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五月雨は緑色(2) 刀視点

 ゴールデンウイークが終わり、刀も司もいつもどおりの生活を送っていた。刀は仕事をそっちのけで、美術室から窓枠に凭れて外を眺めている。グラウンドでは司が体育の授業を受けていた。  丸首のTシャツにジャージという出で立ち。Tシャツはくすんだ白、ジャージは安っぽいケミカルな緑色だ。俺なら、もっと司を美しく表現できる。白は輝くように明るく、ジャージだって、ビリジアンに春の陽気を混ぜた色にするだろう。  マラソンの練習なのか、司が懸命に走る姿を、刀は両目2.0の視力で追い続けた。服を着ているはずなのに、筋肉の躍動が手に取るように分かる。ゴールデンウイークに自分の部屋で何度も触れたことを思い出して、刀は股間を熱くした。  自分だけが知っている司の素顔。笑った顔、拗ねた顔、膨れた顔、そして、快楽に溺れている顔。優越感が刀の胸を満たす。  教師たちによる司の評判は概ね良い。成績優秀で真面目、責任感も強い。非の打ちどころは無かった。 「何も分かっちゃいねぇ……」  刀は悔しそうに呟く。  本当の司は驚くほど脆くて危うい。正体を知られるのが怖くて、しっかりしているふりをしているだけだ。本人は気づいてないかもしれないが、日常でも仮面を外せずに苦しんでいる。だから放っておけない。 「俺なら、司を解いてやることができる」  決意めいた言葉が零れる。司を自由にできるのは自分。そんな自負があった。  司は未だに、5cm高いことに引け目があるようだが、刀にとっては些末な問題だ。むしろ、体が大きいゆえに甘え方が分かっていない。そこが可愛いと思った。10年前の自分なら嫌われるのを怖れたかもしれないが、それで愛しい人を救えなかった過去もある。だから、今度は諦めたくない。  ふと、グラウンドの司と目が合ったような気がした。 「あいつ、また背中を丸めてやがる。せっかく俺がまっすぐ伸ばしてやったのに……気づけよ、司。俺はここから見ているんだぞ」  窓から身を乗り出し、両手を大きく振ってみせる。刀の挙動に、他の生徒たちも何事かと視線を向けた。  司の顔が赤らんでいるのが見える。そして、呆れたようにそっぽを向かれてしまった。そんな姿さえ愛おしくて、思わず笑顔を隠せなくなってしまう。  きっと、司は怒って美術室へ来るだろう。目立つ行動は止めてください。先生と生徒なんですよと。 「やっぱり俺は教師失格だな」  刀は机に置かれたクロッキーブックをめくる。何十通りも描かれた司のデッサン。まだ、自分の知らない顔があるようでもどかしい。 「愛しているんだ。本当に」  目の奥がツンとするのは、ターペンタインのせいだけではなかった。 ※  放課後になり、予報外れの雨が降り出した。傘を持ってきていない生徒たちが、制服を濡らしながら慌てて駆けていくのが見える。  椅子に座る司はずっと膨れっ面だ。まだ昼間のことを怒っているのだろう。  刀は油絵具を溶くために、ターペンタインの瓶を開けた。ツンとした森の香りが美術室の中に広がる。 「先生の匂いがする……」  司の表情が、晴れ間のように和らいだ。記憶をたどるように遠い目をする。 「……俺に抱かれたくなったか?」 「なりません!」  刀の失言で、また元の膨れっ面に戻ってしまった。頭をポリポリ掻きながら謝る。 「だから、手を振ったのは悪かったと思ってるって」 「……先生は危なっかしいです。クビになったらどうするんですか?」  刀は司の真剣な眼差しに弱い。つい口づけしたい衝動に襲われてしまう。 「俺はクビになっても構わないが、司を巻き込みたくない。だから大人しくすると約束するよ」  しょぼくれた刀を見て、司がクスッと笑う。刀も釣られて笑った。気を取り直して、キャンバスに絵筆を走らせる。選んだのは五月雨の緑色、サップグリーンだ。雨が葉を叩く時の鈍い音や、濡れた土から立ち上がる湿った匂いが混じった色。 「どうして緑色なんですか?」 「何でだろうな。司に似合うと思ったんだ」  白いキャンバスがサップグリーンに塗りつぶされてゆく。次第に刀は、そこに司の輪郭が浮かんできたような気がした。 「俺の狙いどおりだぜ」  ニヤリと笑みを浮かべる刀に、キャンバスを覗き込んだ司がキョトンとした顔をする。それが堪らなくて、つい刀は不意打ちの口づけをしてしまった。司が驚いて、口元を押さえながら後ずさりする。 「先生!」 「近くで可愛い顔するからいけないんだ」  司がまた膨れっ面をする。それさえ刀を喜ばせることには気づいていないようだった。  雨はまだ止みそうにない。刀は、司と二人っきりの美術室が日常から切り離された別世界のように思えた。

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