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春陽のお茶会事情 後編
週末、春陽の部屋からは楽しそうな声がしていた。まるで女子会のようだと、そばを通りかかった颯真は思う。
明るいのは良い事だ。以前はこの屋敷からこんな賑やかな声がするなんて、予想もしていなかったから。これなら、完成したオープンテラスで、翔が望むようなバーベキューが出来るかもしれない。
「きっと、はるは喜ぶよね。ひなとひいは分からないけど」
と、翔がいつものように笑って告げたのを、颯真はよく覚えている。
思えば、翔はいつだって、春陽と優実のことを案じていた。わざわざ、それを口にはしなかったけれど、机に置かれた写真立てに優しい視線を送っていたから。
「颯真」
達臣の声に「はい」と素直に返事をする。
「何かあったかい?」
「……良い空気だなと思って」
優しく目を閉じた颯真を見つめながら、達臣もまた耳を済ます。幸せな笑い声が春陽の部屋から届いてきた。
「そうだね」
そう返して、達臣もまた瞳を細めた。
わいわいと騒ぎながら、たこ焼き器でベビーカステラを焼く。全然焼き色がついてなかったり、逆に焦げてしまったり。均等でないから、楽しいと思う。
中に入れたものも、チョコレートやウインナーと、いろいろ種類が違う。途中まで覚えていたのに、焼き上がる頃には中身を忘れてしまっているから、結局口に入れるまで分からなかったり。
たくさん焼けるから、達臣と颯真も誘った。江崎が休みだったのは残念だけれど、今度作るときはぜひ食べてほしいと、春陽は思う。
「ふあぁ〜、お腹いっぱい……」
ももが息を吐きながらこぼす。
「いっぱい食べたもんね。夕ご飯もいらないかも」
笑いながら、春陽も返す。お昼はベビーカステラを食べるからと事前に伝えていたけれど、この調子なら夕食もパスするかもしれない。
「そうですね。……料理長に夕食は不要だと伝えておきましょうか?」
碧生の提案に、そうしようかな、と春陽はつぶやく。
と、リリン、と屋敷のベルが鳴った。帰宅を知らせるその音に「ひいだ!」と春陽は立ち上がる。
「俺、ちょっとお迎えに出てくるね」
そう言って、春陽は部屋から駆け出して行く。
「私達もお迎えに行こうか」
「はい。そうですね」
達臣と颯真も春陽の後に続く。
「なら、私達はここを片付けてしまいましょうか」
「はい、そうしましょう」
碧生が声をかけて、ももと一緒に動き出した。
春陽が陽月とともに部屋に戻ると、テーブルの上はきれいに片付けられていた。皿に数個だけ残ったベビーカステラを見せながら、「これ、作って食べたんだよ」と陽月に告げる。
「そっか。……で、それは俺の分?」
陽月に聞かれて、春陽はベビーカステラに視線を落とす。
「そういうわけじゃなくて、ただの残りだよ」
ふうん、と陽月が返す。その一瞬だけ、冷たい風が吹いた気がして、碧生とももは勘づく。ちゃんと“取っておく”のを忘れたと。
「じゃあそれ、俺に頂戴」
スッと、陽月の腕が腰に回って、体ごと引き寄せられる。
「ひい、ベビーカステラなんて食べるの?」
「食べるよ。というか、はるが作ったのなら食べる」
別に春陽一人で作った訳ではないけれど……まぁいいか、と春陽は特に気にしなかった。
あーん、と陽月が口を開けてきたので、反射的にベビーカステラを食べさせてあげる。ゆっくりと咀嚼して、美味しい、と陽月は言った。
「全部食べてもいい?」
「……良いけど、ひな兄のなくなっちゃうよ?」
「材料は?」
「残ってない。全部使っちゃった」
そんな二人のやり取りを遠目に見ていた碧生の耳に、「おい……」と聞き慣れたトーンが届く。顔を向ければ、緋津希の呆れた表情があった。
「何で別に取ってないんだよ……?」
コソコソと声を抑えてはいるが、これは説教されるやつだな、と碧生は感付く。
だから無言を貫いてみたけれど、それは肯定と同じだ。
「普段から“周りを見ろ”、“先を考えて行動しろ”って言ってるだろ? そもそも、春陽様の作った物を、お二人が欲しがらないわけ無いだろうが」
「“春陽様が作った”って言わなきゃバレない……かも?」
