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Thrill Down(6) 司視点 性描写有

 10月最後の日曜日。シトロエンは郊外の自動車専用道路を走っていた。どんなにスピードを出しても、車内は静かで揺れもしなかった。けれども、刀の騒々しくて時にはガタガタする黒い中古のセダンも懐かしい。会話が途切れるたび、司は窓の外に流れる景色をぼんやりと眺めていた。 「君に集中できなくてごめん。退屈してるだろ?」 「いいえ。先生は運転に集中してください」  いつもどおりの素っ気ない返事に、佐伯が苦笑するのが聞こえた。この人は優しい。刀のように感情的になることもあまり無い。どんなに司が無礼な返事や態度をしても、大人の余裕で笑って受け流してくれた。刀より若いはずなのに。 「先生は何故そんなに余裕があるのですか?」  司の問いかけに佐伯は少し考え込む。 「そうだな。お金があるから気持ちに余裕を持っていられるのだろうね。でも、君の前ではいつも余裕が無いよ」  お金があるから高価なシトロエンも余裕で乗りこなせるのだろう。どうやってお金持ちになったのか、そこまで聞く気にはなれなかった。 「君にもいつか分かる時が来るよ。お金は汚らわしいかもしれないが、自分の願望を叶えるのに役立つ。例えば君が画商になるとしたら、一つずつ手順を踏むよりもパトロンを見つける方が早く成功できるだろう。そして、私はその役目を果たせる自信がある」  それでは自分の意志がどこにも存在しないようで嫌だった。刀だって喜ばないだろう。 「僕は誰の力も借りずに自分の夢を叶えてみせます」 「ふっ、若いな。でも、そんなところが眩しいよ」  司の決意めいた言葉も、軽く受け流されてしまった。面白くなくて、膨れっ面になってしまう。 「さぁ、レストランに着いたよ。機嫌を直して」  丘の上に立つ高級レストラン。日曜日だから客でいっぱいなのに、誰もが静かに食事を楽しんでいた。異様な光景に司は戸惑う。きっと、佐伯と同じく金持ちが集まっているのだろう。ウェイターに案内されて、二人は見晴らしの良い席に座った。普段暮らしている街が一望できる。司は思わず声を上げた。 「ふふ、喜んでくれると思ったよ。学校も見えるね」  刀の部屋はどこだろう。視線で追っていると、気づかれたのかピシャリと冷たい声が降ってきた。 「お腹が空いてるだろ? 食べたいものを選んで」  そう言って佐伯はメニューを差し出す。開くなり、あまりにも高額な値段が飛び込んできて司は困惑した。 「好きなものを食べなさい」 「でも……」 「いいんだよ。君にはお世話になっているからね」  自分が一体何をしたというのだろう。食べた分を返せないのではないだろうか、と司は心配した。結局、一番安いビーフシチューを添えたオムライスを頼む。 「いいね。私もそれにしよう」  ウェイターが離れると、しばし沈黙が流れる。気まずくて口を開いたのは司だった。 「良い店をご存じなんですね。よく来られるのですか?」 「ああ。でも、誰かを連れてきたのは初めてだよ」  佐伯が優しい眼差しで司を見つめる。まるで獲物を狙っているような眼差し。司は気まずくて視線を逸らした。 「君にはもっと素晴らしい世界を見せてあげたい。受験のモチベーションにもなるだろう」  司は刀と何を食べてきたか思い出してみる。料理が苦手な刀はいつもコンビニ弁当の世話になっていた。そして、司が来るたびに菓子パンやスナックを用意してくれて、二人でシェアしながら食べたものである。こうしてレストランに連れられたことは、もちろん無かった。  湯気が上がったオムライスが届く。佐伯に促されて口をつけると確かに美味しい。卵はトロトロしてるし、牛肉もホロホロしていた。ただ、相手が佐伯でなくて、刀だったらもっと美味しかったんだろうとも思う。きっと、刀は大はしゃぎしただろう。司、こんなに肉が柔らかいぞと。  佐伯はスマートで、何から何まで完璧すぎる。身のこなしも食べ方も、会話の運び方も。