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[ヘラジカ] 4.幸せな相談者たち

秋良も新しい拠点に移り住み、また全てのチームが稼働できるようになった。 洸は秋良が帰ってしまい、少し寂しそうにしているが、そこは了也が上手くフォローするだろう。 ただ、相談者が来ない夜も了也が洸の部屋で寝ようとするのは、きっと洋介が許さない。 この家を取り仕切っているのはサーバルだから、私が口出ししたりはしない。 洋介は立派にサーバルの仕事をこなしている。 ただそんなサーバルも迷うような案件が、時々舞い込んでくるのが、この仕事だ……。 この組織への相談依頼は、まずフェネックのところに集まる。 フェネックは冷やかしの客か、本気の依頼かを見極め、地区の担当者へ案件を振る仕事だ。 フェネックにとって依頼内容は、あまり重要ではない。 それよりも、面白半分に連絡してきた者や、組織の秘密を暴いてやろうとする者、そもそも料金をきちんと払う気がないという不届き者を、門前払いする役割だ。 開業以来、ずっと一人の女性がフェネックを担当していて、その見極めの精度は百パーセントとはいかないが、年々高くなっている。 案件を受け取った各サーバルは、まず相談者と電話で言葉を交わす。 そうすることが二度目の審査となる。 ここでも相談内容は判断材料にはならない。 会話がきちんと成立するか、極端な要求をしてくるクレーマー要素がないかなどがチェックポイントだ。 そもそも、愛や恋を消したい気持ちなど、こちらが理解できるものばかりではない。 だから基本的に「相手が真剣であればその案件は受ける。但し、人の命に関わるようなこと以外」という方針になっている。 それでも時々、サーバルは迷う。 この案件を受けて大丈夫だろうか?と。 その場合、相談者がバクと会う直前に、ヘラジカが少しだけ面会をすることになっている。 「あのさ和樹さん。奇妙な依頼が来てて、念の為、確認をお願いしたいんだけど……」 洋介から、面会の要請をされたのは、洸がバクになって初めてのことだった。 — インターホンが鳴る。 洸には自室で待つように伝え、洋介が玄関へと迎えに出た。 ソファへ座るよう勧め、彼は飲み物の支度をするためにキッチンへ向かう。 その間に、私が相談者の正面に座った。 了也がいつもとは違うパターンに、興味津々なのが伝わってくる。 「今日も暑かったですね。今年最高記録だそうですよ」 当たり障りのない話から始める。 本日の客は二人組だ。 二十代の恋人同士。 とても仲が良さそうで、ソファに腰掛ける時もぴったりと寄り添い隙間なく座る。 洋服の好みも似通っていて、感じの良い素敵なカップルに見えた。 洋介が昼間に時間をかけて作った水出しアイスコーヒーに口をつけ、彼女が「美味しい」と言えば、彼が「本当だ」と微笑む。 我が組織に相談にきている風景とは思えない、穏やかな光景だ。 「ところで本日は、互いの愛を消したいと伺いましたが、とてもそうは見えません。そこで事前に私が少しお話を伺いたいと思っております」 「はい」 彼氏のほうが返事をする。 「まず、愛を消したいとは彼も彼女もということでよろしいですか?」 「はい、間違いないです。私たち、結婚しようと思っているんです」 全く話が見えてこない。 「俺たち、二年前にマッチングアプリで出会ったんです。別にそれを恥じている訳じゃないんですよ。でも、結婚するにあたって、出会いからやり直したいねって話になって」 意味が分からない。 「一度さらに戻して、もう一回出会いからやり直したいんです、ね?」 「うん。そうしたいんです」 相談者の前で溜息をつきそうになってしまった。 言っていることが、とても幼稚だ。 「あのですね、一度消えた愛は元に戻るとは限らないのです。いやむしろ、余程のことがないと戻りません。人を好きになるには、タイミングだったり周りの状況だったり、色々なことが左右するのです」 彼らに伝わっているという手応えはないが、話を続ける。 「運命の赤い糸など存在しません。今の二人は奇跡のように成り立っているんですよ。マッチングアプリで出会えたことを感謝をするべきです」 「でも俺たちは大丈夫だと思うんですよ。結ばれる運命だって信じているから。それを試して、より愛を深めて結婚したいんです」 彼女もコクリと頷く。 「……そうですか。承知いたしました」 私はソファから立ち上がる。 空いた席に洋介が座り、了也が洸を呼びに行った。 ローテーブルの上には、獏人形と砂時計が並べられた。 砂時計をひっくり返した洋介が「では」と言えば、二人の愛が消えてしまう一時間が始まった。 洸は幸せそうな二人の話をニコニコと聞き始めた。 思えば洸が、ただただ幸せな愛や恋の話を耳にする事は、滅多にないのだ。 しかし早々に心配になってきたようで、私を小さく手招きする。 呼ばれるままに隣へ座ると内緒話のような小声で「これ、僕が聞いてて大丈夫ですか?」と囁いた。 「心配しなくて大丈夫です」 そう答えたけれど、洸は不安そうに首を傾げる。 しばらくすると具合が悪くなったようで、洸はぐったりとソファに身体を預けた。 きっともう人の心配をしている場合ではないだろう。 二人はタイタニックの映画を観た後、財布からそれぞれ半分ずつ、けして安くはない金額を支払った。 並びたった二人の間には、それなりに距離があり、言葉もあまり交わさずに帰っていった。 玄関まで見送りにいった洋介が戻ってきて、私に聞く。 「あの二人、どうなると思う?」 「別れるでしょうね、まず間違いなく」 「でもさ、もしまた愛が芽生えたら、確かにそれは運命の二人だよね」 「うーん、まぁそうですね。今までそんな事例は聞いたことがないですけど。洋介、意外とロマンチストですね」 そう揶揄ったら、プイと可愛く拗ねてキッチンへと行ってしまった。

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