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[バク] 13.会いに来てくれたんだ

寒さが少しだけ和らいだ土曜。 書庫で本を読んでいると、昼過ぎに目を覚ましたディンゴが顔を出した。 「おはよう……」 髪がボサボサで少しヒゲの生えたディンゴは妙に色っぽく、僕は本棚へと目線を外す。 昨夜もあの指で吐精を促してもらったことは、今思い出すべきではないのに意識してしまう。 ダメだダメだと思えば思うほどハッキリと記憶が蘇ってしまい、頭を振る。 「お、おはようございます、了也さん。ぼ、僕たち、もう昼ご飯も食べちゃいましたよ」 「昼飯、なんだった?」 「洋介さん自慢のオムライスとツナサラダです」 ディンゴは窓に近づき前庭を見下ろす。 そこには車が停まっていた。 「和樹さん、来てるのか」 「はい、午前中から」 昼ご飯の時も一緒だったから、サーバルはいつもに増して機嫌がよく、デザートだといって苺もつけてくれた。 今は二人、リビングのテレビで映画を見ている。 もちろん「タイタニック」ではないはずだ。 今日は客の来ない偶数の日だ。 家の中はゆったりとした時間が流れていた。 「この前、選んでもらった本、全部読み終わりました。すごく面白かった!特にこれとこれが、あっこれもドキドキの展開だったな」 積んであった本を手に取りながら感想を述べる。 「そうか、よかった。次のも選んでやろうか」 「はい、是非お願いします」 ディンゴが「そうだなぁ」と言いながら、本棚を眺める姿をじっと見つめてしまった。 その時、インターホンが鳴る。 音につられ書庫の窓から外を覗くと、そこには驚くことに、兄がいた。 「孝ちゃんだ!」 「ん、誰だ?」 「兄です。兄の孝志が訪ねてきてくれたみたいです!」 声を弾ませて答えてしまう。 だって久しぶりに会えると思うと、うれしかったから。 こんなにも元気になった姿を見てほしかったから。 部屋から飛び出そうすると、ディンゴに腕を引っ張られた。 「待て、俺も一緒に行く」 ディンゴはゆっくりと慎重に階段を降りていくから、僕もそれに続く。 途中で兄の怒鳴る声が聞こえ、ディンゴが歩みを止めた。 僕もその場に留まる。 「は?どういうことだよ」 「だから、会わせられません。先日もそう伝えたでしょう。今まで自分がしてきた事の酷さを、貴方は本当に分かっているんですか」 ヘラジカは聞いたことの無い冷たい声を出していた。 どうやら、兄は歓迎されていないらしい。 サーバルの声もする。 「洸くんはここに来て、すっかり元気になったから。心配しなくていいから。連れ戻すとか無茶苦茶なこと言わないでくれる?」 「こんな得体の知れない組織なんかに、預けられるかよ。俺はな、和樹さん。オマエの父親のことも許していない。うちの母親が失踪したのはオマエの父親のせいだってことを、忘れるな」 「事情がある程度分かっている貴方が、それを言うのですか?」   バタンと乱暴に、玄関のドアが閉まる音がした。 玄関に駆け寄ろうとした僕をディンゴが制止したから、逆に二階へ駆け上がった。 僕の気配に気づいたサーバルが「洸くん!」と声を上げたのが聞こえたけれど、無視して書庫を目指す。 窓を開け、目の前の道路を歩き出した兄に大きな声で呼びかけた。 「孝ちゃん!」 兄が立ち止まり、窓を見上げてくれた。 「孝ちゃん、来てくれてありがとう。僕、僕、大丈夫だから。ここで、頑張ってみるから!」 兄は驚いた顔をしている。 僕がこんな大きな声を出したことすら、信じられないのかも知れない。 兄は口を開きかけ、何か言おうとしたけれど黙って右手を上げた。 この姿を見て、少し安心してくれたのかもしれない。 しばらく僕を見ていたけれど、上げた手をひらひらとさせ、駅に向かって歩き出した。 僕は兄の姿が見えなくなっても、しばらく窓の外を眺めていた。 気がつくとディンゴが側にいてくれて、僕の事なのか、兄の事なのか分からないが「可哀そうに」と小さく呟いた。 二人でキッチンへ行くと、ヘラジカがコーヒーを淹れていた。 サーバルはディンゴの為にオムライスを作っている。 「サラダは冷蔵庫な」 ディンゴは黙って冷蔵庫を開け、テーブルにツナサラダを置く。 「どうして……どうして、兄を追い返したの?」 小さな声でヘラジカの背中に問う。 「君の兄さんは対処法も分からないくせに、洸をバクとして使っていたんです。それは組織として許せないことなんですよ」 叔母のスナックでのことだろう。 あれは組織なんて全く関係のない内輪の話なのに。 「ヘラジカのお父さんの話は何?」 「それは……、おいおい話します」 色々と納得がいかなかった。それでも、闇深そうな話を聞いてしまうのが怖くて「分かった」とだけ答えた。 ジロリとディンゴがヘラジカを睨んだのが見えたけれど、その場の雰囲気をこれ以上悪くしたくない。 僕はコーヒーを受け取り自室へと引き上げる。 ベッドに横たわりながらスマホを見ると、メッセージアプリからも、電話帳からも、兄と叔母の連絡先が消えているのに、気がついた。 どうして?と思ったが、それよりスマホを返してもらった時点で、そのことに気が付かなかった自分の身勝手さにショックを受けた。 あんなに世話になっていた二人に、僕は近況を知らせようともしていなかった。 新しい生活に夢中だったから。 例え、携帯電話の番号がわからなくても、実家の固定電話はもちろん記憶しているし、叔母の店の電話番号だって検索すればわかるのに。 気持ちが酷く沈んだけれど、夕飯までには元気を取り戻し食卓に付かなくてはと考える。 僕は、一眠りする為に布団をかぶって、無理やり眼を閉じた。

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