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第7話

「は、」 頭上で鳴り続けるアラームを消し、重怠い身体を起こし、着替えを済まる。 普段通りの朝のニュース番組を聞き流しながら、 最後の食パンにバターを塗って、もさもさ頬張っていく。 外に買い出しに行くのも億劫だが、朝の手軽な食パンすらもなくなってしまった。 使い古したメモ帳へ必要な日用品や消耗品を書き出したあとは、財布とスマホを片手に家をでる。 この地域には何でも揃うような大きな店は、ひとつしかない。 車も人も商品も所狭く並び、混雑した店を周るのは、ひと苦労だ。 所々に並んだ梨に、秋刀魚は猛暑やあっという間に訪れる寒さで、忘れがちな秋の訪れを思い出させる。 必要なものをすべてかごの中へ詰め込み、 かごの中身が少ない人の後ろへ並びなおす人に、 壁かけの時計、スマホを見ている人など様々な姿で、長蛇の列をなしているレジに並ぶ。 たくさんの物が値上げを繰り返し、ビニール袋が有料となったのもずいぶん昔だ。 忘れるたび、新しく購入したマイバッグが、いくつもの部屋の隅で出番を待つ。 どうにか見つけた隙間へかごを置き、荷物を手早く詰め込んだあとは、店をあとにする。 昨日の帰り道で、買い物を済ませていれば良かったか…。 少し前まで絶え間なく、鳴いていた蝉の声もそれほど聞こえない。 気が付かない間に、僅かな名残りを残して季節が変わっていく。 暑さと眠気でぼんやりする頭を横に振って、気力を振り絞る。 新しく購入した洗剤を詰め替え、他の荷物を片付け椅子へ腰掛ける頃には、テレビのリモコンを取る気力すらもない。 桜井の助言通り、少しは軽い運動をしたほうが良いのは分かっていても先送りを繰り返してしまう。 こうしている間にも、襲いくる睡魔に負けそうだ。 ふと見えた壁へ張り付けられたカレンダーは、何ヶ月も前の日付で進んでいない。 「はぁ、まったく」 こんなにも簡単なことすら、忘れていたとは…。 ゴミ箱のなか、重なり合い丸まった紙にため息を落とす。 立ち上がったついでに、取り出した冷凍食品を レンジにセットして、コーナーの溜まったゴミも、そのままゴミ袋を纏めておく。 熱い湯気をあげる容器に、お茶を注いだコップを机に並べ、箸を手に取りたれの付いた鶏肉と白米を少し冷ましながら口の中へ放り込んだ。 手間や後片付けが省けて、失敗もせず簡単に美味しいものが食べられるのは最高だ。 「夢乃さん…偏った食生活は寿命を縮めますよ」 健康診断の日、桜井へ普段の食生活について話した時の冷ややかな眼差しと呆れを含んだ声音で掛けられた言葉を思い出し、食後の青汁を用意し一息に飲む。 溶けきれなかった粉のじゃりじゃりとした舌触りを注いだ水で喉奥へ流す。 棚の隙間やTVの裏など埃を払い、床を綺麗に磨き上げ、緑色の身体を黒へと変えてしまった、ぷよぷよのサボテンを少しの後悔ととも処理を終わらせる。 夏も残り少ないが、血を吸う蚊やダニ、蟻は秋だろうと変わらない。 新しく購入した虫避けを至る所へ設置しておく。 すり下ろした大根に、なんとなく買ってしまった調理済みの秋刀魚、サラダを並べ早めの夕飯を摂る。 これで少しは桜井に心配をかけることはない。 ゆったりベットでくつろぎ、スマホで適当な動画を ひたすら眺める間にも就寝時間が迫りくる。 専門的な診察を受けたほうがいいと分かっているが、どうにも気恥ずかしさなどで足が遠のく。 少しでも気を紛らわせるため、次々と動画を飛ばしては、結局、何一つ集中して見られなかった。 ふと頭のなかを横切っていったぷくぷくの金魚に、 ベッドから飛び起きる。 あれ、は、…夢なんだ。 ぶるぶる、情けなく震える指先で、桜井のお守りを探す。 「ーな、い」 脳みその指示が効かない指を無理やり動かし、ケースの中身も、鞄すらもひっくり返した。 磨いた床の上を散乱する物をひとつ、ひとつ仕舞いなおす。 だが、お守りだけはどこにも見当たらない…。 いったい、いつ…どこで失くしたのか、 まさか、、あの夢、は本当に現実と関係が、あるのか。 ーもし、そうだとしたら、 あの鷲が現れなくなった時、どうなってしまうんだ。 いや、羽根はあるはずだ。 