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[ヘラジカ] 17.冷蔵庫は息を潜める

彼ら四人が居酒屋に出掛けて行って、どれくらい経っただろう……。 ……カチャっと玄関の鍵が回る音。 ドアが開く音。 そして聞き慣れた楽しそうに笑う声で、微睡みから眼が覚めた。 私の素肌には洋介の温かい腕が絡みついている。 辺りは暗く、一瞬ここがどこか分からなかったが、すぐに「しまった」と今の状況を把握した。 「洋介、洋介」 小声で裸の男を起こす。 「洋介、寝過ごしました。洸たちが帰ってきたようです」 そう言いながら、リビングのソファ周りに散らばっている二人分の下着と洋服と、眼鏡を回収する。 洋介も「えっ」と飛び起き、辺りを見まわし、丸まったティッシュや破られたスキンの包装を拾う。 「洋介さんたちも、出掛けたのかな?」 了也に話しかける洸の声が近づいてくる。 逃げ場はキッチンしかなく、裸のまま二人でコソコソと足音を立てぬように移動した。 ギリギリのタイミングで冷蔵庫の横へ、裸で座り込んだ。 新しいディンゴが決まってホッとし、完全に気が緩んでいたと瞬時に深く反省する。 それでも、隣で身を潜める洋介の頬に私の腕枕の跡がついていて、先ほどの行為を思い出し愛おしく思えた。 「電気もついてないし、二人で飯でも食いに行ったんだろ」 「そうだね。じゃぁさっき買ったケーキ、冷蔵庫に仕舞ってくる」 洋介と顔を見合わせる。 これでも代表取締役社長なのに、実家のキッチンでこんな情けない姿を社員に晒すことになるかもしれない。 とりあえず下着だけでも履こうとするが、背中を冷蔵庫にぶつけ小さな音を立ててしまい、動きを止める。 「いいよ、洸。今食べよ」 了也の声に救われるが、すぐにまた洸が言う。 「じゃ、お皿」 「いいよ、皿なんて。紙ナプキンの上に置けば。ほら、プラスチックのフォークもついてるだろ」 洸の返事は聴こえなかったが、了承したのだろう。 私はとりあえず息を吐き、音を立てないように下着を身に着けた。 隣では洋介も同じように手足を動かしている。 「美味しい。このチョコレートのクリーム、甘すぎなくてほろ苦くて。了也さんも一口、食べてみて。あっ、そうだ。コーヒー淹れるよ」 「いや、要らない。大丈夫だから」 「じゃ、お水を」 「本当、要らないから。洸……、洸……。甘い、な。唇まで……甘い。んっ、チョコの味だ」   もしかすると了也は、私たちに気が付いているのかもしれない。 それで洸がキッチンに来るのを回避する為に……。 「りょ、了也さん……。んっ。か、帰ってきちゃうよ、洋介さんたち」 「大丈夫だ。俺が保証する。まだ帰ってこないから安心しろ」 隣を見れば、洋介が顔を顰めている。 「へ、部屋に行こ。ここじゃ、ダメだよ……。んっ」 「でももう蕩けそうな顔してるぞ、洸。ほらっ、ここも、ちょっと弄っただけで、ぷっくりしてる」 「やっ、そこもう触らないで。ねぇ、んっ」 「俺は、ここでしたい。な、俺だってもうこんなだし」 「ひゃっ。で、でもここじゃ、恥ずかしい……」 「今日は特別だ。ほら、なぜかテーブルに、ローションとスキンが用意されているだろ」 「えっ了也さん、いつの間に……」 「手品だ、手品。ほら洸……」 それは、完全に私たち二人の忘れ物だった。 落ち度しかなく、了也には礼を言ったらいいのか、文句を言ったらいいのか分からない。 「んっ。あっ」 洸があげるくぐもった甘い声が、換気扇も回っていない静かなキッチンへと聞こえ続ける。 「声、我慢しなくていいから」 「ん、あっ。いい……」 我々への挑戦だろうか。 それとも了也は、ただ酔っ払っているのだろうか。 「……挿れるぞっ、洸」 「あぁっ」 洋介は以前、盗聴器まで仕掛け二人の行為を盗み聞きしていたくせに、今は幼い子がするように手で両耳を塞いでいる。 了也が口にする卑猥な言葉も、洸が我慢できずに溢す嬌声も、濃密な関係を醸し出し、二人の間には確かな愛があるのだと思い知らされた。 「あっ、いい、いい、きもちいいっ。りょ、りょうやさん、あっ、んっ」 「洸っ、俺も気持ちが、いい、とても、なっ」 「ねぇ、もっと、あぁ、もっと」 もしかすると、仕事が絡まずに二人が身体を繋げるのは、今夜が初めてなのかもしれない。 私の過失で、彼らに思わぬ機会を与えてしまったようだ。 声だけでなく、乱れた呼吸、肌と肌がぶつかる音も聞こえてくる。 「りょ、了也さぁん、もう、もうダメ、でる、でる、でちゃう。あっ」 「んっ、洸っ……」 「了也さ……」 さっき、あのソファの上で、私と洋介も似たようなことをしていた。 二人で達した後、愛の言葉を吐いて洋介を抱きしめた。 けれど、あの二人はそんな睦言を口にすることができない。 ただ互いの名を呼ぶだけしか、できない。 少し間をおいて、了也はウトウトする洸を担ぎ、洸の部屋へと連れていった。 道中で振り向けば、冷蔵庫前にいる私達が見えたはずだ。 それでも了也は振り向かないでいてくれた。 ここは互いに、なかったことにするべきだろう。 ホッとして洋介の肩を引き寄せ、ギュッと抱きしめた。 —   翌朝。 了也がバタバタと慌ただしく、仕事に出掛けて行く。 私もそれに続き家を出ようとすると、洸に呼び止められた。 「どうしました?」 「これを、使いたい……です」 裏に私の手書き文字が書いてある名刺を取り出し、差し出してくる。 「何かありましたか?」 まさか昨晩の行為中に、二人の関係に何かあったのではと、心臓が冷たくなる。 「いえ、あの、今後の為のお願いです」 「今後?」 「はい。もしももしも、いつか僕が了也さんと無になったら、それでも、しばらくは一緒に暮らせるようにしてください。お願いします。秋良くんのように、ディンゴとそれきり会えないなんて耐えられないんです」 「でも、無になるのです。その時はそんなことは考えませんよ」 「だから。そんなの絶対に嫌だから、今、頼んでいるんです。お願いします」 先廻りして心配している洸が可哀そうで、断ることなどできない。 「分かりました。約束しましょう。了也にも、機会を見て話しておきます。きっと、無になんてならないって言うでしょうけれど」 そう言ってくれるだろう了也を容易く想像できたのかで、洸の表情が和らぎ、くすりと笑った。

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