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[ディンゴ] 6.ぎこちない留守番

無になってから十日が経ち、旅行の予約をしていた朝がやってきた。 重そうなスーツケースを玄関まで運んだ二人が、並んで靴を履いている。 「本当に大丈夫、洸くん?」 「うん、炊飯器の使い方も、調味料の場所も、洋介さんが下ごしらえしてくれた冷凍食材の解凍の仕方も覚えたよ」 「そうじゃなくて……」 洋介がチラっと俺をみる。 「大丈夫だ。俺も洸も、だいぶ心が落ち着いてきた。二人で何とかなるだろう」 「そう。何かあったらメッセージちょうだいね。了也さんも毎日昼まで寝てるとか、やめてよ」 「洋介、心配しすぎです。ほら、行きますよ」 和樹が時間を気にし、腕時計を見た。 「だって……。洸くん、お土産買ってくるから、ね」 洋介は台湾に着いても俺たちのことを気にして、心から旅を楽しめないだろう。 そのことは本当に申し訳なく思う。 「コーヒーを淹れるけれど飲みますか?」 二人を見送りキッチンへ戻ると、洸が眼を合わせずにぎこちなく訊いてくれた。 「あぁ、頼む。パン、洸の分もトーストするか?」 「あ、はい、お願いします」 必要以上の会話はせず、二人で黙々と朝食を食べた。 「昼は俺は外で食べるよ。夜は洋介が用意してくれたものを温めて食べようか」 「はい。僕も昼は外に出ます。夕方には戻ります」 夜も外食にしたかったが、準備してくれた洋介に申し訳ない。 きっと洸もそう思っているのだろう。 俺と洸の旅行は、当然ながらキャンセルした。 しかしタウン誌の仕事も有休を申請済みで、今日から四日間出社する予定はない。 あの日以来、チームの仕事は三週間と期限を設け休止された為、しばらくこの家に相談者は訪れていない。 この十日間、俺は家にいるのが気まずく、朝食も食べず早朝に出勤し、偶数の日も奇数の日も夜遅くまで仕事をする日々を過ごした。 仕事が休みの土日には、昼前に起きると家に洸の姿はなく、洋介から「お弁当と本を持って動物園に行ったよ」と刺々しい声で聞かされた。 洸に気を遣わせていると申し訳なくは思うが、以前よりずっと遠い存在に感じるあの子が、どんな顔をして動物園にいるのか、想像したり慮ったりすることはできない。 朝食が終わると、洸は二階に上がっていく。 恩賜公園なのか動物園なのかに出掛ける支度をしているのだろう。 思い出深い自分の部屋とリビングを忌み嫌い、今は和樹の部屋で生活しているのだ。 和樹は洋介に「心配しすぎです」と言いながらも毎日吉祥寺へ帰ってきて、リビングに布団を敷いて寝てくれている。 皆がギクシャクとしているけれど、洸が前もって和樹にお願いした「無になっても一緒にいさせて欲しい」という要望は威力を発揮し、俺たちは離れることなく同じ屋根の下に存在している。 現在は果たしてそれが吉と出るか凶と出るか、誰にもわからない……。 洸は無になった翌々日に「少しの間、兄の暮らす実家に帰りたい」と和樹へ申し出たらしい。 しかし和樹は許さなかったと聞く。 俺だって和樹に「しばらく会社に寝泊まりする」と伝えたけれど「認められません」と却下された。 和樹は必死に、以前の洸が望んだことを守ろうとしているようだ。 — 十日の間に少しずつ緩和されたとはいえ、俺も洸と同じく、リビングや洸の部屋には何故か近づく気になれないままだ。 二人ともがそんな状態だから、家の中の生活スペースが普段より狭くなっている。 そして普段家事をこなしてくれている洋介が留守の為、会話を交わさなければならない場面は意外と多かった。 二日目の朝。 休日にしては比較的早い時間に目を覚まし、それなりに朝食を食べた。 今朝、洸に届いた洋介からの写真付きメッセージには、『了也さんにも見せておいて』と書かれていたらしい。 洸のスマホを覗き込みながら、義務的に台湾の街並みに対して、短い感想を話す。 現在、俺にとって洸の存在はボヤッとしていて、嫌悪感はないが知らない誰かのようだ。 「この子の為に何かしてやりたい」などという気持ちは、少しも湧いてこない。 きっとそれは洸にとっても同じで、俺の存在を無視するわけではないが、積極的に関わってくる様子もなかった。 二日目の夜。 洸が米を炊いてくれたので、俺が洋介作り置きのロールキャベツを解凍し鍋で温めた。 俺は皿を取ろうとし、洸はスプーンを並べようとしていた。 阿吽の呼吸のようなものは皆無で会話も乏しい俺たちは、互いが互いの邪魔になり腕と腕がぶつかった。 慌てて引っ込め「ごめん」「ごめんなさい」と謝る。 久しぶりに触れ合った素肌は、冷蔵庫のそれと同じだった。 人ではなく物に触れた感触で、酷く気持ちが悪かった。 洸も同じように感じたのか、接触した箇所を、体温を取り戻すかのように撫でていた。

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