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第38話 弁護士事務所での実務研修

 何を食べたかも覚えていない。店を出て、一緒にタクシーで送ると言う木原を、なんとか押しとどめて一人タクシーに乗って帰ってきた。  木原は自分がゲイと知っていた。結人にはゲイと自覚したことはない。だが、男の恋人がいる以上、ゲイなんだろうとは思う。  しかも受け身ともまで、匂い? もしかして玲の言う匂いと同じもの? 結人は自分で体を嗅いでみるが、分からない。  その時、着信音が鳴る。祥吾からだ。 『おーっ、帰ってたな』 「白々しいな、僕がどこに行ってたか知ってるんでしょ」 『まあな、なんで今日は教育係とレストランなんか行ったんだ? 高級レストランだろ』 「弁護士になったらうちの事務所に入らないかって」 『それだけか?』 「若先生のこと調べたんでしょ?」 『若先生? ああ、教育係か、まあな』  結人には、祥吾が調べ上げていることはお見通しだ。どこまで知っているのか? 今はそれが知りたい。この混乱から解放されたい。 「どこまで知っているの? ゲイってことも?」 『なんで知ってるんだ! なんか言われたのか?』 「やっぱり、どうしてゲイって分かったの?」 『二丁目に出入りしている。特定の恋人はいないようだが、時折男を買っている。そういうやつだぞ、相手をするな』 「恋人がいないなら、責められることじゃない。祥吾さんだって散々遊んだでしょ」 『それはそうだが、お前に手出ししないかって、心配なんだよ』 「正式に申し込まれたよ」  祥吾に爆弾が落ちる。 『はっ、はーっ、断ったよな』 「うん」 『うんって、断ったのか』 「断ったよ、恋人がいるって」 『そうか、で、そいつは諦めたのか?』 「いや、よく考えてくれって」 『冗談じゃないぞ! もうあそこの事務所には行くな』 「そういうわけにはいかないよ。研修あと一週間だから」 『何とかならないのか?』 「ならない。研修は終わらせないと最終試験を受けられない。そうなると弁護士になれない」 『そうか……心配でたまらんが、仕方ないのか』 「それって、僕を信じてないから」 『いや、お前のことは信じている。だけど、お前に魅力があるのは確かで、だから心配なんだ。お前のことが大事なんだからだよ』 「魅力って……僕が受け身だって、匂いで分かるって言われた。玲くんからもいい匂いって言われるけど、そうなの? 自分で嗅いでも分かんないけど」 『そんなことまで言われたのか? いかん、益々心配になってきた。そうなんだよ。お前には何というか男を惹き付ける匂い立つような魅力があるんだよ。頼むから自覚してくれ。そんで、自衛してくれ。無防備過ぎるんだよ』 「もう、大げさだなあ。魔性の女じゃあるまいし」  祥吾には全く大げさじゃない。自覚して、自衛して欲しいのは、切実な思いなのだ。  祥吾の心配とは裏腹に、結人は重苦しかった気分が、祥吾と話していくらか晴れてきた。  ただし、釘は刺しておかないといけない。 「僕のこと思っているなら信じて、何もしないでね。ここで祥吾さんが何かすると話がおかしくなるから。あと一週間平穏無事に終わらせないと、下手すると弁護士登録できなくなるから」 『分かったよ。分かったけどお前も気を付けろよ。なんかされたら、いや、されたらでは遅い。されそうになったら直ぐに知らせろ。速攻で助けに行く』 「うん、大丈夫」 『ああそれで、今度の日曜、昼から迎えに行くからな』 「うん、でも極道でクリスマスって、ミスマッチっていうか」 『今年初めてするんだ。親父が、お前が喜ぶんじゃないかってな親父の鶴の一声でツリーまで飾ってるぞ。だから絶対に来いよ』    日曜は、結人の本音では翌日に備えて予習に当てたかったが、会長からの是非にとの誘いを断れなかった。  会長としては、修習が始まってから中々顔を出せない結人に対して、苦肉の策としての誘いではあった。  年末年始は来ることになっているが、その前に会っておきたい、そう考えたのだ。 『親父もだが、玲も待ちわびている。勿論俺もだ』 「うん、じゃあ、日曜にね」  極道の本宅でクリスマスか、多分、いや確実に凄いツリーなんだろうと結人は思う。それを想像して一人で笑う。  今日、木原に言われたことは、間違ってはいない。  木原事務所なら、非嫡出子は問題にもならない。ゲイであることも。いや、そもそも自分はゲイなのか。  祥吾と付き合っているならゲイ。祥吾と別れても、木原と付き合うなら、結局ゲイ。  同じゲイだけど、その現実は全く違う。  祥吾との付き合いを続けるなら、極道の顧問弁護士。自分も極道側の人間になる。  しかし、木原となら……一般の弁護士となんら変わりはない。言わば、日の当たる正当な道。  母が生きていたら、当然それを望むだろう。東大出の弁護士としたら、それが王道だ。  若先生、自信満々だった。自分が選ばれるって信じ切っているというか。  世界は違っても、御曹司って、そうなのかな……。恵まれているが故の自信なんだ。祥吾さんも、若先生も。

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