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第5話

新しく回されてきた仕事もひと通り終え、 明日からの休日に胸を膨らませながら鞄に荷物を詰めていく。 あぁ、そうだ。 …水筒も忘れないように気をつけなければ。 「えぇ〜、…ごほん。 前々から予定し、みなさんにお話をしていた親睦会の会場へ。 現在、申請された至急の仕事、必要な作業をしている者以外で向かいます。 それではみなさん、わたしについてきてください。」 耳に届いた言葉に驚き、デスクの上のカレンダーを目を向けたが、とくになにも書き込まれていない。 部長の言う親睦会の予定を聞いた記憶は、まったくないが、もしかして書き忘れてしまったのか…? 「さァ、夢乃さん。 このまま遅れると、部長のありがたいお話を聞くことになりますよ。」 桜井の声かけに慌てて鞄を持ち、ぞろぞろ部長の後ろでエレベーターを待つ同僚たちの後ろに並ぶ。 ただ二酸化炭素を交換しているんじゃないかと疑ってしまうほど、ぎゅうぎゅうに詰められ密集した空間は、通勤電車と同じほど狭く暑苦しい。 どうにかエレベーターを降りたあとは部長に気付かれない程度に、ゆっくり店に向かう。 「いらっしゃいませ〜〜!」 がやがやと騒々しい店内のなか、明るく溌剌とした声と笑顔を浮かべ駆け寄ってきた店員に、 「こちらに予約した西陽社と」 鼻高々な様子で話を進めていく部長をよそに誰ともなく、小さなため息を零す。 通された大部屋の空席が続々と埋まるなか、 どの席が一番、ましと思えるかを考える。 さらりと中間ほどの席に腰を下ろし、こちらに手招きをする桜井の姿に気が付き、隣の席へ腰掛ける。 「ありがとう、桜井」 「いえ、お気になさらずに夢乃さん。 ーそれよりも荒海くん、…部長の隣を埋めてきてはいかがですか」 眉を顰めた桜井の視線に右隣を振り返ると、 晴れやかな笑顔を浮かべた荒海の姿に、 自分たちの周囲を人一人分ほど距離を空け、座っている同僚たちの姿。 いったい、いつの間に。 今からでも違う席に移るべきか、 それとも諦めてこの席で過ごすか…この2人を仲良く並ばせて食事をさせるのは、別の問題が発生しそうだ…。 悩ましい問題に頭を抱える間にも、 「お気遣いをどうも。 俺は夢乃先輩の隣で美味しくご飯を頂きたいので、 たまには夢乃先輩と離れてはどうですか、桜井さん」 これ以上ないほど太々しい顔の荒海が、配られたメニュー表に目を通しながら軽い口調で桜井へ話す。  きりきり、痛みを訴える胃に思わず手をあて、 そっと桜井の顔を気付かれないように息を殺し、窺う。 寄せられた眉に、引き結ばれた口元、一度も見たことがないほど冷えた目でじっとり荒海を見つめている桜井に視線を逸らす。 …この状況をどうにかできないか、 助けを求めるため見渡した周囲からは息を合わせたように顔を俯かせ、目線を逸らす者やどこを見ているのかもわからない同僚たち。 唯一、助けになりそうな武本さんは、すでに部長や他の同僚と談笑し、視線に気付く様子もない。 胃の痛みに諦めを含んだため息が、ひっそり溢れていく。 そうこうしている間にも、あらかじめ頼まれていたコース料理が次々と運ばれテーブルを埋めていく。 鶏肉やタコの唐揚げ、大皿のサラダ、 丁寧な飾りつけの海鮮刺身や、焼き鳥の塩にたれ味付けで仕分けられた皿。 「夢乃先輩はどれを飲まれます? 俺は生を頼みますが、」 「あァ、荒海くん。 余計な気遣いは不要です。 夢乃さんにはいつもの烏龍茶をお願いしていますので…。」 受け取ったメニュー表のページを捲る前に、桜井の気遣いと棘のあるひと言が耳に届く。 やっぱり…誰かこの席を変わってくれないだろうか 。 「助かったよ桜井、荒海もありがとう」 ひとまず、メニュー表をそっと戻し笑顔を浮かべる。 どうにもアルコールの類が苦手だ…。 だが、こういった場では酒以外の飲み物を頼むのは気が引けてしまう。 「夢乃先輩。 ここの刺身は、どれもまだ脈が残ってるみたいで…海の気配が舌に広がるほど美味しく堪らないっすねぇ。 