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第4話 記憶3
◇
それは、大好きな兄弟たちと、イセイの成人を祝う杯を交わした時だった。兄のサイリューとイセイが飲んだお酒は毒味もされていて、口にしても何も問題が無いだろうと、その場の誰もが思い込んでいた。
しかし、そこには明らかに何かが仕込まれていた。体を壊すような毒は無くとも、人生に影響を与えるようなものが含まれているという可能性を、誰かが思い至らなければならなかったのだ。
それにも関わらず、彼らは二人で思い切り杯を煽った。そのすぐ後に、イセイはヒートを起こしてしまう。
胸壁を突き破りそうな程に暴れる胸、呼吸をする度に兆す熱、それを止めようと思えば思うほど、後孔は濡れていく。
そんなことが自分の身に起きるなどと彼は想像をした事も無く、どうすればいいのかを考えれば考えるほどに思考は混乱し、いつしかただ孕みたいという言葉だけが、その頭の中をぐるぐると回るようになっていた。
近くに立っていた弟たちが、オメガフェロモンに当てられてラットを起こしてしまい、イセイを押し倒した。驚く彼を気遣いもせず、合わせ襟を掴んで正装を引き裂く。
『——いやだっ! やめて!』
イセイは二人に抵抗しようとしたのだが、なぜか力が入らなかった。抗おうとしても及ばず、次第に絶望に飲み込まれそうになっていく。二人が彼の肌に唇を触れようとしたところへ、イファが間に入り事無きを得た。
イファは屈強な体の持ち主で、側室ながらも王の護衛を兼ねている。双子の彼らを両手で掴み上げると、イセイから少しでも遠くへいくようにと、軽々と放り投げた。
そうして、その体を大きく鳴らし、城内に緊急事態を宣言した。
『フェロモンテロが発生した! アルファは全員退避しろ! ベータはアルファを外へ連れ出せ! オメガはイセイをラクスへ連れて行け! すぐに行動するんだ!』
『——えっ?』
イセイは驚いてしまった。自分を娼館に連れて行けと、彼が愛しいと思っているその声が、そんな残酷なことを言っている。あまりのショックに、体の力が抜けていくようだった。
オルサラータの城内は、アルファだらけだ。イファのいう事は尤もで、イセイもこれがもし他のオメガのフェロモンテロであったなら、きっと同じことをするだろう。
ただ、その原因がイセイ自身である事が、彼にはどうしても受け入れられなかった。
——イファ、どうして?
その思いが、胸を締め付けていく。その苦しみは、一年が経った今でも彼の心に残っていた。
——欲しいのに。
イセイが初めて人を好きになってから、ずっと想い続けている人だった。
——イファが、欲しいのに。
でも、彼はイセイを娼館へ送れと言っている。
その命を受けて、城にいる僅かな人数のオメガたちが、一斉にイセイを取り囲み始めた。このままでは、間違いなくイファ以外に抱かれる事になるだろう。
——「誰かに慰めて貰えばいい」
イファはそう思っているという事だろう。そう考えると、イセイの心は涙に溶かされて消えていくような気がした。残るのは、空虚な穴ばかりだ。
——僕はイファがいいのに。イファの子が欲しいのに。
そう願うほどに、彼の体からオメガのフェロモンが噴き出していく。それに呼応するようにして、ラットに陥るアルファの数が増え始めた。
城内にいる王族と軍隊は、全員がアルファだ。その視線の全てが、イセイを劣情の渦に閉じ込めようとしている。赤黒く燃えるような目をして、彼を見ていた。
それなのに、イファだけはずっとそれを拒んでいる。
——「イファ」
イセイはただ名前を呼んだつもりだった。
しかし、その声はまるでイファを誘っているような響きをしていた。イファはそれを聞いて、ぐっと眉間に力を入れる。そうして、はっきりとイセイを拒んだ。
『ラクスへ連れて行け!』
そう叫ぶイファの顔は、困惑と嫌悪に満ちていた。
——『私はあいつをずっと忘れない』
彼はいつもそう言っていた。あいつというのは、彼のかつての運命の番の事だ。
イファは勲一等を持っている。それを手にしたのは、温暖な島国であるオルサラータを、大陸の国が乗っ取ろうとしていた時の大戦での功績を称えてのものだ。
その時、その勲一等と引き換えられるように、イファは番を亡くした。彼は戦死している。イファは、一生その番の彼を愛し抜くと決めているのだ。だから、城内でヒートテロを起こすような王子には、見向きもしない。そういう事だろうとイセイは思った。
それからラクスへ連れていかれ、一年の幽閉生活を過ごす事になる。その間、彼はずっとイファを嫌いになろうと努力した。
他のアルファに抱かれていたのだから、今更イファを好きだとも言えない。法的に許されたとしても、イセイには何事も無かったかのように彼を求める事は出来ない。
「国を繋ぐオメガにだって、心はあるんだよ、アンナ。でも、僕自身なんかより国の方が大事だっていうことも分かってる。分かってるんだけど、誰も僕を大切にしてくれないと分かっている場所に戻って来て、好きでも無い人の子供を産むのかと思うと、ね。ちょっとやりきれない思いはあるんだって、アンナには知ってて欲しかったんだ」
「イセイ様……」
しかし、彼はオルサラータの王子だ。どうにもならない事があるということを、きちんと理解はしている。
王家の者がオメガである場合、それは必ず世継ぎにならなければならない。長い間そう決められているのだから、それには従うしかないのだ。そうして、どこかのアルファを婿に取り、その人の子供を産んでオルサラータを繁栄させていく義務がある。
「早くイファのことを嫌いになりたいんだ」
そう呟いた頬を、きらりと涙滴が走る。
しかし、彼の悲運はそこまでだった。悲しく縮こまっている背中に、優雅で華やかな声音が降り注ぐ。アンナはその持ち主の登場に、ほっと安堵の息を吐いた。
「何をいうんだ。それではお前を呼び戻した意味がないだろう? 未来永劫、イファを愛すると誓うんだ。良いな、イセイ」
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