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[ヘラジカ] 6.幼馴染と獏人形
予定通り、早めに事務所を出る。
夕食時刻に間に合うよう、吉祥寺の家に車を走らせながら、秋良のせいで獏人形を作った幼馴染のことばかりを考えてしまう。
私は幼い頃、吉祥寺の家で父と二人で暮らしていた。
兄弟はなく、母親も早くに亡くした。
隣の家には同い年の少年と気のいい夫婦が住んでいて、仕事の帰りが遅い父に代わって、常に私の世話を焼いてくれた。
彼らの存在がなかったら、きっと私は父方の祖母が住む東北の田舎に預けられていただろう。
少年とは兄弟のように育った。
思春期を迎えるまでは彼が何を考えているか手に取るように分かったし、彼にも私が何を考えているか伝わっていただろう。
しかし、段々と少年の周りが歪んでいった。
彼の体調不良が続いたり、仲の良かった家族が壊れていったり……。
今思えば典型的なバクのいる家庭での出来事だ。
我が組織のバクと、幼馴染とで大きく違ったところは、彼が思い込みの激しい大のオカルト好きだったことだ。
彼はこうなった原因は、自分が何かに憑かれたからだと決めつけた。
子どもらしい結論だったが、その考え方は彼を救った。
自分のせいではなく、取り憑いた物のせいだと思うことで、自分を責めなくて済むのだから。
ある晩の彼の夢に出て来たというだけの理由で、取り憑いているのは中国の伝説の生き物「獏」だと決めつけるに至った。
そして取り憑いた「獏」の特徴を見極めようと、二人でクラスメイトを相手に色々と実証実験をしたし、獏を身体から追い出す為に、まじないのようなことも沢山した。
若かった私たちにタブーはなく、性的なことも躊躇わずに試した。
吐精で体調不良が解消されると分かってからは尚更に……。
お陰で今の仕事の基礎が作れたわけだ。
バクの特性を持った人間は幼馴染だけではなく、数は少ないが昔から全国各地にいると段々と分かってきた。
私の興味は彼個人から、バクそのものへシフトしていった。
今現在、いや最初から、バクの事象がオカルト的なものであるとは、私自身全く思っていない。
あくまで生まれついた体質なのだ。
治るものではない。
受け入れて、それを活かして生きていくしかないものだ。
けれど、幼馴染は未だに治す術を、身体から獏を追い出す術を探している。
二十代前半に突然、吉祥寺のこの土地の磁場が悪いと言い出し海外へ移り住んだ。
そして、スピリチュアルな造形作家として活動したり、怪しい宗教団体に利用されそうになったり……。
「バクについての本を出す」という案件も誰かに唆されたのだろう。
きっと、公にすることで治し方が見つかるはずだと、言われたのだ。
先日は突然日本へ帰って来て「金を貸して欲しい」と訴えてきた。
数日に渡りよく話し合って、二度とバクを世間に公にしようとしないと約束させ、借金を肩代わりした。
互いを理解し合える少年の心も、彼を好きで好きで苦しいという秘めた初恋も、バクの力を借りずとも今は少しも残っていない。
—
吉祥寺の家に到着し車を停める時、夕陽に照らされた隣の家のコインパーキングが目に入り、なんとなく立ち止まってしばらく眺めてしまった。
玄関ドアが開いて、洋介が顔を出す。
「和樹さん、おかえり。どうかした?」
「いいえ、なんでもありません」
「そう。今夜はホッケを焼いたよ。大根おろしもたっぷり」
開いたままのドアから、食欲を誘う香ばしい匂いが漂ってきた。
幼馴染がまた助けを求めてきたら、私は再び手を差し伸べるだろう。
でもそれは、この事業の礎を作ってくれた人への義務である。
ホッケを食べながらの夕食の話題は、洸に新しくできた友達のことだった。
「動物園の中にある小さな淡水魚水族館で、肩をポンポンって叩かれて声を掛けられたんです。「そのヘッドホン僕のと同じメーカーだね、センスいいね」って。それで、そのまま一緒に見て回って」
了也が顔を顰め訊く。
「男か?何才だ?」
「男の人だよ。洋介さんと同い年くらいかなぁ。それでね、動物園の近くにあるピザ屋に行ったことある?って訊かれて。ないって答えたら、一緒に行かない?って誘ってくれたの」
了也の渋い顔とは対照的に、洋介は嬉しそうに聞いていた。
秋良が自分のチームへ帰ってから、洸が寂しそうだと心配していたから、楽しそうな洸にホッとしてるのだろう。
「それでね。ピザを食べながら、推理小説が好きなんですって話をしたら、僕も好きだよって、本の話で盛り上がったんです。その彼が面白いって言っていた本、さっき書庫を探したら全部あったから、今度読もうと思って」
「連絡先は交換したんですか?」
そう訊いたら首を横に振る。
でも洸は「晴れた日の午前中、特に偶数日に頻繁に動物園に行く」と彼に伝え、また会おうと約束したらしい。
「その男は大丈夫なのか?目的があって洸に近づいたんじゃないのか?」
了也だけがブツブツと小言のように心配を口にして、それを含め楽しい夕食となった。
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