先輩もどうぞ」 店の片隅に置かれた生簀のなか、悠々と泳ぐ魚たちを愉しげに見つめながら、荒っぽい動作で取り分けていく荒海の笑顔に、腰が引けていく。 「先輩、 そんな怖い顔しないでくださいよ。 俺はちゃんと、やわいところからじっくり噛み締めて味わうタイプです。 」 軽い声音だというのに、荒海の言葉からは妙な重みと圧が滲む。 僅かに身を震わせているイカに、鮮やかな赤色のマグロなどが彩り良く載せられた小皿が目の前に置かれる。 「そ、そうなのか。 それは…良い、食べ方だな……、?」 咄嗟に口から飛び出した言葉は、自分でもわかるほど頼りなく情けない返事だった。 荒海の言葉が、どうにもあの生簀を彷彿させ、食べづらい。 「荒海くん。 あまり夢乃さんを怖がらせるような表現は、控えるように…。」 呆れを含んだ声とともに荒海を冷えた眼差しを向ける桜井に慌てて握りしめたままの箸を動かす。 まずい、このままではまた胃が…、。 「あー…、いや、たしかに美味い。 それに…塩もついているのか」 ろくに醤油もつけずに放り込んだイカは、 それほど独特なぬめりも生臭さもなく、食べやすい。 「夢乃先輩、炭で焼いた魚も最高なんで、明日は俺の家でー「おっと、すみません。 荒海くん、…おしぼりが飛んでしまいました。」 白い物体が視界を横切った次の瞬間、 無防備な荒海の頬に大きな音をたてて、ぶつかっていた。 そのまま、ぽとりと机に落ちていくおしぼりに、 思わず何度もまばたきを繰り返す。 「あァ、夢乃さん。烏龍茶が届きましたよ。 それとサラダに、焼き鳥も取り分けてきましたの で…」 桜井から何事もなかったように渡された小皿に、 烏龍茶のずっしりと重く冷たい感触で、現状を認識した。 痛みに顔を押さえる荒海には、悪いが思わず感心してしまうほど美しい投擲だった…。 いや、違う、 …そんなことを考えている場合ではない。 しっかりしなければ…。 「だ、大丈夫か?荒海。 ひとまず、これで顔を拭いたほうが良い。 桜井も、もう少し気をつけるように。」 机の隅に転がる檸檬の残骸に、力強く搾ったあと手を拭っていた桜井の姿がよみがえる。 慌てて、未使用のおしぼりを荒海に手渡した。 「承知しました、夢乃さん」 桜井の穏やかな声音に、ため息を呑み込む。 「傷に檸檬汁が沁みて、いてぇな、、。 まったく、桜井さんは加減ってものを知らない、 それで夢乃先輩、さっきの話の続きなんですけど」 歯の奥にある暗がりを覗かせ、愉しげに呟く荒海に 耳を疑うが、桜井に怒っていないのなら問題ないと自分に言い聞かせて言葉の続きを待つ。 「よっ! 君たち呑んで、食べて、楽しんでるか〜?」 「ゲホッ」 突然の背後からの衝撃で飲んでいた烏龍茶が、 気管に入り込み、口元を押さて咳き込む。 同じ衝撃を受けたはずの荒海は、びくともしていない。 「ごめーん、夢乃くん」 荒海との間に、すっぽり収まった酒臭い武本さんは、通りかかった店員を捕まえて、新しく焼酎を 頼んで満足気に頷く。 「えぇ、それなりに。 武本さんも楽しまれているようで、何よりです。」 桜井が武本さんに素っ気なく返事を返し、こちらに手を差し伸べてきたのを断って滲んだ涙を拭う。 今日は、本当にとんでもない日だ…。 「こうして見回るのも、あたしの仕事のうちなんだよねぇ。 もう他の新入りたちには、挨拶してきたんだよ。 それで一応、荒海くんもみんなと馴染めてるか。 見に来たけど調子はどう? …おっ、この焼き鳥、美味いねぇ」 届いた酒のグラスを持ちながら、武本さんは桜井 の皿から焼き鳥を一本つまみ、のんびり噛みしめ る。 その間に武本さんの好みそうなものを小皿に纏めて手渡し、空いた桜井の皿には、代わりの焼き鳥をそっと置いた。 「そうっすねぇ。 気遣いありがとうございます、武本先輩。 料理も酒も美味いですし、夢乃先輩も桜井さんも 色々と気にかけてくれてるんで…。 まあ、それなりに楽しめてます。」 荒海は人懐っこい笑みを浮かべ、武本さんと軽くグラスを合わせ、朗らかに話をする姿からは先ほどまでの暗がりは消え失せていた。 