4 / 20

マスカレード(4) 司視点

「かかってこいや!」 「やるのか、コラ!」  外から怒鳴り声が聞こえて、生徒たちが一斉に窓際へ駆け寄る。 「おまえたち、授業の時間だぞ」 と、漢文の教師が苦言を呈するが、誰も耳を貸さなかった。  司だけは席に座ったまま、無関心を装う。それでも、耳は聞こえてくる音を精一杯拾おうと澄ませていた。  おそらく、刀が指導という名目で相川と揉めているのだろう。事なかれ主義の教師が大半を占める中、相川は自分に執拗に絡んでくる刀を鬱陶しがっているのが、声の調子から伝わってきた。 「あ、相川が先生を殴ったぞ」 「今度こそ退学だな」  司は頭を抱える。本当は今すぐにでも教室を飛び出して、二人を止めたかった。片方は幼馴染、もう片方は……。  どうやら、校長を筆頭に他の教師たちが駆けつけて、二人を止めたらしい。生徒たちはつまらなさそうに、次々と席についた。そして、何事も無かったかのように授業が再開された。  司は、がら空きになった窓の外へと目を向ける。そこでは、ただ散り始めた桜の花びらが舞っているだけだった。 ※ 「まったく、熊谷先生には困ったものだよ」  生徒会の顧問教師が、心底呆れたように愚痴をこぼす。別に司が言わせたわけではない。他の委員が興味津々に尋ねたのだ。 「相川に殴られたのに、手がぶつかっただけだって言うんだ。明らかに顔は腫れているのに」  司の鼓動が早くなる。思わず席を立ちたくなる衝動を、頬の内側を噛んでこらえた。今の自分は生徒会長である。まじめで冷静な。取り乱している自分なんて、らしくないと思った。 「相川はどうなるのですか?」 「まぁ、熊谷先生がアクシデントだと言い張るなら退学は免れるだろうが、校長次第だろうね」  その答えに、一人の委員が疑問を呈した。 「どうして、熊谷先生は熱心に相川くんを指導するのでしょうか?」  その答えは、司が痛いほど分かっていた。過去の経験から後悔したくないと。思わず口走りそうになったところで、女性の委員がからかうような口調で言った。 「実は相川くんのこと好きだったりして」  途端に「やだ〜」という悲鳴と、嘲笑が生徒会室の中で響き渡る。司は眉を顰め、怒鳴りたい気持ちをこらえながら 「ライトノベルの見過ぎだ。そろそろ仕事してくれないか」 と乾いた声で諫めた。堅物な生徒会長の注意に、誰もが目の前の仕事に取り組み、顧問の教師も口を噤んだ。  司の胸がざわめく。片方は間違いなく男が好きだった。5cm高い司を好きなのだから、さらに背の高い相川を好きになっても不思議ではないだろう。むしろ、感情を露わにする分、刀が相川の方を好きになる可能性は十分にあった。どちらも、自分に正直で素直なところはよく似ている。  今すぐ刀に会いたい。腫れた頬に触れて労わってあげたい。もう相川に関わるのはやめてほしいと言いたい。けれども、そこまでする理由も無かった。今となっては、以前ほど刀に受け入れられる自信もない。  そう言えば、あれから刀とは顔を合わせていなかった。刀の方からも会いに来ない。刀が自分を好きだという自信が揺らぐ。そんなもの、何の価値も無かったはずなのに。 「……会長? 会長!」  耳元で呼ばれて、司はふと我に返る。振り向くと一人の委員が書類を片手に立っていた。 「ああ、済まない。ちょっと、考え事をしていたんだ」  そう言って、チェックを頼まれた書類を受け取る。横から顧問の教師が 「勉強で根を詰めているんじゃないか。時には息抜きも必要だぞ」 と、口を挟む。そうかもしれないと司は思った。思い詰めるのは息抜きしてないからだ。けれども、マスカレードへ行くには小遣いが足りない。ここで使ってしまえば、塾帰りの軽食を買えなくなって、ひもじい思いをしてしまうだろう。 「大丈夫ですよ」  努めて穏やかな声で返して、司はまた目の前の仕事に集中した。 ※  司が刀と会わないまま数日が経ち、美術の授業を受ける日になった。足早に美術室へと駆け込む。やがてチャイムが鳴り、刀が入ってきた。まだ頬に貼られた絆創膏が痛々しい。すぐにでも駆け寄って「大丈夫ですか?」と、優しく撫でてあげたかった。  一瞬、視線が重なったような気がした。けれども、すぐに逸らされると 「悪いが、課題を進めておいてくれ。いないからってサボったら承知しねぇからな」 そう言い残して、刀は美術室を出てしまった。室内がざわめく。 「また相川のところに行くらしいよ」 「懲りないなぁ。何度も痛い目に遭っているのに」  嫌でも耳に入ってくる噂。どうやら、一日中付きっきりで指導にあたっているみたいだった。  司は、課題の絵に手をつけるのを止めようかと思った。そうすれば、刀は自分を叱ってくれるかもしれない。ただ、それは自分のプライドが許さなかった。生徒会長の自分が堂々とサボれば、他の生徒も追随して刀に迷惑をかけるだろう。  筆に色をつけて、おもむろに画用紙へ走らせる。鮮明な赤。何故この色を選んだのかは分からない。ここにどんな色を重ねようかと考えているうちに、自分でも何を描いたのか分からない抽象的な絵ができた。結局、刀は授業が終わるまで戻ってこなかった。 ※  昼休み。参考書を読んでいた司のところへ相川がやってきた。断りもなく、前の席にドカッと腰を下ろす。 「あの熊野郎。まったく頭に来るぜ」 「また、ケンカになったのか」 「制服をちゃんと着ろだの、時間どおりに学校へ来いだの、余計なお世話だ」  何故だろう。司にとって、心なしか相川の声は嬉しそうに聞こえた。 「……楽しそうだな」 「ふん。こちらは迷惑しているんだ」 「でも、相川のことをそこまで気にかけてくれる先生なんて初めてだろ?」  相川は一瞬ハッとしたような顔をしたが、すぐに被りを振る。 「だからって、人の行く先々で現れたら目障りなんだよ」  ああ、そこまで刀は熱心に指導しているのか。そう考えると、刀が一気に遠い存在になったように思えた。そんな司の顎を、相川がくいっと持ち上げる。 「……どうした?」 「い、いや。別に」  急に相川は立ち上がると、逃げるように教室を出ていってしまった。今のは何だったのだろうと、司は首をかしげる。まさか、刀との関係を見抜かれたのではないかと心配になった。けれども、刀は相川に夢中なのだ。もう自分は関係ないだろう。  再び目を落とした参考書の文章が、意味を持たない文字列のように見える。こんなに集中できないと、近々行われる模擬試験は失敗しそうだった。  司はカバンを広げ、財布を取り出した。中には3,000円が入っている。次の小遣い日まで、あと10日。残り500円では2、3回の買い物しかできないだろう。それでも……。 「先生が悪いんだ。甘い言葉で僕をその気にさせるから……」  自分に興味を示す男なら、他にもいるはず。そう考えると、少しだけ司の気持ちは楽になった。

ともだちにシェアしよう!