6 / 11
第6話
店の外には、どれも同じようなスーツ姿が行き交い、判別のつかない臭いや音で溢れていた。
すでに別れの挨拶を告げたあと、駅へ去っていく同僚に、仲の良い集団で何処かへ歩いていく姿を横目に道の隅で立ち止まる。
真っ直ぐ家へ帰るか、それとも明日の休みに備え、纏めて買い物を済ませておくか。
疲れ切った頭では…、どうにも上手く考えが纏まらない。
「夢乃先輩もどうすか」
箱から押し出され、飛び出した一本に首を横に振るると、そのまま取り出した箱にライターを懐へ仕舞おうとする荒海をとめた。
「すまない、吸わないんだ。
私のことは気にしなくて良い」
カチリと大きく音を立て、煙草の先端へ火を着け、
深く吸い込む荒海の弧を描く瞳から目が逸らせない。
「たまぁに吸ってんすけど、これがなかなか」
ドーナッツのような形をした煙が、ぷかぷか浮かんで宙へと舞い上がっていく。
「荒海は器用だなぁ」
思わず溢れた呟きに、さらに口元を緩ませた荒海には煙草が良く似合う。
今まで味の良さや満足感について語られてきたが、
一度も経験してみたいとは思わなかった。
しかし、こうして煙を眺めるのは案外、面白い。
「荒海くんと遊ぶのは結構ですが、
夢乃さん、そろそろ、雨が降り出します」
蝿を払いのけるように手を動かし、
煙を散らした桜井の声かけに見上げた空には、灰色に黒の雲が空を埋め尽くしていた。
「買い物は諦めて家に帰るか。
それにしても…ここ最近、よく雨が降る」
家に着くまでに降られなければ良いが…、。
「まァ、いいじゃないですか、夢乃先輩。
打ち上げられた魚みたいに、干からびちまうよりもマシじゃないすか。」
心底、うんざりした様子で髪の毛を整える桜井とは対照的に荒海は、嬉しげに煙草の火を消す。
「たしかに干からびるのは嫌だな。」
また…独特な例えだが、荒海の言葉には妙な説得力がある。
それにここ最近のニュース番組は、どれも猛暑による影響で干ばつについてばかりだ。
きっと、荒海もそのことを話しているのだろう。
「さァ、2人ともはやく行きますよ」
混雑した道を歩き始めた桜井のあとを荒海とともに歩く。
駅構内にはぽつ、ぽつ人の姿が見えるが、予想よりもずっと少ない。
雨が降り出したら、急いで家へ帰ろうとする人々でホームは混雑し始め、並ぶのも大変だ。
「お先にどうぞ、桜井さん」
「遠慮せずにどうぞ荒海くん」
もう少しで到着する電車へ乗り込む最後尾で延々と、お互いを先に並ばせようと小競り合いをする姿
にこめかみを押さえた。
だが、この2人に任せていては電車の到着に間に合わない…。
「ー桜井」
「…………承知いたしました。」
重たい沈黙のあと、渋々列に並んだ桜井には申し訳ないが…、電車に乗り遅れてしまうほうが問題だ。
「夢乃先輩、それじゃ失礼します」
「ありがとう、また休み明けに」
桜井の後ろへ、間を開け並んで振り返った荒海の手から透明な包みを受け取る。
無事に電車へと乗り込む2人の姿に、胸をなで下ろしながら見送った。
ガサガサ、手の中で音を立てる深い青色の大きなあめ玉はサイダーの味か、それとも違う味なのか。
…桜井も、荒海も甘い物が好きなところは似ている。
電車の窓からはしばらくやみそうにない。
ざあざあ、激しく降り注ぐ雨の景色が覗ける。
びしょ濡れで電車に駆け込み、滴る水滴に張り付く衣服は嫌いだ。
「次はー」
聞こえてきたアナウンスに、鞄とあめ玉をしっかり握りしめる。
大きな揺れのあと停車した電車から降りていく。
湿った地面の独特な匂いは、どうしてか嫌いになれない。
先ほどよりも緩やかな雨粒には気が滅入るが、。
あめの包みを開けて放り込む。
舌の上をころころ転がって、時々歯にぶつかる。
期待を裏切らない砂糖の甘さ、少し塩が混じったサイダーの味は、ずいぶん懐かしい。
子供の頃はよくたくさんの色に、味の種類が入った袋をじっくり眺めて、一番始めに食べる味を選んだものだ。
結局、最後の方にはいつも同じ味が残るというのに…。
普段は足早に通る帰り道も、ゆったり落ち着きを持ち歩く。
