕ですら、今の話では理解できない。
それでも客は、恋や愛を忘れたくてやってくる。
「はい。では、お話しを戻します。一時間お気持ちについてお話いただいた後は、効果が現れるまで、三時間ほどお待ちいただきます。娯楽となるDVDを再生しますのでそちらを見て、お過ごしください」
娯楽……タイタニックのことだ。
「その後、料金をお支払いいただきお帰りとなります。はい、後払いです。また、くれぐれもSNSなど不特定多数の方の目に触れる場で、このことを書かれたり、お話しになりませんようご注意ください」
淀みない説明は、サーバルが過去に幾度もこの過程をこなしてきたのだ、感じさせる。
「ええ。もちろん、こちらも情報の取り扱いには細心の注意を払っております。では当日、お待ちしております」
電話を切ったサーバルは、僕を見てニコリと笑ったけれど、それ以上のことは話してくれなかった。
リビングのテレビ台を見ると、四つ足の人形がぞんざいに置かれていた。
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