例えるなら高性能なAIを搭載したアンドロイドだ。少しのずれも許されなさそうな気がして、司は息苦しさを感じた。 「気分がすぐれないのかい? 外を散策しようか」  佐伯に導かれるままレストランを出た。10月の空気はひんやりとして、素手では少し寒い。司は思わず両手に息を吹きかけた。 「寒いのかい?」  佐伯が手を差し伸べる。ためらっている司の手を強引に掴んだ。 「男同士なのに。誰かに見られたら、変に思われますよ」 「誰も来ないさ。見られたら放せばいい」  ああ、この人はあくまでも真面目な教師としての体裁を保つのだな。見られても見せつければいいと言う刀と比べて、司は少しがっかりした。繋がれても手が冷たく感じるのは、決して佐伯の体温が低いせいだけでもあるまい。 「思ったよりも寒いね。そろそろ帰ろう」  佐伯に促されて司は車に乗り、温かい助手席に身を委ねた。シトロエンは再び丘を下り、自動車専用道路に入る。 「今日はありがとうございました。オムライス、とても美味しかったです」  司は丁寧にお礼を言う。今日はこれで解放してもらえるのかと思った。 「もし良かったら、私の部屋に寄っていかないか。君に渡したいものがあるんだ」  佐伯は何の気なしに言う。 「別に今日でなくても良いじゃないですか」  司は警戒する。部屋に入ったら何かされるのではないかと。それに気づいたのか、佐伯は軽く笑ってみせる。 「心配しなくてもいいよ。私は教師だ。君に性的なことは何もしない。約束するよ」  確かに佐伯は初めて会った時からそう言って、実際に手を出してこなかった。信用しても良いのかなと逡巡している間に、車は高層マンションの駐車場に入っていく。 「さぁ、おいで。案内してあげよう」  ここまで来たらついていくしかなかった。司はダッフルコートのボタンをすべて留めて後に続いた。 ※  佐伯の部屋はガランとしていた。広い部屋なのに、置いてあるのはソファとテーブルだけ。テレビすら無かった。画材道具でごちゃごちゃしている刀の部屋とは大違いである。嗅ぎ慣れたムスクの匂いだけが充満する、どこか青みがかった部屋。 「何もなくてごめん。つまらない部屋だろう?」 「いえ、先生らしくて良いと思います」  司の言葉に佐伯は相好を崩す。 「やはり弓岡君は優しいな。どう思っていようと、決して人を傷つけはしない。あの男と違ってね」  刀のことを言われたと思って、司は顔を曇らせる。佐伯は構わず、奥の部屋から何かを持ってきた。 「これ、君に返してあげよう」  それは、司が刀にプレゼントしたゴーギャンの画集だった。どうして? わざわざリスクを顧みずに手紙を送って謝ってくれたのに。  司は震える手で画集を受け取った。そして、愛おしげに抱きしめる。佐伯の前なのに、とめどなく涙が流れてきた。 「……もし、私が同じものをわざわざ買ったと言ったら?」  司はハッとして画集を見つめる。そして、企みに気づいて佐伯を睨んだ。 「僕をからかったんですね。酷い!」  佐伯は笑っていなかった。これまで見せたことのない怖い顔をして、司に近づく。後ずさりするが、あっという間に逞しい腕に捕らわれてしまった。グイッと力をこめて引き寄せられる。 「まだ、あの男に未練があるんだな。あんなに酷い目に遭ったのに、私がこんなに優しくしてるのに、どうして!」  分厚い胸板に顔を押しつけられ、司の鼓動が激しくなる。ムスクの隙間からほんのり香る獣のような体臭。ここのところ慰めを知らなかった体は、佐伯のぬくもりを全身で感じて昂り始めた。 「先生、ダメ……」  司は身じろぎするが、佐伯の腕がそれを許してくれない。せめて股間の屹立だけは気づかれないようにと腰を引く。  恐ろしいはずなのに、体は裏腹に興奮している。何かが股間に集中して上り詰めていくのを感じた。まさか、と思った次の瞬間。  視界が真っ白に弾ける。司は佐伯に抱きしめられたまま、股間に触れられてもいないのに漏らしてしまった。それはピクピクと生命力を剥き出しにして下着を汚してゆく。  