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第5話 オメガの治める国

「母上、それはどういう事ですか……?」  昼下がりの暖かな風を受けてやって来たのは、ジュオだった。と言うよりは、これまで近くで部屋に入るタイミングを伺っていたのだろう。なんの音も立てずに突然話し始めたため、イセイは驚いた。  しかし、アンナは彼が尋ねてくることを知っていたようで、動揺する様子は窺えない。ジュオに対して慇懃な態度で頭を下げると、何かを示し合わせたような目配せをしていた。 「僕はこれからアルファを婿として迎えるのですよね? それなのに、イファだけを愛せとはどう言うことですか。心はイファへ寄せたままで、白い結婚をするように言われるのですか? でも、それでは婚姻をする意味がないでしょう?」  イセイは母の言葉の意味が汲み取れず、困惑した。ジュオもそれは承知の上のようで、思った通りの反応をする息子を見てふっと息を吐いた。 「それはもちろんそうだ。そんな風に意味の無い事はさせんよ。お前はイファと番になる。そうなるように準備をして来たのだ。それを無駄にされては困る」 「——何をおっしゃってるのか、意味が分かりませんが……。準備とはどのような……」 「アンナ、最後の準備までは終わっているか?」  ジュオはイセイの言葉には答えず、アンナへと向き直るとやや冷えた口調で彼女にそう尋ねた。それはアンナにとってもあまり慣れたものでは無いようで、彼女は弾き飛ばされるようにして姿勢を正し、すぐに首を垂れた。 「はい、ジュオ様。最後の一滴までイセイ様へ差し上げております」  アンナはそう答えると、ちらりと視線をイセイに向けた。自分の事を話されているはずなのに、その言葉の一つも意味が理解出来ずにいるイセイは、次第に青ざめていく。 「母上、まさか……。僕に何か飲ませたのですか? もしかして、あの時の発情も……」  イセイはそう言って、母に詰め寄った。しかし、ジュオはそれでも何も答えない。その答えをくれたのは、アンナの尋常ならざる怯え方だった。それが意味することが何であるかは容易に想像がつく。ジュオが何かを企んだとしても、実行するのはその従順な侍女のアンナに違いない。 「アンナが僕の飲んだお酒に何か仕込んだのですね。あの時も、——もしかして、あれからずっとですか? それに、さっき目が覚めた時、口の周りが少しだけ甘くて……」  アンナは震えていた。  見ているとかわいそうになってしまうほどに震えているが、しかし、狼狽えていると言うよりは覚悟を決めているように見える。唇をキュッと真一文字に結び、一点を見据えたまま、イセイからの罵声を浴びる事に備えているように見えた。 「そうか、分かっているみたいだな。もちろん、アンナが自分で考えてお前に悪さをしたわけではない。これは、私が仕組んだ一年がかりの計画だ。彼女は私の命で動いていただけで、お前に対して何も悪いことはしていない。熟考を重ねた上で決定した一年だった」  ジュオはそういうと、ゆったりとした動きでイセイの前へと歩み寄った。そして、その目の前でゆっくりと腕を組み、ふんと鼻を鳴らす。 「意気地の無い幼馴染と息子のために、母が一肌脱いでやったのだ。なあ、イセイ。感謝されこそすれ、恨まれる謂れはない。アンナもそうだ」  ジュオの言葉に、イセイは目を剥く。母の言葉が信じられなかった。  アルファとしてこれから歩もうとしていた道を奪い、逸らされた道で必死に生き抜こうとしていた息子に向かって、何を感謝しろと言っているのだろうか。何一つ理解出来ず、彼は首を捻る事しか出来なかった。 「ど、どういう事でしょうか……。僕には全く見当がつきません」 「まあそうであろうな。そう簡単に理解されても困ることだ。では、まず今のお前の状態から説明しよう」  ジュオが視線を送ると、アンナは窓の外へと駆け出した。掃き出し窓の外の広い庭には、大きな桜の木が一本立っている。薄紅の花がまるで雪のように枝に纏わりつき、その重さに先端が地面を見つめるように垂れていた。 「イセイ様、こちらへ」  その木の下に、侍従たちが敷物を広げていく。そして、そこにはあっという間に花見の宴席のような光景が広げられていった。春の色合いに染まる飲み物と食べ物がいくつか並べてあり、その華やかな様子とこれから話す内容との乖離に、イセイは軽い眩暈を覚えていた。 「イセイ、座れ。少し話が長くなる」 「——はい」  胡座をかいて座るジュオの様子を見ていると、母としてというよりは王命のように聞こえたため、イセイは急いでその御前へ着いた。そして、正座をして礼をする。 