「お前は言わないと思うか?」
「いや……思わないけど」
「ほら、分かってるくせにしてない。昔からそうだ」
「あーもう、うるさいなぁ!」
ヒソヒソ声はどこへやら。兄妹喧嘩はあっという間にヒートアップして、近くにいたももが「まぁまぁ」と止めに入った。
春陽も、止めに入るべきか迷った。けれど、碧生が予め「喧嘩するだろう」と言っていたから、これが加谷家の兄妹のかたちなのかも、と思う。ならば、このままでも良いのかもしれない。
隣で陽月が小さく笑ったのが分かった。止めたほうが良い? と視線を送ると、陽月は「ほっとけばいいよ」と言って、最後の一つを口に放り込む。
しばらく言い争って、碧生は疲れたように息を吐いた。そうして、何を思ったか兄の肩をぽんぽんと叩く。
「これ、これだわ、兄妹って。正解」
「はぁ? 何がだよ?」
突然そう言われて、緋津希は不思議そうに眉をしかめる。ふふ、と春陽だけが笑った。
その時、また“リリン”とベルが鳴る。
「ひな兄、帰ってきた」
春陽の明るい声とは裏腹に、まずいまずいと従者たちが慌て出す。
加谷家の兄妹喧嘩に気を取られているうちに、ベビーカステラは陽月の腹にすべて収まっていた。
言わなきゃ気付かないレベルではない。廊下にまで、ふんわりと甘いお菓子の匂いが立ち込めているのだから。
「“何か作ったの?”“僕のはないの?”って、陽太様は絶対不機嫌になりますよ〜」
「今の似てる。間違いなく言うな」
もものモノマネを聞いて、陽月が笑う。
「笑ってる場合じゃありませんよ。陽月様、“俺は食べた”って、陽太様に言わないで下さいよ? 喧嘩になりますから」
加谷に言われ、陽月は目線を泳がせた。言う気だったんだ……と春陽は思う。
「小麦粉とベーキングパウダーがあれば作れるかな?」
「材料買ってくるから待てって言います?」
「うーん、どうかなぁ。ああ見えて陽太様も気短なところがあるから……」
わいのわいの、意見が飛び交う中で「はい」と颯真が手をあげる。
「何も同じものに拘らなくても良いのでは? たこ焼き器なんだから、たこ焼きでいいんじゃないですか? 小麦粉とキャベツくらいはあるでしょ?」
それは、至極当然な答えだった。けれど、“同じもの”に拘っていては出てこない答えでもある。
「そうだ! それでいいじゃん! さすが颯真!」
加谷が歓声を上げるのを聞きながら、春陽は陽月に視線を送った。
「ひな兄って、たこ焼き食べるの?」
「食べるだろ」
「……食べるんだ?」
いまいちイメージが沸かないな、と春陽は疑問符を浮かべる。
「春陽様、とりあえず陽太様をお迎えに参りましょうか」
碧生に声をかけられて、春陽は部屋を出た。すぐ先の廊下で陽太を見つけて、おかえりなさい、と駆け寄る。
「ただいま。良いにおいがしてるね。お菓子でも焼いた?」
陽太に聞かれて、おお、と春陽は身構える。ももが言った通りの反応だ。
「えっと……碧くんと、ももちゃんと、ベビーカステラ焼いた」
春陽の言葉に、ふうん、と陽太は返す。
「僕のもある?」
「おお……正解」
「正解? 何が?」
「えっ!? いや、何でもない、こっちの話っ!」
思わず口をついた言葉を丁寧に拾われ、春陽は慌てた。その少し後ろでは、碧生が雅明にコソコソと事の成り行きを説明してくれている。
「えっと、ベビーカステラは全部食べちゃって、残らなくて……」
素直に言うと、一瞬陽太は眉をしかめた。だから、春陽は陽太の言葉を待たずに、畳み掛けるように声を上げる。
「だ、だから、たこ焼き作るから! たこ焼き、ひな兄食べれるでしょ?」
「うん、食べるけど……」
「そう、食べるんだよね!? 意外だけど!」
意外かな? と陽太は苦笑した。春陽は陽太の手を引いて部屋まで連れて行く。皆、たこ焼きの用意のために部屋を後にしていて、春陽は留守を預かっていた陽月に、陽太を押し付けた。
「俺も用意してくるから! ひな兄はひいとここで待ってて」
よろしく、と春陽は陽月と加谷に視線で訴え、後から来た雅明にも「すぐに用意しますから」と伝える。
「急がれなくても大丈夫ですよ。ゆっくり待っていますから」
雅明はいつも通り、穏やかに笑って言った。