陶酔した、紅潮した表情で気づいたのだろう。佐伯も驚きを露わにしていた。けれども、司より早く落ち着きを取り戻すと、卑しい笑みを浮かべて問いかけてきた。 「出ちゃったんだね? 私が触れてもいないのに」  司は何も答えられない。ただ腕の中でまごつくしかなかった。 「せ、先生が僕を抱きしめるからです……」 「だが、私は君の股間に触れていないし、君の肌を掠めてさえいない。……この厚い布地越しに、君は勝手に私の体温を読み取り、勝手に絶頂を迎えた。あくまでも君の意志だよ」  佐伯の腕が解ける。司が体を動かすたびに、汚れた股間からねちゃねちゃした感触が伝わってきた。 「どんなに口では拒んでも体は正直だ。無意識に私を望んでいるのだろう」 「ち、違います……」 「嘘はいけないよ。あんな男より、私の方がずっとふさわしいはずだ。何と言っても、指一本触れずに、君をいかせてしまったのだからね」  佐伯は奥の部屋から新品のタオルと青いトランクスを持ってきた。 「不潔なままでは風邪を引く。これに着替えなさい」  佐伯の言葉に司は落ち着きなくキョロキョロする。トイレか浴室で着替えたかった。 「ここで着替えなさい。何も恥ずかしがることはない。男同士じゃないか」 「でも……」 「ところ構わず動かれて、床を汚されては困るからね。さぁ、早く」  司は観念して服を脱ぎ始めた。佐伯は腕を組んで、その様子を無表情で眺めている。 「み、見ないでください」 「それは無理な相談だ。私には君がどんな風に汚れてしまったのか知る義務がある」  せめて佐伯の目を見ないようにする。肌が露出するたび、痛いほど視線を感じた。  そして、最後の一枚に手をかける。出したものは予想以上に大量で、体毛にベタッと白く貼りついていた。 「ほう……。意外と大きいものをぶら下げているのだな」  佐伯は大げさなくらい感嘆してみせる。 「言葉では拒絶しながら、下半身はこれほどまでに『芳醇な香り』を放っている。この矛盾を、君はどう説明するつもりだい?」  司の体が赤く染まる。タオルで汚れを拭い去り、新しい下着を履いている間にも、再び屹立しそうで、へっぴり腰になっていた。それでも佐伯は表情ひとつ変えない。ようやく着替え終わると、感情のない声で言い放った。 「……約束は守ったよ。私は君の肌に、指一本触れていない。君が自ら、私の前でその身を晒しただけだ」  そして、俯く司を優しく抱き寄せる。 「もう君は熊谷先生に戻れない。こうして私の前で汚れてしまったのだからね」  罪の意識が沸き起こる。佐伯の嘘を信じた挙句、腕の中で股間を触られてもいないのに果ててしまった。刀が知ったら、何と思われるだろう。淫乱だとか、見境が無いとか、なじられるのだろうか。 「心配はいらないよ。私がいるんだからね。君の卒業が楽しみだよ」  家に帰ると、両親がいつものように笑顔で迎えてくれた。佐伯が丘の上のレストランに連れていったと言うと、申し訳なさそうに頭を下げた。さらに、司が抱えるゴーギャンの画集をプレゼントしたと知って恐縮する。 「いいんですよ。私の気持ちですから。弓岡君には随分お世話になっていますからね」  両親は「お世話」の意味を深く考えていないのかもしれない。けれども、司は自分のやらかしてしまったことを噛みしめて体を震わす。 「それじゃ、弓岡君。今日はありがとう」  そう言って、佐伯は両親の前で司を抱きしめてみせた。再び、鼻腔を擽る獣の匂い。部屋での出来事がフラッシュバックする。  家の中に入るなり、司は自分の部屋で着ているものを脱ぎ捨て、全裸になった。姿見に映すと、すでに股間が痛いほど屹立している。そして、自分の手で触れるなり、あっけなく漏らして鏡面を汚してしまった。コントロールが効かない体に呆然とする。 「先生、ごめんなさい……」  司の目からとめどなく涙があふれてくる。佐伯に上書きされてしまった体。これでは刀に顔向けできなかった。

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