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[ディンゴ] 1.声に乗せなくても

■登場人物 ・洸:[こう](バク) ・洋介:[ようすけ](サーバル) ・草上和樹:[くさうえかずき](ヘラジカ) ・了也: [りょうや](ディンゴ) — ・秋良:[あきら](バク) このところ本業であるタウン誌の仕事が忙しい。 冬に出る増刊号の担当になったせいだ。 だから偶数の日は、遅くまで残業することが多くなった。 そんな時の夕食は、ディンゴになる前は毎日のように通っていた馴染みの弁当屋で購入し、散らかったデスクの上で済ませている。 どんなに忙しくても一日置きに早く帰ろうとする俺に、同じ部署の者達は不思議がった。 「副業があるんだよ」 ある意味正直に理由を伝えているが、訝しく思われているだろう。 遅い時間に帰宅をし自転車を前庭に停めながら、二階を見上げる。 まだ書庫の窓に灯りがついていた。 洸が起きて待っていてくれたようだ。 玄関ドアを静かに開け閉めし、そのまま二階へと上がる。 足音に気が付いた洸が、書庫から顔を出し「了也さん、おかえり」と声を掛けてくれた。 仕事着の作務衣ではない、パジャマ代わりのスウェット姿で、眠そうな目をした洸が可愛い。 「ただいま」 両手を広げ、抱きしめようとしたが、背後から「お・か・え・り」と圧のある別の声がして手を引っ込めた。 洋介は相変わらず、俺と洸の必要以上の接触をできるだけ阻止しようとする。 無駄な抵抗だと分かってるくせに。 自室で着替えを用意し、書庫にいる洸に「もう寝るといい」と声を掛け、一緒に階段を降りる。 洸の部屋まで二人で連れ立って、俺は用も無いのにベッド脇までついて行く。 掛け布団を剥いでベッドに横になるよう促し、屈んで「おやすみ」と触れるだけのキスをした。 子どもにするようなその行為に「もう」と怒ったふりをしながら、洸は照れて布団をかぶる。 俺はそのやり取りに満足し「また明日な」と伝え、風呂へと向かった。 — 先日、秋良の新しいディンゴとメッセージのやり取りをしていて知ったのだが、契約前の注意事項に「バクを好きになってはいけない」という項目があったらしい。 俺の時はそんな注意は受けなかった。 そもそも従兄弟に頼まれた潜入取材のつもりだったから、俺がバクと親密になり「本を出すべきではない」と認識を改めるほうが、和樹にとって優先順位が高かったのだろう。 当初、洸に抱いた感情は、バクに生まれるなんて可哀そうな子だという同情だった。 俺の従兄弟は中学生でバクになり、自分が「取り憑かれている」といまだに思い込もうとしている。 悪いのは自分ではなく他者のせい。 取り憑いた獏のせいだと信じ込もうとしている。 それに比べ洸は、自分が陰鬱としているせいで家族が不幸になったと、確信し絶望していた。 体調も常にすぐれず「僕なんて……」という、先の見えない真っ暗な毎日をどうやって過ごしてきたのだろう。 それでも健気に振る舞う姿に、可哀そうだ、守ってやりたいと思わずにはいられなかった。 同情の延長線上で人を好きになったのは、実は初めてではない。 むしろ可哀そうな子に庇護欲を掻き立てられて好きになる傾向が、自分にはあるのだろう。 そしてそんな恋は、毎度上手くいかない。 ディンゴになる直前まで付き合っていた女の子とは、終電間際の駅のホームでさめざめと泣いていたのを放っておけず声をかけたのが、始まりだった。 従兄弟に「バクについての本を出したい」と言われた時点で、付き合っていたのがその彼女だ。 従兄弟が話すバクの特性について俄かに信じられなかった俺に、彼は「試してみる?」と囁いた。 今思えば酷い話だが、従兄弟と俺と彼女の三人で食事をした。 俺はその時点で、いつまでもネガティブな彼女の、どこを好きになったのか見失いかけていた。 だから、もしも従兄弟の言う通り愛が消えても、それはそれでいい、と半信半疑ながら思っていたのだ。 そして、本当に愛が消えた。 感情が無になり、後悔する気持ちも起きなかった。 まぁ、振り返ってみれば俺なりに愛する気持ちがあったからこそ、無になった訳だが……。 自分は恋愛に向いていないと、その時に自覚した。 同情と愛情が絡み合ってしまう俺は、誰かを永続的に好きになったりはできないのではないかと、諦めの境地に至った。 洸のことは、今までとは何かが違う。 この家に来てバクが仕事となり、自分の特性が人の役に立っていると少しずつ実感できたのだろう。 暗く俯きがちだった表情が、段々と生き生きし明るく豊かになっていった。 その再生の過程は、俺の眼にとても魅力的に映った。 彼の持つ本来の強さ、気遣い、可愛らしさを、もっと見たい、もっと引き出したいと貪欲に望んでしまう。 それは日常生活においても、性的な接触に関してもだ。 好きだと決して口に出してはいけない関係だからこそ、洸が不安に思わぬよう安心させてやりたい。 身体を交えれば、手で、眼で、吐息で、唇で、愛を伝える。 絶対に言葉にしてはいけないと自制しながら。 声に出しさえしなければ大丈夫だからと、俺たちは日々熱のこもった目線を交わしていた。   長々と入ってしまった風呂から出ると、照明の消えたリビングで和樹に呼び止められる。 前庭に車は停まっていなかったから、風呂も自分が最後だと思い込んでいた。 「和樹さん、いたんだ。悪い、風呂待たせちゃったな」 「いえ、ついさっき帰ってきたのです。そうだ、ちょうどいい。少しお時間をいただけますか?」 何事かと思ったが、二人でキッチンのテーブルに移動し、一本の缶ビールを半分ずつグラスに注いだ。 「改まってなに?いい話?悪い話?」 「どちらでしょう。了也の捉え方次第でしょうね」 風呂でのぼせ気味の身体に、ビールが染み渡る。 「洸がね、もしも了也と無になっても、しばらくは一緒にいさせて欲しいと頼んできました」 「なんだそれ。無になんかならねぇよ」 「そう言うと思いました」 想定済みだというように、和樹が笑う。 「洸は怖くなったのでしょうね、もしもを想像して。そして今までの相談者や秋良を見て、もしも無になっても自分はもう少し足掻きたいという結論を出したのでしょう」 「だけど何も今から、そんなことを和樹さんに頼まなくても」 「いや、無になってからでは遅いのです。無になったら、そもそもそういう思考に至らないでしょう。賢いですね、洸は」 「あぁ、確かに……」 洸がどんな顔をして、和樹にそれを告げたのか想像する。 「分かった。俺もそれでいい。もしも無になっても足掻いてみせるよ」 グラスの中身を飲み干し「おやすみなさい」と俺は自室へ引き上げた。

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