62 / 67

[ディンゴ] 13.もたらされた希望

タウン誌編集の仕事場から吉祥寺の家まで、寒い道を自転車で走り抜ける。 途中、チカチカと電飾の点いたクリスマスツリーを見かけ、季節が進んだことを実感する。 偶数日なので少し残業をし、いつもより一時間ほど遅い帰宅だった。 ドアを開けると玄関には、知らない上等な革靴が置かれていた。 一瞬、今日は相談者が来る日だったかと慌てるが、聞こえてくる声の雰囲気がそれとは違っている。 そのままリビングに顔を出せば、洸、洋介、和樹が揃っている。 更に、コの字に置かれたソファの真ん中にはセーターを着たロマンスグレーの年配男性が座っていた。 「おかえりなさい」 洸がすぐ俺に気がついてくれた。 その声で皆もこちらを見る。 「おかえり」「おかえりなさい」 「ただいま」 年配の男性は立ち上がって、俺のほうを向く。 「初めまして。君が洸くんのディンゴなのかい?私は草上といいます。和樹の父親です」 「えっ、あっ!初めまして。木月了也と申します。和樹さんには大変お世話になっております」 言われてみれば確かに和樹に似ている、上品な紳士だった。 父親ということは数年前までここに住んでいた、この家の持ち主なのだろう。 『少し遅れて帰るから、夕食は先に食べてくれ』とメッセージを送ってあったが、待っていてくれたようだ。 洋介がローテーブルに置かれた卓上コンロに火をつける。 どうやら今夜はセリ鍋だ。 「父は今、隠居生活をしています。しかし元々学者肌の人で……」 「今はね、バクについて書かれた古い文献を探しては、紐解いていますよ」 「以前、父がバクに興味を持つ出来事がありまして。私も組織を理解してほしく、父には全てを話し知ってもらったのです」 皆の視線がチラッと洸を見ては、和樹の父へと戻る。 「バクとは大変興味深い特性ですよね。調べてみると、古来からこういった事象はあったことが分かりました」 大学の講義のような語り口調だ。 「しかしそれに対して、共通の名前がついていません。それぞれの地域に、きっとこれはバクのことを示しているのだろうと思われる呼び名はあるのですが、バラバラな名称ゆえに世間は同様の出来事として認識していません」 卓上コンロの上に置かれた土鍋はグツグツと煮え、話を聞きながらも皆が箸を伸ばす。 「あの、質問があります。それらの文献に出てくるバクは、周りの皆に受け入れられていますか?」 洸らしい質問だった。 「洸くんの前では答えにくいけれど、悪い妖怪や化け物のように扱われていた地域もあります。しかし、神様や神の使いとして崇められていた事例もあるのですよ」 その光景が目に浮かぶ。 「そういう意味では、バク一人ではなく、チームを組み、ディンゴやサーバルという仲間と共に適性を活かしていくという組織化は、大変素晴らしい。我が息子ながらに感心しています」 洸は「うんうん」と頷いて聞いていた。 「そうそう。ここにいる皆さん以外にも組織には外部スタッフとして、フェネックやハイタカがいると聞いています。どうでしょう、和樹。私にも何か肩書をくれませんか?」 「何を言うかと思えば……。そうですね、では洸、私の父に何かいい役職を考えてくれませんか?」 「えっ僕が?えっ、あっ、どうしよう」 「何でもいいんですよ。洸がよくいく動物園で気に入っている生き物はどうですか?」 「うーん、うーん。では、マーラで!」 和樹の父親は本当にうれしそうに眼を細め「洸くん、ありがとう」と告げた。 セリ鍋のシメに雑炊を食べ、皆の腹が満たされた。 楽しい夕食だったと一息ついたところで、和樹の父が改まって声を掛けてきた。 「洸くん、了也くん。ちょっといいですか。話しておきたいことがあるのです」 俺たちは講義を聞く生徒かのように姿勢を正す。 「さっきも話したように現在私は、文献の中からバクが関わっていそうな事例を集めています。まだ集めることを優先としていて、分析するには至っていません」 草上さんは、俺と洸に語りかける。 「ただ、和樹の組織に参考になりそうなエピソードがあると、彼にメッセージを送信しています。一週間前、和樹にあるメッセージを送りました。彼はその話を自分を介さず、直接、正確なニュアンスで洸くんと了也くんに話して欲しいと望みました。だから今日、久しぶりに東京までやってきたのです」 横目で洸を見ると、前のめりに話を聞こうとしている。 バクに関することは、どんなことでも吸収したいと思っているのだろう。 「バクが無にした愛が、再び同じ相手と実り結ばれるということは時々起こり得ることです」 「そうなんですね!」 「はい。それを踏まえた上で、今回の発見はその先の話です。その再生した二度目の愛はバクの特性を持ってしても、もう無にはできないという記述を見つけました」 「二度目の愛……」 「そうです。実は少し前にも、それと似通ったエピソードを別の文献で見つけました。けれど単発の事象だろうと判断し和樹には伝えませんでした。しかし年代も場所も全く違う環境で、同じように二度目の愛が無にならなかった記録が見つかった為、特性の一つである可能性が増したのです」 和樹は俺と洸のことを案じ、この話を直接聞けるようにセッティングしてくれたのだろう。 「もう少し具体的に話しましょうか。ある権力者の娘が奉公人の男と恋に落ちた。父親は激怒し、愛を無にすると評判の僧侶を呼んだ。二人の愛は目論見通り確かに無になったが、しばらくして二人は再び愛し合うようになる。それに気づいた父親は毎日のように僧侶を呼んだが、二人はもう無になることはなかった」 「二度目の愛だから無にならなかったのか」 「えぇ、この僧侶はバクだったと考えられます。この話の続きは、奉公人の男が父親に殺されるという酷い結末ですけれどね」 「これ、僕がやっても同じように無にできないのかな」 「おそらく洸くんでも同じことが起きるでしょう。ただし、どんな条件下に置いても二度目の愛が無にならないかどうかは不確定です。これから先も、そんなことを試す勇気がある者は出てこないでしょう。だからその可能性がある、という話でしかないのです」 「それでも、この話は俺にとって希望です」 「えぇ。だからこそ、和樹は貴方たち二人にこの話を聞かせたかったのでしょう」

ともだちにシェアしよう!