「うん、それは良かった〜。 荒海くんは仕事の覚えも速いし、 仲良くお話する先輩たちもそばにいるから、あたしも楽!」 からから、グラスを振り回して笑い声をあげ、 あまりの手につけられていなかった料理に、焼酎を楽しむ武本さんのおかげで緊張が解けていく。 とはいえ、懇親会での新入社員たちの見回りに、 過度に羽目を外し過ぎていないか。 席を確認して回る武本さんは、相変わらず忙しいようだが、、。 「武本さん。 もし良ければ、このまま私たちとともに過ごしませんか。」 「夢乃くんのお誘いなんて、…新人の頃以来だねぇ。」 しみじみと呟く姿に、手元のグラスを緩く揺らす。 たしかにこうして、武本さんと肩を並べて話をするのもいつ以来、だったか…?。 「うーん、まだ他の席も、部長のところにも行かなくちゃ、いけなくってさぁ。 そうだ、夢乃くんも一緒に回る?」 「…あっ、大丈夫です。」 「えぇ〜、、断るの速くなぁい、もう」 弾んだ声で誘われた内容を間髪入れずに、さっさと断ってしまい、不貞腐れてしまった武本さんに罪悪感が込み上げる。 だが、たいして親しくもない同僚たちの間も、 すでに顔を赤らめて大声で不明瞭なことを話している部長ともなるべく関わりたくない。 この際、桜井、荒海のどちらかをお供として、 連れ出してくれないだろうか。 そんな邪な考えにもごもごと口を開く。 「ー武本さん…」 しかし、それも役割をお互いに押し付け合う2人の姿が容易に思い浮かぶ。 「夢乃さんのことは、僕たちにお任せください。 それと…、こちらをどうぞ。」 頭を悩ませている間にも、涼しい顔の桜井が新しい焼酎の瓶に、つまみの皿を武本さんに手渡す。 「部長に呼ばれてますよ、武本先輩。」 荒海がビール片手に談笑している部長の席を指差して、太々しく武本さんへわかりやすい嘘をつく。 僅か数秒ほどの驚くほどの連携に、間抜けにも口が開く。 「君たちさぁ…、仲いいじゃん。 ま、夢乃くん。 困ったことがあったら、いつでもあたしに言うんだよ」 呆れを含んだ声で軽く肩を叩き、焼酎瓶と小皿を受け取った武本さんが、 「どっこらせ」 そんな渋い掛け声とともに立ち上がり、 去っていく姿に伸ばしかけた手を引っ込める。 あぁ…、行ってしまった。 そんな諦めと後悔を烏龍茶とともに呑み込む。 …たしかにここの焼き鳥は、酒との相性は悪くないだろうが、 どうにも炭と塩の味が濃ゆく、甘辛く粘度の高いたれが口の中にへばりつき、…喉が渇く。 「夢乃先輩、今度は俺が取りますよ」 「いや、もう…食べられそうにないから大丈夫だ。」 新しく運ばれてきた料理に手をつける気になれず、 荒海に断りを入れて、新しい烏龍茶を飲む。 胃の中に無理やり押し込んだ食べ物が、主張するように重くせり上がってくる。 「夢乃さん、そろそろ」 桜井の声かけに辺りを見渡し、荒海にも声をかけたあとは周囲の皿や散らばったゴミを纏めておく。 がやがやとした話し声が小さくなり始め、代わりに皿や椅子のぶつかる音が響く。 「帰り支度、済みました。」 首を傾げながらも素直に荷物を纏めた荒海に、 部長を指差した。 「そろそろ…部長が武本さんに潰されて解散だ。」 静まり返った店内のなか、 「うぇっぷ、た、たけ」 「あれ、部長。 グラスが空ですよ、ささ、もう一杯!」 武本さんが高らかな声で、青褪めた顔で何かを言い掛ける部長の声を遮り、空のグラスに中身を注ぐ。 いつも通りの流れとはいえ、部長もなかなか懲りないものだ…。 もはや、意識があるのかもわからない部長をしっかりとした足取りで支えながら、出口へ向かう武本さたちを見送った。 「あ~、みなさん。 本日の懇親会は…、これにて終了とさせて頂きます。 あとはそれぞれ、各自の判断にお任せ致しますので…それでは」 武本さんに去り際に肩を叩かれた倉内さんが、気怠げに話をしたあとは支度を済ませた者から順に店をあとにしていく。

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