慌てて枕をどかし、見つけた羽根を握りしめ、ようやく息を吸う。 「ー良かった」 ふつふつと湧き上がる不安、恐怖でどうにか、なりそうなか、椅子へ腰掛ける。 明日、…お守りを失くしたことを桜井へ謝らなければ、。 纏まらない思考のなか、時計の針を覗く。 あぁ、早く眠らなければ…仕事にも支障をきたしてしまう。 だが、夢のことを考えるだけで憂鬱だ。 いったい、どうすれば良いのかも考えつかないまま刻々と時間が経過していく。 ひとまず、今日はこのまま、目蓋を閉じてアラームが鳴るまで身体を休めよう。 それに、椅子なら深い眠りにはつかないはずだ。 握りしめた羽根を胸ポケットに仕舞い、背もたれに寄りかかる。 翌朝のぎしぎし、痛む身体を椅子から引き剥がして、纏わりつく疲労、睡魔を振り解く。 取り出した眠気覚ましを一息に飲み干す。 口内に残る苦く不味い後味の悪さに咳き込む。 朝の準備へ取り掛かるが、疲れ切った身体のおかげで、時間がどんどん縮まっていく。 ベッドで身体を休めなければ…、疲れも気分も優れない。 しかし、そのためには、夢もみないで眠る方法を見つけなければ…。 草臥れた鞄を持ち、家をあとに到着した電車へ乗り込む。 電車の中へ充満する様々な臭いに、熱気にくらくら意識が遠のき、握ったつり革を離しそうになる。 聞こえてきたアナウンスに扉の前へ立ち、開いた瞬間に急いで降りて改札口を通り抜けた。 建物に映り込んだ顔は、自分でもわかるほど血の気なく、倒れ込みそうだ。 今からでも遅くない、…今日は会社を休むか。 「夢乃くん、キミが休んで普段よりも仕事が増えて大変だったよ。 社会人なら、もう少し自己管理を気をつけるべきではないかね?」 「他の人間へかけた負担の分、いつも以上に働いてもらわないと困るんだよ夢乃くん」 体調不良で休みを申請し、快く返事をした部長へ、少しの感動と感謝を抱きながら復帰した日に回された大量の仕事。 取り掛かる間も、ちくちく何度も同じ内容を繰り返す部長に周囲の好奇…。 あの日を思い出しただけでも、心底うんざりする。 明日は創業記念日だかなんだかで、どうせ…仕事は休みなんだ、 今日を乗り越えさえすれば良い…。 会社ですれ違う同僚たちへの挨拶すらも体力を削り取っていくが、しないわけにもいかない。 自分のデスクへたどり着く頃には、意識を保つことで精一杯だ。 せめてもの眠気覚ましに購入した世界一苦い!と、謳い文句で並んでいた珈琲をちびちび、飲んで準備を進めていく。 「おはようございます、…夢乃さん。」 突然、背後から聞こえてきた声に動きを止めて、 ゆっくり後ろを振り向く。 「あ~、…桜井。 おはよう、実は…。」 気まずさに足元へ視線を落として、もごもごと歯切れ悪く言葉を考える。 せっかく、桜井が贈ってくれた物を失くしてしまったことを話さなければ…ならないが…、許してもらえるだろうか。 「ー夢乃さん、お守りを落とされていましたよ」 「よかった。 実は、失くしてしまったことを謝らなければと思っていたんだ、、ありがとう」 呆れたような声音で、桜井の手のひらへ乗せられたお守りを受け取るために触れた指先ごと掴まれ、 思わず、顔をあげる。 「桜井…、今日はなんだか、いや。 それよりも悪かった」 普段、身だしなみを気にする桜井の髪の毛は乱れ、体温も低い、それに指先の爪も少し伸びて鋭く伸びていた。 「いえ、怒っていません。 あァ、これは少し…、気にしないでください。」 穏やかな声音で僅かに目元を緩ませ、満足気に掴んだ手を呆気なく離して、去っていく後ろ姿を見送る。 桜井もなにか、悩み事があるのか?、あとで話を聞いてみるか…。 桜井との握手のあと重怠い眠気、疲労が引いて、 思考が明瞭になったようなったような…、、。 手のなかにあるお守りは、幸いにも汚れや破れは見当たらない。 それどころか、まるで新品のように綺麗だが、 …流石に気の所為だろう。 失くさないように、気をつけなければ…。お守りを仕舞う。 再び、苦く粉のような珈琲で眠気を払い、 少しでも早く上がれるように仕事を進めていく。 ようやく訪れた昼休憩に背伸びをして、椅子から離れる。 このまま、ただ時間が過ぎるのを待つうちに眠ってしまいそうだ…。 この近くにある店で、睡眠サプリでも見てみるか。 