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[ヘラジカ] 3.起きてしまった事件
「バクを襲った男は、三週間前の相談者でした。氏名は米村武尊(よねむらたける)」
秋良のサーバルが、暴漢の名を皆に告げた。
私は洋介の反応を見る。
彼はすぐに、ハッとして顔をあげた。
「うちに来るはずだった相談者だ。俺が謹慎処分になったから、本部とか近隣のチームに割り振られたと……」
「はい。そういうことです。たまたま秋良のところで起きた事件だけれど、どこで起きてもおかしくなかった」
洋介は我が身に置き換えてみたのか、辛そうに顔を歪めた。
「それにしても何でだよ?」
了也が怒りを露わにし、サーバルに詳しい説明を求める。
「米村の案件は単純なものでした。職場に好きな女性がいるが長年片想いで辛い。もう忘れて楽になりたい」
「よくあるパターンだな」
「ええ。しかし忘れてみると、毎日の生活があまりに単調だったそうです。心が沈みもしないけれど上がりもしない。ただただ平坦でつまらなく退屈だと。もう片想いの相手のことはどうでもいいけれど、あのドキドキした日々をまた味わいたい、と」
「無茶苦茶だ」
「はい。無茶苦茶です」
サーバルは肩を落とす。
「だけど何でバクを襲ったんだ?」
そこからは私が説明を引き継いだ。
「獏人形が愛や恋を吸い取って、一旦、違う人間の身体に入れる。私たちは相談者にそう説明します」
洋介も小さく頷く。
「ぐったり辛そうにしている人が部屋に一人居るわけですから、どの相談者もあの子が自分の代わりに辛い思いをしてくれてるんだと思うでしょうね。普通はそれを、ありがたいと感じる。しかし今回の男は『返してもらおう』と思ったと言うのです」
皆が息を呑み、黙った。
色々な相談者がいるのは分かっている。
世の中変わっている人も多く、こちらが想定しない行動を取る者も確かにいる。
それにしても、刃物が出てきたことは皆に強い恐怖とショックを与えた。
「とにかく、健一はよくやってくれました。ディンゴとしてバクを守ってくれてありがとう。過剰防衛の件は弁護士に任せればいい。皆もありがとう。今後よく対策を練りますから、どうか知恵を貸してください」
夜も遅いし話を終わらせようとしたが、ソファに座っていた健一が立ち上がる。
「秋良にバクを辞めさせることはできないのかよ?」
真剣な顔で問うてきた。
「辞めれる類のものではないんですよ。あれは体質なのだから。彼らにはこの仕事以外に生きる術はないって、ディンゴの貴方なら分かるでしょ?むしろこれはバクを守る為の組織なのですから。けれどね、ディンゴは辞められますよ。いつでも」
今褒めたばかりの私にそんなことを言われ、頭にきただろう。
健一は私を睨みつけてきた。
でも彼だって充分に分かっているはずだ。
黙って拳を握りしめ、結局、視線をずらした。
洋介が布団を運び込み、手塚たちにも、健一たちにもリビングで眠ってもらった。
—
私は自室のベッドに寝転び、天井を見上げながら考える。
問題を起こしてしまった秋良たちの拠点を、同じ県内で引っ越す様、すぐに手配しなければならない。
仕事柄、近所で悪い噂が立つのは避けたいから。
どんなに素早く動いても、一週間はかかるだろう。
それまで秋良を吉祥寺の家で預かるしかない。
しばらくは今夜のように洸の部屋で、一緒に眠ればいい。
秋良のチームはどうしたって休む事になる。
隣接する二チームを同時期に休みにするのは組織として無理がある為、吉祥寺チームは稼働させるしかないだろう。
だとしたら、この家に相談者がくる約四時間は、秋良の控え室として、私の部屋を貸すしかない……。
思わず深いため息が出て、私は目を閉じた。
翌日から、洸と秋良は合宿のようだと二人とも楽しそうにしていた。
一緒に動物園にも散歩へ行ったらしい。
了也と同じく兼業ディンゴである健一は、仕事帰りに毎日様子を見にきては、洋介の作る夕飯を食べ、実家へ帰っていく。
引越し先はなんとか無事に決まりそうだ。
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