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[ヘラジカ] 5.取引材料にされる

本部の事務所で、出前の昼食をとっていると、めずらしく秋良から電話が掛かってきた。 二人で会って話がしたいと言う。 暑い中、わざわざ本部事務所がある最寄り駅まで出てくるというので、二時間後に落ち合う約束をした。 駅近くのカフェでアイスコーヒーを飲みながら待っていると、洸と同じメーカーのヘッドホンを付けた秋良が店に入ってくる。 飄々とした足取りを見れば、差し迫った問題が起きているわけではないと分かり、少しほっとした。 ケーキとアイスティーを注文した秋良は、メニューを閉じるなり、リュックサックから白いタオルに包んだ塊を、大切そうに取り出す。 「ねぇ、和樹さん。これ大切な物なんでしょ?」 ぐるぐるに巻かれたタオルを解けば、私の幼馴染が高校生の時に作った獏人形が出てきた。 「どうして貴方がこれを?」 「この前、和樹さんの部屋で見つけた」 吉祥寺の家に秋良が身を寄せていた先月。 洸の仕事中は、私の部屋が彼の控え室になっていた。 「見つけたって……」 私は、隠すこともなく大きなため息をつく。 「中が見えない戸棚の中にあったでしょう?勝手に開けたことも問題ですし、何故それを持ち出したのですか?秋良、私は貴方の学校の先生じゃないんですよ。こんなこと注意させないでください」 どうしてこんな子どもみたいなことをと、呆れ果てる。 「ねぇ、これ誰が作ったの?うちのチームのバク人形とは全然完成度が違うよね。何か秘密があるんでしょ?だとしたら和樹さんと交渉する上で、取引材料になるのかなと思って……人質?違う人形質になるよね?」 秋良は、ウェイトレスが運んできたメロンののったショートケーキをフォークを突きながら、ボソボソと喋る。 流石に罪悪感はあるらしい。 「秘密はありません。交渉材料にもなりません。なりませんけれど、秋良の要求は一体なんです?バクの賃上げですか?」 そう訊くと首を横に振った。 「上手く言えないけど、漠然とした不安への保険……かな」 目も見ないでそう言われれば、返してやれる言葉は無かった。 バクが持つ不安の大きさは、組織のリーダーとして多少は理解しているつもりだ。 更に秋良は、相談者に襲われるという怖い体験もしている。 私が今、秋良にしてやれることは何だろう……。 そう考え、内ポケットのカードケースから、事務所の住所と代表取締役と肩書が入った自分の名刺を取り出し、テーブルの上に裏返して置いた。 秋良は私の動作をじっと見ている。 名刺の裏に、胸ポケットから出した万年筆で文字を綴った。 「ん?なになに?『一回に限り、秋良の要望を、全面的に、受け入れます。ヘラジカ、草上和樹』うわっ、すごい!やったね」 「有効期限はありません。無理に使う必要もない。貴方が言った通り、これは保険ですから」 「うん、わかった。ありがとう。だけどね、名刺一枚じゃ返せないよ、この人形」 私はもう一度、ため息をつく。 「欲張り過ぎは感心しませんね」 「違うよ。洸くんの分も、洸くんにあげる分も書いて」 なるほど。 洸を可愛く思っているのは、吉祥寺チームのメンバーだけではないようだ。 もう一枚名刺を取り出し、話をしながら洸宛の記述をする。 「秋良、私がこの獏人形が無いと困る理由は、これが手本だからです」 「手本?」 「そうです。秋には東北に新しいチームができるんです。だからまたバク人形を作らないといけません。これを手本に、私が近所の陶芸教室の片隅を借りて作るんですよ。一体一体ね。絶妙に下手なところが、むしろ神秘的に見えるという手塚の言葉を信じてね」 今現在、この人形の持つ意味はそれ以上でもそれ以下でもない。 過去はただの過去だから。 秋良からタオルに巻いた状態の人形を取り返し、まだケーキを食べている彼をカフェに置いて、仕事へ戻る。 事務所に帰り、奥にある自室のベッド下に、こっそりと人形を隠した。

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