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[ヘラジカ] 13.愛がこもる言葉の重み
前庭に車を停めると洸は後部座席から飛び出し、玄関ドアを開け家に駆け込んだ。
私がリビングに入った時には、ぼーっとした秋良の前で、洸が立ち尽くしていた。
「相談者さんが皆口にする「好き」とか「愛してる」って陳腐な言葉だなって思って、いつも聞いてたんだ」
秋良は、ボソボソと洸に向かって話し始める。
「洸くん。僕は今、なにが悲しいのかも分からないよ。悲しくないことが、悲しいのかな。ただポッカリと、心に穴が空いたんだ」
そう言った秋良を、洸がギュっと抱きしめた。
「そもそもさ、自分が本当に健ちゃんを好きなのか不安だったんだ。だって今まで誰のことも好きになった経験がないんだから。誰かと恋バナだってしたことないし。健ちゃんが僕を好いてくれているのかも、愛とは何なのかも、段々わからなくなって……」
皆、黙って秋良の話を聞いている。
「だから実験みたいなものだった。僕が「好き」「愛してる」って口にしても、それが虚構だったら何の変化も起きない訳でしょ?」
私は痛ましく感じ、ギュッと目を閉じる。
「僕が「愛してる」って口にしたら、健ちゃんは一瞬とても嬉しそうな顔したのに「そんなこと言っちゃダメだろ」って凄く怒ったんだ。その顔見たとき、僕は本当に健ちゃんが好きだったし、健ちゃんも僕を好いてくれてるんだって、確信が持てたよ」
その話を聞いても、誰も何も返事をしてやれない。
何と言ってよいのか、まるで分からない。
「だけど今は、それもボヤっとした記憶になっちゃった。後悔は感じてないよ。だけどさ、洸くんは絶対に想いを口にしちゃダメだよ。いい?分かった?」
泣きだしそうな顔の洸が頷く。
「秋良、仕事は続けますか?」
私がそう問うと、彼はすぐに返事を寄越す。
「はい、僕にはこれしか出来ることがないから」
秋良はポケットから、私の名刺を取り出す。
「一回に限り秋良の要望を全面的に受け入れます。ヘラジカ・草上和樹」
初めて目にしただろう了也が声に出して読み上げた。
「これは愛とか独占欲とかそんなんじゃ全然なくて。でも、どうしてもお願いしたいんだけど、健ちゃんを、他の人のディンゴにしないで。どのチームのディンゴにもしないで、普通の人に戻してほしい」
そのような希望がなくても、一度誰かのディンゴだった者を、違うバクのチームに入れたりはしない方針だ。
「分かりました。健一には私から伝えます」
コクリと頷いた後、深々と頭を下げてきた。
「よろしくお願いします」
「今日はここに泊まって、次のディンゴが決まるまでは、フェネックの家で過ごしなさい」
フェネックの家がどこにあるのかは、ほとんどの者が知らないことだ。
—
秋良のサーバルから電話が来て、私は自室へと引き上げた。
「健一が、マンションに帰ってきました。昨晩、秋良から愛を告げられたと言っています」
「こちらも同じことを秋良から聞いたところです。健一に替わってもらえますか?」
サーバルの悲しそうな溜息と「健一、和樹さんが替わってって」と伝えている小さな声が聞こえる。
「もしもし和樹さん!秋良は、秋良は無事ですか?」
「えぇ、大丈夫です。今日は洸の部屋で寝てもらいます。状況は聞きました。辛い思いをしましたね、健一。けれど貴方も二年間、組織の仕事をしてきたのです。もうどうしようもないことは、分かりますね?」
「でも、ほんの一言、二言だけなんです。一時間話を聞いたわけじゃない」
「いえ、相談者から一時間も話を聞くのは、心を整理させるカウンセリングのようなものです。「好き」だとか「愛してる」とか、短い言葉でも心が込められていれば効果は出てしまうのですよ」
電話の向こうで健一が黙り込んでしまう。
「健一には申し訳ないけれどディンゴを辞めてもらいます。明日、私一人でそちらに行きます。引っ越し先が決まるまではそこに留まって構いません。退職金は出させてもらいますから」
健一の辛さを思うと、私も溜息しかでなかった。
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