一回りほど溶けたあめ玉から、しゅわしゅわ泡が立ってあっという間に溶けていった。
自宅の扉を開け、靴を脱ぐ。
真っ暗で静まり返ったリビングは、どうにも人恋しさを抱かせる。
ゴミ箱へ空の包みを捨て鞄を置いたあとは、
リモコンのボタンを押し、流れる映像をそのままに浴室に向かう。
少し前にに購入した入浴剤の箱から取り出し、浴槽の中へ放り込む。
身体を洗う間、溶けた入浴剤がお湯へ色を移し、
破片のような形で浮かんで消えていく。
疲労の溜まった身体には、温かいお湯が染み渡る…。
雑誌やテレビで見掛けるような、遠くの温泉街を訪れるのも悪くないかもしれない。
見上げた天井に張り付いた水滴が、大きな粒をなして、ぽたぽた滴り落ちていく。
通気性の良い寝間着に着替え、椅子に腰掛ける。
「えっ、ほんとに幽霊が…!」
大袈裟な悲鳴で同じ場面が切り抜かれ、
何度も繰り返される映像に嫌気がさして、リモコンを手に取り電源を落とす。
鞄から取り出したスマホを片手に持ち寝室へ向かう。
そのまま枕元へ置き、枕に頭を載せて息を吐き出す。
今日は…、夢になにもでなければ良いが…。
ただ、眠ることへここまで…憂鬱な気持ちを覚えるとは考えてもいなかった。
何度も瞬きと頭の位置を変え、
どこかで見かけた呼吸に合わせて意識を手放す方法を試し、ゆっくり微睡む。
ばっしゃ、聞こえてきた音に重たい目蓋をこじ開け、霞んだ視界で見上げた頭上には無数の星が浮かぶ、美しい夜空が広がっていた。
自分の脳みそが作り出した、ただの空想だとそう言い聞かせても目が離せない。
ようやく見下ろした地面すらも、僅かな縋る思いを打ち砕く。
底が見えないほど深く開いた水の穴の上を丹頂や変わり種などの錦鯉が尾鰭を揺らし泳いでいく。
さらにその下では、光を放つイソギンチャクのあいだからオレンジと黒の魚の体がちらりと覗く。
水面に立つ自分の姿に頭を抱えてしまいそうだ…。
夢というものは…、本当に理解できない。
風も、音すらもなにも感じない。
だが、視界に入るさざ波、時折上がる水飛沫は、
ーまるで、本物のようだ…。
足を踏み出す気にもなれず、なぜか着ているスーツのポケットへ指を入れ中を探る。
紙切れでも、この際…あめ玉の包みでもいい。
ひたすらに中を探り続け、胸ポケットへ押し込まれた布の感触に手繰り寄せ指先で掴み取り出す。
「これは」
紐や鷲の刺繍が汚れ、型崩れをおこして分かりづらいが、たしかに桜井から受け取ったお守りだ。
スマホのケースに仕舞ったまま、胸ポケットへ入れた覚えはないが…、。
『___』
背後から聞こえてた音へ振り返った途端に、
背丈をゆうに超える波の高さが少しの猶予もないまま、容赦なく覆いかぶさる。
「うッ、」
口の中へ入り込んだ水を咳き込みながらも、どうにかすべて吐き出す。
慌てて握り込んだ手のひらを緩め、なかを覗き込んだが、…桜井のお守りがない。
次から次へと自分の夢だというのに…、問題ばかりで本当にうんざりする…。
苛立ち混じりに水面へ手をつき立ち上がったあと、張り付いた髪の毛をかき上げ、落としたお守りを探す。
桜井のお守りは、スマホケースのなかにあるはずだ。
だから、きっと大丈夫だ…。
ーいや、夢とはいえど失くすのは悪い、早く見つけなければ…。
踏み出そうとした足が、気付かないうちに足首まで足元の水へ浸かって、足先すらも動かせない。
『---』
どうにか引き抜くため、身体を捻ったりと可能なことはすべて試してみたが、無駄に体力を消耗して終わった。
まったく、どうして夢でもこんな目に…。
荒い息とともに滲んだ汗を拭いながら水中を覗く。
相変わらず、優美に泳ぐ錦鯉のなか、一匹のぷくぷくした身体で小さな鰭の金魚がお守りの紐をくわえ遠くへ離れていくのが見える。
追いかけようと伸ばした手が水面へ触れる寸前で、
思い留まる。
ーこれは夢で…、実際に失ったわけではないんだ。
『---』
落ち込む自分を嘲笑っているのか、耳に届く楽しげな音は不愉快で堪らない。
また、あの鳥が現れるまで、待つしかないのか?