「失礼致します」  ジュオの前に示された場所へと座り、低頭したまま彼の言葉を待った。 「面を上げろ」 「——はい」  許しを得て、恐る恐る視線を上げた彼の目に飛び込んできたのは、眉根を寄せて微笑む、優しい母の顔だった。 「全く、お前たちは本当に手がかかる。なあ、アンナ」  そのジュオに、アンナがまるで友人のように言葉を重ねる。 「左様でございますねえ」  その姿は、先ほどイセイへの無礼を悔いて震えていた人物と同じとは、到底思えないような穏やかなものだった。 「さて、イセイ。まずはお前の体のことからだ」 「僕の体のこと、ですか?」 「そうだ。実はな、今のお前は、アルファでもベータでもオメガでもない。もっと言うと、これまでお前はオメガになったことなど一度も無いのだ」 「——は?」  イセイは、あまりの言葉に必死に繕っていた慇懃な態度を崩してしまった。ジュオの思いもよらない言葉に素っ頓狂な声をあげ、何度かその言葉を反芻した。しかし、どう考えても、彼には母の言うことが理解出来ない。  この一年の間、イセイは二ヶ月に一度はヒートになり、その度に口輪をしたアルファに抱かれていたはずだ。自分は目隠しをされていたために、相手が誰なのかは分かっていないが、抱かれていたことは間違いない。  そして、その行為が五日ほど続くと、オメガフェロモンは落ち着き、彼も楽になれていた。あれがオメガのヒートでなくて、何なのだろうか。その思いが彼の頭をぐるぐると回っている。 「実は、お前はずっとアルファのまま、それよりも優位なアルファに抱かれていたんだ。あのヒートは、私の血を使って作り上げた擬似発情促進剤を使って、人為的に作り上げられていたものなんだよ。そうやって擬似ヒートを起こしたお前を抱かせて、あのアルファとの間に切れない絆を作らせていた。そのためにお前は一年間ラクスにいなければならなかったんだ」 「では僕は、オメガでは無いのに娼館でアルファに抱かれていたのですか? どうしてですか? なんのためにそんな事を……」  イセイは恐ろしいものを見るようにして母を見ていた。アルファとして生まれ、王家のために尽くそうと必死に積み重ねて来た努力を、彼はあの日一瞬にして奪われている。その虚しさを思うと、それは仕方が無いだろう。  しかし、ジュオとアンナはそれを聞いてもまだ呆れ顔のままでいた。示し合わせるようにため息をつくと、アンナは何かをするためにその場を辞していく。 「イセイ、お前はまだ何者でもない。そして、イファに長く恋心を寄せている。しかし、あのまま王家のアルファとして成人すれば、お前は領地を持ってそれを守り抜くために、城を出ることになるだろう。そして望まぬ相手と婚姻し、子を授かるかもしれない。——それで良かったのか? お前はそれで本当に幸せになれたのか?」  ジュオの問いかけに、イセイは混乱した。それでいいのか、とはどう言う意味なのだろうか。それは迷うことでも、その使命を疑う必要すらないと思っていた。それなのに、母はその是非を問うてくる。 「——意味が分かりません。王家のアルファは、そうやって生きていくものです。そのためでしたら、恋など諦められました。でも、今のこの状況で、この想いを捨てることは苦しいのです。どうして諦めさせてくれないのですか。何の望みもないこの状況で、イファを愛し続けろと言われても、僕には出来ません」  イセイは以前、僻地へ向かうことを望んでいた。運命の番を失い意気消沈するイファを励ますうちに、一度諦めていたのに再び燃え上がってしまった恋心。その火を消すためには、遠くへ行って離れてしまうしかないと思っていたのだ。  しかし、ジュオはそれを良しとしなかった。彼だけが、他の解決策を知っていたからだ。 「イセイ、よく聞け。オルサラータのオメガたちは、実は皆人為的に作り上げられた後天性オメガだ。私もそうだ。この国がオメガのものであるようにと、敢えてアルファに生まれてきた王家の男子を、一年かけてオメガへと変えるんだ。そして、その変化を生き抜いたものだけを母王として認めるようになっている。お前には、あと少しでその道が開けるんだ。私の言いたいことは分かるか?」  イセイは言葉を失くした。驚くことが多すぎる。言葉が分かっても、その意味が理解出来ない。 ——母王は人為的に作り上げられた後天性オメガ? 「後天性オメガ……それは、これまでの母王全てがそうだということですか?」 「そうだ。そして、お前はもう少しでそうなれる。つまり、私はお前にこの国を任せようとしているんだ。イファと番って、私とカルールの後を継いでくれ」

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