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戦いの火蓋(3) 刀視点
佐伯が着任してから1週間が経とうとしていた。見た目もさることながら、その優しくて理知的な性格によって、瞬く間に生徒からの信頼を集めていた。朝、校門に立っている時も、多くの生徒たちが佐伯だけに挨拶しようとする。まるで刀がその場にいないかのように。
刀が露骨にムスッとしていると、司が通りかかった。
「熊谷先生、おはようございます」
佐伯には目もくれず、刀に挨拶する。それが嬉しくて、思わず皆の見ている前で抱きしめたくなった。
「見ろ、佐伯。司だけは俺という人間の魅力を分かってくれているんだぜ」
そう自慢したくなった。そのまま司を送ろうとすると、佐伯が生徒たちの山をかき分け、近づいてきた。
「弓岡君。私にも挨拶してくれないかね」
「ああ、申し訳ございません。佐伯先生、おはようございます」
司は丁寧に頭を下げて挨拶する。いつもの生徒会長のそれだ。けれども、佐伯はどこか不満らしい。
「もっとにこやかにしてくれると嬉しいな。熊谷先生にするみたいに」
と有無を言わさぬ口調で強要してきた。思わず刀が
「同じ挨拶だろうが」
と割って入る。そして司に向かって
「しなくていいぞ。早く校舎に入れ」
と促した。司が踵を返すと、佐伯は露骨に残念そうな顔をする。
「私は嫌われているのかな……」
「気のせいだ。それに、一人に嫌われたところで、おめぇさんには他に好きになってくれる生徒がたくさんいるだろ」
そう言って刀は、佐伯にときめいている女生徒たちを指す。佐伯は肩を竦めると
「君たち、早く校舎に入りなさい。日焼けするよ」
と手を振った。見送られたものだと思って女生徒たちは嬌声を上げるが、刀にはそれが何故か追い払っているように見えた。
あらかた生徒が登校し、校舎へ戻る途中、刀は佐伯に声をかける。
「随分と贅沢だな。あんなに女子から人気があるのに、あっさり追い払うなんて」
「1つのダイヤモンドと1000の石ころなら、私はダイヤモンドを選ぶ。熊谷先生だってそうではないですか?」
「どういう意味だ?」
佐伯の言葉に引っ掛かりを覚えて、刀は足を止める。けれども、佐伯は立ち止まらずに校舎へと入っていった。
佐伯の言うダイヤモンドが何を指すのか。先ほどの校門でのやり取りを振り返れば、一人しか思いつかない。まさか、こいつも司のことを? 嫌な予感が過る。それならばこの勝負、受けて立とうではないか。
「生憎、そのダイヤモンドは俺のものだぜ」
刀は遠ざかる大きな背中に宣戦布告した。
※
授業の無い昼下がり。陽気に誘われて、刀は美術室の窓を開ける。それでも季節は進んでいて、吹き込む風は少しひんやりとしていた。
グラウンドでは3年E組の男子生徒が体育の授業を受けていた。産休に入った体育教師に代わって、佐伯が指導している。どうやら砲丸投げをしているようだった。刀は2.0の視力で司を探す。列の後ろに見つけて、にんまりとした。
佐伯の説明が終わり、一人ずつ砲丸を投げさせては計測する。随分、淡々とした授業をするものだと、刀は苦言を呈したくなった。
司の番になる。当然、他の生徒と同様に計測して終わりかと思った。けれども、投げ終わるなり佐伯が駆け寄って何か話しかける。司は明らかに戸惑っているようだった。
「あいつ、俺の司に何しやがるんだ」
佐伯の手が司の腰を強引に抱き寄せる。司の顎がわずかに上がり、その瞳が頼りなげに揺れたのを刀は見逃さなかった。
拒絶ではない。それは、自分より大きな存在に包み込まれた時だけ見せる、抗うことを忘れた子供のように危うい「無防備」だった。
かつての司が理想としていた、自分を圧倒する体躯。その腕の中で、司の呼吸が目に見えて乱れていく。
「やめろ。そんな顔、あいつに見せるんじゃねぇ!」
刀は思わず美術室の窓から身を乗り出す。佐伯はそのまま手取り足取り投げ方を教え始めた。司の肩が、佐伯の分厚い胸板に埋もれるようにして重なる。そして、佐伯の手が司の手首を上から包み込み、指の一本一本を無理やり砲丸に這わせた。
司は佐伯に言われるがまま、操り人形のようにぎこちなく体を動かしていた。まるでシーレの絵のように歪んでいく体。単なる指導なのかもしれないが、刀の目には一つひとつが酷く淫らな光景に映る。
「司に馴れ馴れしく触るな。触っていいのは俺だけだ」
そして砲丸が投げられる。それは先ほどよりも遠くまで飛んだように見えた。佐伯が笑顔を浮かべながら司の頭を撫でる。心なしか司の瞳は潤み、頬が上気しているようだった。
「おい、司。何してるんだ。俺がここで見ているんだぜ。気づけよ」
大きく手を振ってこちらに向かせようとするが、他の生徒たちが気づいて顔を見合わせる。「違う、おまえたちじゃない!」と、体が落ちそうになるくらい精一杯手を振るが、司は佐伯の指導に夢中でこちらを見てくれない。むしろ、佐伯の大きな体に遮られているようだった。
刀はジャージのポケットからスマホを取り出す。そして、司に向けてメッセージを送った。「放課後、美術室で待ってる」と。日曜日になったら部屋で会えるのに、何故か急がなければいけないような気がした。司からは怒られるかもしれないが。今すぐ話をしたくて仕方なかった。
ようやく司の番が終わり、佐伯は次の生徒に砲丸を投げさせる。けれども、熱心に指導したのは司だけだった。
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