現状を打破するための考えを巡らす間も、気の所為でなければ、少しずつ水の中へと引き込まれていく。
まるで噂に聞く蟻地獄か、底なし沼のようだ。
いったい、このまま完全に沈んだ先には…なにがあるのか。
視界を横切った真っ直ぐ伸びた黒い背びれは鮫か、それともなにか違う生き物か…。
どれもこれも、頭を悩ませるばかりで少しの助けにもならない。
さきほどまで泳いでいたはずの魚たちの姿が、
どこにもなくなっていた。
頭を埋め尽くす不安に、恐怖が心臓が激しく鼓動する。
ただ、静かに時間だけが流れていくことに耐えられない。
『_____』
突き上げる水、音すらなく足元を横切る黒と白の大きな姿に目蓋を強く閉じる。
ふと耳に届いたバサ、バサと言った可愛らしい羽ばたき音ではなく、まるで、ヘリのような激しい音を立て飛び、頭上から急降下してくる巨大な鷲の姿に安堵のため息をつく。
脚先の鋭い爪に覚悟を決めたが、予想に反して優しく両肩を掴まれ、あっという間に引き上げられ、
急上昇していく。
舞い落ちる羽根が水面へ触れる前に、鮫よりももっと大きな黒い身体が、激しい水飛沫とともに水面を勢いよく飛び出し、足先へ近づいてきた白い模様の口から覗く鋭い歯に血の気が引く。
さらに力強く羽ばたいた鷲のおかげで、どうにか逃れることはできたが…、もし齧られでもしていたらどうなっていたのか。
張り付いた服も、吹き付ける風の感触すらも、感じない。
だが、空中へと浮いている感覚だけは本物だ。
少し振り返れば、体勢を持ち直し離れた距離を、
あっという間に縮めてくる黒と白の生き物の名前は、たしかシャチだったか。
映像でしか見たことがない生き物が、
どうしてここまで立体感を持ち迫ってくるんだ…。
果てなく広がる星空に、底の見えない水面しか、
見当たらないが、鷲は迷う素振りすらなく真っ直ぐに飛ぶ。
どれほどの間、揺られていたかはさっぱり分からないまま、突然、視界へ飛び込んできた空を大きく突き抜ける巨大な木に驚く。
【__】
『__』
首を動かして後ろへ視線を向けた鷲の声は、
聞こえなかったが、どうやら勝ち誇っているようだ。
苛立った様子で荒々しく距離も気にせず、飛びかかろうとするシャチ。
何処かで見覚えのある姿に緊張も恐怖すらも薄れて呆れてしまう。
巨木の真ん中をくり抜いた、大きな樹洞の中なかへ運ばれていく。
「助かった、のか」
優しく降ろされた先で鷲へと礼を伝え、外を覗き込む。
『__』
複雑に入り組んだ木の根に阻まれ、ぐるぐる水中を苛立った様子で回るシャチは、視線に気がついたのか、無理にでも押し切ろうと根っこへ体当たりを始めてしまった。
思わず、穴から乗りだそうとした身体を遮る、
見た目に反して、ふわふわとした柔らかいシナモンの香りを纏う羽に押し返され、硬い嘴で背中を押され、そのまま奥に整えられた木の枝へ尻餅をつく。
出入り口の穴の前へと立ち塞がったあとは水気を払い、羽を整える優雅な鷲は本物の桜井と変わらない。
妙な感心を抱いたことに気が付かれたのか、
鷲の呆れたような眼差しにそっと視線を逸らす。
…こういう所も、まるで桜井だ。
やけに人間くさい仕草で首を左右に軽く振り、
大きな脚で開いた距離を詰め寄ってくる。
普段、見掛ける鳩や雀とは比べ物にならない大きな身体、猛禽類特有の精悍な顔つきに後ずさるが、
そんな事を気にもとめない、歩み寄ってきた鷲の瞳と再び目線が合う。
ー熊と出会った時は、視線を逸らすなとよく聞かされたが…、。
人、一人丸呑みできそうな鳥の場合は…、どうしたら良いんだ。
駆け巡る思い出を振り払い、今更、危害を加えられることはないだと自分に言い聞かせる。
俯いた顔すらも覗き込む鷲のゆったりとした動作で繰り返される瞬きに、深く息を吸い込む姿は眠気を誘う。
ー夢の中でも眠るというのは、おかしな話だ…。
それでもこの夢から解放されるなら、何でもいい。
硬い木の壁に背中を預け、暗闇に身を任せる。
ともだちにシェアしよう!

