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奪取(3) 刀視点
日曜日。司の家にやってきた刀を、両親は強張った顔をしながらも中に入れてくれた。佐伯があらかじめ話を通してくれたのだろうし、清潔な見た目も功を奏したのだろう。
初めて訪れる司の家。玄関先は手入れの行き届いた鉢植えの花々で彩られ、家の中も塵ひとつないほど整然としている。ショーケースに並ぶ高価そうなウイスキーは、父親の趣味だろうか。
何もかも隙なく整えられた空間は、真面目な司の人格を育んだ背景を大いに物語っているが、刀には少しばかり息苦しく感じられた。だからこそ、司は自分のように奔放な人間を好きになったのかもしれない。
テーブルに就くなり、向かい合わせに座った父親が切り出してきた。お茶さえ出すつもりは無いらしい。
「今さらそんな格好をして、何のつもりなんだ! 見た目さえ整えれば、これまでの無礼が帳消しになるとでも思っているのか?」
母親が続ける。
「一生懸命選んだプレゼントに難癖をつけて、あの子がどんなに傷ついたか。分かっていらっしゃるんですか?」
刀はこれまでの非礼を詫びようとするが、両親は口を挟む余地も与えてくれない。
「受験生として一番大切な時期に……。あんたは教師として、一人の少年の未来を壊そうとしている自覚は無いのか!」
当たり前だが、司は父親によく似ている。あと三十年も経てば、こういう顔になるのだろうなと考えたら、刀は未来の司と対峙しているような気分になってきた。
「佐伯先生がいてくださらなかったら、あの子はどうなっていたか……。あんなに優しく見守ってくださる先生がいる一方で、どうして貴方は息子を追い詰めるんですか!」
母親の言葉に、佐伯が勝ち誇ったように鼻息を漏らしたのを刀は聞き逃さなかった。今に見てろと、刀は反撃を始める。
「あの……司君を傷つけてしまったこと、深くお詫びします。僕はその……司君にあまりにも期待し過ぎて、少しの間違いも許せなくなってしまいました。司君を泣かせてしまって、今でも後悔しています」
昨日の夜からずっと考えた、不器用ながらも誠意をこめた言葉。それでも両親には伝わらなかったらしい。
「二度と息子に近づかないと、今ここで誓ってください。さもなくば、教育委員会へ正式に抗議します」
突きつけられた最後通牒。もちろん、そんな誓いはできない。司に近づけなくなるなんて、死を意味するのも同然だ。佐伯が隣で促す。
「熊谷先生。誓わなきゃダメですよ。絵を描くことしかできない貴方が、教師の職を失っても良いのですか?」
良いわけがなかった。けれども、司は失いたくない。刀は力なく椅子から立ち上がると、土下座して床に頭を擦りつけた。
「お願いです。俺、いや、僕は司君の信頼を取り戻したいのです。だから、これまでどおり指導させてください!」
しかし、両親は聞き入れようとしない。
「話は終わりだ。さっさと帰ってくれないか。……佐伯先生、お願いします」
刀は万策尽きてしまった。佐伯が
「さあ、帰りましょう。たった一人の生徒に近づけなくなったところで、大した影響は無いじゃないですか」
と腕を掴む。もうダメだと刀が固く目を瞑ったその時だった。
「みんなやめて!」
リビングの扉が開き、司が中に入ってきた。「部屋にいなさいと言ったでしょ!」という母親の声を無視して、刀の隣で土下座する。佐伯が腕を伸ばして立たせようとするが、はたくようにその手を拒んだ。
「熊谷先生は、僕のことを誰よりも理解してくれたんだ!」
刀を庇うように両親を睨みつける。母親が涙声で訴えた。
「貴方は騙されているのよ。どうして分からないの?」
父親が続ける。
「きっと洗脳されているんだ。病院に連れていかなければいけないな」
司は大きく首を横に振った。
「違う! 熊谷先生は僕が一番苦しかった時に、ずっとそばで支えてくれたんだ。〇〇大学へ行くと決められたのも先生のおかげだよ。先生がいなかったら、僕は投げやりになっていたかもしれない」
佐伯が大げさにため息をつく。
「弓岡君。君はまだ若い。強引に近づいてきた熊谷先生を正しいと思い込んでいるだけだ。現に散々辛い思いもしてきているだろう?」
両親も頷く。刀は司がこの局面を乗り越えられるのかヒヤヒヤした。自分も何か言わなければいけないのに、焦るほど舌先がもつれて何も口にできない。
「佐伯先生は、いつも僕を守ると言ってくれる。でも、熊谷先生は僕と一緒に悩んで、一緒に間違えてくれる。僕は一分の狂いもなく管理されるより、不器用に僕のことを考えてくれる熊谷先生と、自分の足で歩けるようになりたいんだ」
生徒会長として完璧な良い子を演じてきた司の泥臭い本音は、確かに刀の心を打った。どうやら両親も同じだったらしい。
「……仕方あるまい。司がそこまで言うなら受け入れるしかないな」
「そうね。この子がここまで本音をさらけ出すのは初めてですもの」
佐伯が分かりやすく狼狽える。
「良いのですか? また弓岡君が苦しむかもしれないですよ」
「もちろん、すべてを受け入れるわけではない」
父親は刀をジロリと睨んだ。
「私たちはまだあんたを疑っている。司と顔を合わせるのは構わないが、それは学校の中だけだ。もちろん、二人きりで会う時も扉は開けたままにしてもらおう。約束は守れるかね?」
自分の部屋で司を抱けないのは辛いが、卒業までの4ヶ月、これくらいなら我慢してみせる。刀は再び床に頭をつけ
「ありがとうございます!」
と礼を言った。
「佐伯先生。熊谷先生が過ちを犯さないか見守ってくださいね」
母親が佐伯を縋るような眼差しで見つめる。佐伯も力強く頷いた。
「熊谷先生。僕のためにありがとう」
刀を見つめる司の頬は涙で濡れていた。刀は思わず、その肩に腕を回してしまう。
「司君のためなら、僕は何だってするよ」
こんなに体が触れ合うのは久しぶりだった。ぬくもりが伝わってきて、こんな時なのに股間が熱くなってしまう。そんな刀を佐伯が諫めた。
「熊谷先生、弓岡君との距離が近すぎますよ」
司の両親の冷ややかな視線に気づいて、刀は慌てて腕を解き、滑稽なほど背筋を正した。司が隣で小さく笑うのが聞こえる。その刹那、刀を縛りつけていた窮屈なスーツの魔法が、音を立てて解けていくのが分かった。
司と見つめ合う瞳の奥に、二人だけの「勝利」が宿っている。刀は込み上げてくる熱を堪えながら、この日初めて腹の底から笑うことができた。
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