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Thrill Down(1) 司視点

 司が日曜日に刀の部屋へ行けなくなってから1ヶ月が経とうとしていた。二人の唯一の繋がりは、真夜中に送り合う互いの欲求を宥めるための短い動画だけ。  スマホの小さい画面の中で、全裸の刀が甲高い声で司の名を叫びながら情熱を迸らせる。けれども、画面越しでは司が求めている熱まで伝わらない。それが却って飢餓感を募らせていた。司が送った動画を見ている刀も同じ気持ちだろう。  佐伯が特に何かをしてくるわけではない。ただ、校門を通る時や授業の合間、昼休み、放課後の生徒会室など、隙があれば声をかけてきた。女生徒たちが噂話に華を咲かせる。佐伯先生と弓岡君が恋愛関係にあると。  校長をはじめ、教師たちは何とも思っていないのか不思議になる。美術の授業の終わり、クラスメイトたちの目を盗んで、それとなく刀に尋ねてみた。 「あの野郎、司を支えてやりたいと宣言しやがったんだ。受験のプレッシャーで大変そうだからってな。俺は『えこひいきだ!』と言ってやったけど、逆に校長から睨まれちまったよ……」  そう言って刀は肩を竦める。相川という前例があるから、人のことを言える立場じゃないらしい。司はため息をついた。 「そろそろ、先生の誕生日ですね」 「ああ、覚えてくれてたのか。ありがとよ」  その日は、ちょうど日曜日だった。 「僕は先生の部屋へ行こうと思っています」 「来てくれるのは嬉しいが、佐伯の奴が……」  司は抱えていたスケッチブックをギュッと握りしめる。 「僕は自分の意志で会いに行くんです。誰にも文句は言わせません」  静かだけれども確かな決意。刀は目を丸くした。 「司は強いな。俺も見習わなくっちゃ」  その時、次の授業を告げるチャイムが鳴った。 「プレゼント、楽しみにしてくださいね」 「そんな……無理しなくていいんだぞ」  司は聞こえなかったふりをして踵を返す。そして、自分の教室へと急ぐのだった。 ※  放課後。司は一人で生徒会室に残っていた。生徒会長でいられるのもあとわずか。そろそろ後輩たちにバトンタッチしなければいけない頃なのに、責任感の強い司はまだ仕事を抱えていた。  ふとノックがして顔を上げる。刀かと期待したが、入ってきたのは佐伯だった。そっぽを向いて手元の書類に目を落とす。 「相変わらず素っ気ないな。もっと嬉しそうな顔をしてくれたっていいじゃないか」 「……嬉しそうな顔をする理由はないですから」 「仕事熱心だね」  そう言って佐伯は、書類を見ようとするふりをして司の手に触れる。思わず司は肩を震わせた。 「ごめん、手がぶつかってしまったようだ」  いつもそうだった。佐伯は司の気持ちに先回りして言い訳をする。あくまでも偶然だと。けれども、司に触れる回数は次第に多くなって、心が蝕まれていくようだった。 「どうして僕に構うのですか? 他に先生を好きな生徒はたくさんいるでしょう?」  佐伯は優しい眼差しを司に向ける。 「……私は君のアンバランスなところが放っておけないんだよ」 「アンバランスなところ?」  学校では完璧に生徒会長として振る舞っているつもりだった。司は不思議そうな顔をする。 「君はダイヤモンドでありながら、その内側は不純物で澱んでいる。そこが私と似ていて、目が離せないんだよ」  佐伯は、吐息を感じられるほど身を屈めてきた。唇さえ触れられそうな距離。 「……ここは学校ですよ」 「分かっているさ。君は生徒会長。私は体育教師だ」  そう言って、佐伯は司の肩に優しく手を置く。 「さあ、受験勉強もあるんだ。生徒会の仕事は後輩に任せて、早く家に帰ろうね。もし良かったら、僕の車で送ってあげるよ」  佐伯の表情はあくまでも爽やかで、何の下心も無いように見えた。けれども、シトロエンに乗ってしまえば引き返せなくなる。司はそんな予感がした。 「大丈夫です。家までそんなに遠くないですから」  カバンを手に取り、佐伯の目を見ないで立ち上がる。壁にかけてあった鍵を取ろうとして、二つの手のひらが重なった。伝わってくるぬくもりは刀よりも少し冷たい。 「鍵は私が職員室へ返してあげよう」  佐伯は腕を司の腰に回してエスコートした。扉に鍵がかけられる。 「じゃあ、また明日」  大きな手のひらが差し出される。美術室の方を気にしながらも、司は自分の手のひらを差し出した。やんわりと、それでもしっかりと握られる。佐伯は喜びを露わにした。 「12月までに君が私をもっと信頼してくれると嬉しいな」  顔を寄せて耳元で囁いてくる。毒を孕んだ甘い呪文に聞こえて、司は体を震わせた。 「し、失礼します」  階段を慌てて駆け下りる。すれ違う女生徒たちが司と3階にいる佐伯を交互に見て嬌声を上げた。こうして噂が広がるのだろう。自分と佐伯が恋愛関係にあると。  刀に会いたい。佐伯の面影やぬくもりを払拭できるくらいに求め合いたい。けれども、駐車場に見慣れた黒いセダンは停まっておらず、ただ佐伯のシトロエンが鈍く輝いていた。

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