「おかえり。お疲れ」
陽月に声をかけられて、陽太も同じような言葉を返した。
「座れば」
春陽の部屋だというのに、陽月はまるで自室のようにくつろいでいる。陽太と違って、陽月は毎日のように春陽の部屋へ訪れているのだから、当然と言えば当然かもしれない。
対して、陽太は用事がある時しか春陽の部屋へは入らない。先日来たのはいつだったか。確か、衣替えをした時だったと思う。
その頃は、まだ碧生がいなかったから、春陽は真っ直ぐ帰宅することが多かった。寄り道をしなければ、物が増える事もない。それが今は、キャラクターの小さなフィギュアが本棚の隅に置いてある。春陽が時間の使い方を自分で選び、その延長線で私物が増えていくのは、陽太も嬉しい。
「ふーん……はるはこういうの興味あるんだな」
ぽつり呟くと、「勝手に買って来るなよ?」と陽月に言われた。
「まだ何も言ってないじゃない」
「言わなくてもするじゃん」
「だって買いたくなるでしょ?」
自分の好きな物にはお金をかけたい。それは人でも、物でも、陽太にとっては同じだ。
陽月も、それはよく分かっている。同じことで何度揉めたか。自分の物は自分で選びたいのが陽月だ。買い与えられたいわけじゃない。
「程々にしとかないと、そのうちはるも怒るぞ? それに、その会社の株なら持ってるから。倉庫にグッズあるし」
と陽月は吐いて、陽太はため息を吐いた。
「ひいだって、すぐそうやってマウント取る」
「取ってない」
「取ってる。どうせひいはベビーカステラにありつけたんだろ? そうじゃなきゃ、そんなに落ち着いてる訳ないからね」
言いながら、陽太は棚から一冊の本を取って、陽月の向かいに座った。
バレた、と視線をそらす陽月の後で、言わんこっちゃない、と加谷が目を伏せる。
「今後はちゃんと残しておくように、碧生に言い聞かせておきますので」
代わりに引き受けた謝罪を口にすると、「お手柔らかにね」と陽太は笑う。
「はるは僕たちと違って、あまり公の場に出ることはないから、そこまで形式的な態度は求めないよ。それは碧生にも一緒」
「だからと言って、決して碧生さんが“ちゃんと出来てない”という意味ではないですよ。むしろ、きちんとしている方だと思います」
陽太の横にコーヒーを置きながら、雅明がフォローに入る。なら良いんですけど、と加谷もそれ以上は言葉を切った。
「本当はね、もう少し甘えてくれるかなぁって思ったんだよ。昔みたいに。でも思いっきり線引かれちゃった」
仕事と私情を一緒にしないでほしい――それは至極当たり前の事だけれど、陽太には少しだけ寂しく感じられた。踏み込みすぎなんだよ、と陽月にも言われてしまう。
「大体、ひなのそういうとこに文句言わないの、はるくらいだからな?」
「分かってるよ。だから、エプロン買うのは許してね」
取ってきた本を捲り、陽太は考える。
“簡単に作れるお菓子のレシピ”――そう表された中には、手作りの優しさにあふれたお菓子の写真がある。これ食べたいな、とおねだりしたら、春陽は素直に作ってくれるだろうか。
「ひいは何食べたい? クッキー? ケーキ?」
問いかけると、
「何でもいいよ、はるが作るなら」
と、お決まりの台詞を頂いたので、ならば自分が選んで良いはずだと肯定する。
どうしようかな、と悩んでいるとノックもなしに扉が開く。部屋の主のご帰還だ。
春陽は運んできた食器類をテーブルに置くと、陽太が手にしている本に気付く。「あ……」と小さく声を漏らすと、陽太がにこりと笑った。
「はるはお菓子作りが好き?」
好きかどうかと問われれば、どちらでもない。
自分で作るなら、安くてたくさん食べられる――。春陽はその基準で生きていた。
だから誰かに振る舞えるほど、上手ではないと思う。お菓子作りの本を買った事だって、昔を思い出して懐かしくなったからだ。もちろん、そのうち作れたらいいなと、思ってはいるけれど。
返事に迷う春陽に、「エプロン買ってもいい?」と、陽太は一応許可を取る。春陽が良しと言うなら、陽月も納得するだろう――そう思って。
「別にわざわざいらないよ? そんなに頻繁に作りたいわけじゃないし……」
手持ちのエプロンは、学校の家庭科で作ったものだ。それで十分だと、春陽は言う。けれど……