見渡した周囲のどこにも、幸いなことに桜井も荒海のどちらも見当たらない。 急いで会社を抜け出し、近くにあるはずの店を目指す。 何度か、スマホで道を確認しながらも、辿り着いた店は、前の名前をそのままにリサイクルショップへと変わっていた。 毎日、この近くを通っているというのに…。 肩を落とし、近くのコンビニで適当に購入した眠気覚ましに、惣菜パンが詰まった袋を片手に会社への帰路につく。 「そこのお兄さん。 よかったら、人生のお悩み相談していきませんか?」 目の前に立ち塞がったマレットヘアの髪型に、 奇抜な服装も至る所に着いた装飾品は、すべて色とりどりで視界へ入り込んで主張が激しい。 「いえ、…間に合ってますので」 視線を逸らし、横を通り抜けようとしたが上手くいかないどころか肩を掴まれ、ぐっと顔が近付く。 …意外なことに湿った苔のような、竹ような爽やかな森林の匂いが男から漂う。 何処かで、嗅いだことあるような…。 「まぁまぁ、 そんなに急がんとゆっくりお兄さんの話、聞いたってな。 すこぉし、この輪っか覗いてみ」 「はぁ」 どうして、こんな人通りのない裏道を通ってしまったのか、大人しく会社で時間を潰すべきだったかもしれない。 時計を確認し、仕方なく爪先まで彩られた指で作られた綺麗な丸を覗く。 「ーは、手品か…? いや、また…夢なのか」 「残念やけど、手品でも夢でもないんよ。」 片方の視界には、いつも通りの街並みが広がって なんの異変もない。 だが、覗き込んだ丸の中へ広がる光景は、 すべての建物が、ぼよぼよ不規則に揺れぼやけ、 くるぶしほどの高さの水位が街に広がって、時折、小さな水飛沫が飛ぶ。 思わず、溢れ落ちた呟きすらも男は、ゲラゲラと笑い、転げながらすべて否定してくる。 男の言葉を無視して、自分の腕を力強く掴んだ。 ずきずき、皮膚や骨が軋むのを感じる。 つまり、…これは夢ではない…。 「キミの知りたいこと…ボクが全部、教えたるよ」 耳元に囁き語りかけてくる心地よい中音域の声に、息を呑む。 「ーなんでも…、もし、それが本当なら。 いま、教えてくれないか」 「ま、でも今は時間が足りひんし、 仕事終わりにまた一人で来てや。だぁれも連れてきたらあかんで〜。」 ひらひら、手を振りながら去っていく胡散臭い後ろ姿をじっと見送る。 男の言う通り、たしかにそろそろ、会社へと戻らなければいけない時間だが…、到底、仕事をするような気分ではない。 見ず知らずの人間を信じて、ここへ来るのは危ない。 …だが、あの男が見せた光景は信じ難いことに現実だ。 いろいろと考えたい問題はある。 ひとまず、昼食は諦め急いで自分のデスクへ向けて走り出した。 軽い息切れに、滲んだ汗を落ち着かせて椅子へ腰掛ける。 「夢乃先輩。 明日は俺と昼、行きませんか」 「…2人で行こう。 その代わり…桜井には内緒だ。荒海」 満足気にニンマリ笑った荒海から視線を逸らし、手を動かし仕事を進めていく。 まるで桜井を除け者にするようで悪いが、 これ以上、荒海の誘いを断るのも申し訳ない。 それに荒海とともに、昼を摂りに行くことを桜井へ知られでもしたら…また、諍いが起きる。 「探しましたよ、夢乃さん…。 昼間はどちらでお過ごしでしたか」 「すまない。 …少し遠くの店へ足を伸ばしていた、なにかあったのか」 顔に掛かった髪の毛を苛立った様子で払いのけ、 乱暴に椅子へ座った桜井の珍しい姿に驚く。 なにか、ミスをしてしまっただろうか。 「いえ…すみません。 少し、夢乃さんのことが気になりまして…。」 「気にかけてくれてありがとう、桜井。 でも、まだ明るい時間だ。心配…ない」 脳裏に昼間の変な男が浮かんだが、 特に…何もなかったので問題ないだろう。 詰まった言葉に、怪訝そうな桜井のじっとりとした視線を交わし、苦い珈琲を一口飲む。 「はぁ、夢乃さん。 最近は物騒な話も多いので、気を付けてください。」 桜井の呆れたようなため息と小言に頷く。 まさか、退社後に怪しい人間へ1人で話をしにいこうとしているなんて…。 桜井にバレたら、…小言だけではすまないだろう。 後ろめたい気持ちを誤魔化すために書類を手に取る。

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