「買わせてくれないの?」
と、小首を傾げ、いつもの手口で可愛くおねだりされれば、春陽はそれを受け入れるしかなくなる。
「っ……もー! ひな兄のそういうとこ、本当よくない!」
文句半分声に出せば、「そろそろ慣れろよ」と陽月から突っ込まれてしまった。
部屋にたこ焼き器が再登場し、追加のお菓子やジュースも用意された。
「たこ焼きを作るのは得意なんですよ」
そう言って、颯真が手本を見せてくれる。プレートいっぱいに広がっていた生地が、丸い型の中に行儀よく収まって、ころころと可愛らしく転がる。そうして、陽太や陽月はもちろん、春陽の前にも出来たてのたこ焼きが並んだ。
さっきはもう食べられないと思っていたのに、春陽は迷うこともなくそれを口に運ぶ。
「ん〜〜〜!」
表面はカリッと、中はとろりとしていて、まさに理想のたこ焼きだ。
「美味しいー! 颯真さん、これすごく美味しいです!」
テンション高めに感想を伝えると、颯真は「お口にあったのなら嬉しいです」と笑った。
「颯真にこんな特技があったなんて、知らなかったよ」
雅明も驚きを隠さずに言う。
「特技というか……翔様がご友人を呼んで、たこ焼きパーティーをなされた事があって。その日は一日中たこ焼き焼いてたから、さすがに慣れました」
「それは大変だったね。父さんはすぐに無茶振りするから、嫌だったら止めて良かったのに」
「でも、それはマシな方ですよ。急流をいかだで下ってみようとか、火山の火口を生で見たいとか、そっちの方が大変なので」
「「なんて??」」
思わず、陽太と雅明は声を揃えて聞き返した。
寿津彦も颯真もよくあの父についていけるな、と陽太は思う。また雅明も、翔の執事じゃなくて良かったと、心底思う。
「で? 火口見に行ったの?」
陽月が口を開いて、ええ、と颯真が答える。
「陽月様も興味がお有りですか?」
「うん」
「では、もし行くなら、颯真も一緒に連れて行きましょうね」
「あ、俺も行きたいー!」
陽月の行動を否定せず、加谷が颯真を誘うと、つられて春陽も名乗りをあげた。
「春陽様が行かれるなら、私も行きますね」
「うん! 碧くんも一緒に行こうね」
楽しみだねと、さも決定したように言う春陽を、「ちょっと!」と陽太が止めに入る。
「危ないからやめよう? ね?」
「ひなは留守番でいいよ」
「……いや、行くけど!」
「行かれるんですね、陽太様……」
陽月の売り言葉に、陽太の買い言葉。ならば、雅明も腹を括るしかあるまい。
「火口が危険なら、離れた所から噴火を眺めるはどうですか? それならまだ安全ですよ?」
颯真の新たな提案に「ノリが花火大会なんだよなぁ」と加谷が笑った。
そんな、他愛もない話をしながら、みんなで飲み食いをした。
春陽がたこ焼きを転がしていると、陽太もやりたいと言ったので、ピックを手渡す。
「意外と面白いね。こうやって軽く突付くだけで転がるなんて」
「ひなが言うと別の意味に聞こえるな」
「どういう意味?」
「扱いが手慣れてるってこと」
「あのねぇ……」「わかる」
陽太と春陽の言葉が同時に口をつき、思わずお互いに見合った。
「あっ、えっと、褒めてるからね!?」
弁解のために春陽はそう言った。けれど、陽太はきょとんとしたままだ。……あ、あれ? と春陽は戸惑う。
遅れて、陽太がにこりと笑った。満足気なその様子に、春陽は頬を赤らめて視線を落とす。もしかして、返答を間違えたのかもしれない……。
「はるはいいよ、それで」
陽月が笑って言ってくれた。何が良いのか、分からないけれど……。
陽太は軽やかに春陽の皿にたこ焼きを取り上げた。同時に、陽月も春陽の皿へ。
二人が焼いてくれたたこ焼きが、春陽の前でころんと合流する。その動きを、可愛いな、と春陽は思った。
ソースを取って、たこ焼きの上にちょんと乗せる。マヨネーズで皿の上に細い湾曲を描いて、左右に青海苔を散らした。
えへへ、と笑みをこぼせば、たこ焼きもにっこりと春陽を見つめ返していた。
――『春陽のお茶会事情』END
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