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奪取(5) 刀視点 性描写有
次の日。刀は無精髭を生やしたまま出勤した。着ているのは黒いジャージ。校長が目ざとく見咎める。
「熊谷先生、心を入れ替えたんじゃなかったのかね?」
「済みません。手が絵の具で汚れてしまって、髭を剃ったりワイシャツを着たりすることが出来なかったんです」
そう言って、刀はペインズグレーで汚れた手のひらを校長に見せる。
「絵が完成したら、元に戻りますから」
刀の言葉に校長は渋々承諾する。本当のことを言えば、髭を剃ったスーツ姿には戻りたくない。けれども他人の信頼なんて、こんなにも脆いことを知っている。司のためにも演技を続けるしかなかった。
そんな話を美術室で司にすると、気遣わしげな顔をされた。
「無理しないでくださいね」
「これくらいへっちゃらさ」
刀はニカッと笑ってみせた。司も笑みを浮かべる。それを合図に、刀は絵の具をキャンバスに乗せ始めた。今日使うのはバーミリオン・ヒュー。有毒の硫化水銀を使わないでバーミリオンに似せた色だ。司の血色や体温を的確に表せる色。生憎、手元にはマットタイプしかないが、司の肌にはちょうど良い。触れたくなるような質感を再現できる。
刀は絵筆を使わず、指で色を乗せてゆく。司に「汚れが落ちなくなりますよ」と心配されても、指にこだわりたかった。司の頬や唇を丁寧になぞってゆく。普段、触れられない鬱憤をキャンバスにぶつけた。
他の色を塗り重ねる時も、刀は指を使い続ける。アクリル絵の具をこねる音がクチュクチュと卑猥な音を立てる。その時、刀は司が股間を隠すような姿勢になっていることに気づいた。
「俺に……見せてくれないか」
司は困った顔をした。それでも、意を決すると覆っていた手を外して股を広げた。黒い制服の上からでも、はっきり分かるほど盛り上がっている。
「俺のも見て欲しい」
刀も椅子をずらして、自分の盛り上がりを見せた。司がごくりと唾を飲み込む音が聞こえる。自分のはしたなさに気づいたのだろう。司は再び股間を隠し、俯いてしまった。
「安心しろ。俺はどんな司でも受け入れる。だから隠さないで見せて欲しい」
司の表情が和らぐ。いつしか刀の情熱は絵に注がれ、股間は萎んでいた。
※
絵を描き始めてから1週間が経ち、いよいよ最後の仕上げとなった。今や刀の髭は豊かになり、元の姿に戻りつつあった。職員室でも授業でも、つい以前の粗暴な口調が出てしまい、校長や他の教師、生徒たちから睨まれる。けれども、司だけは嬉しそうだった。
ほぼ完成している司の顔。刀はそこへハイライトを入れる。使うのはアンブリーチド・チタニウムだ。肌色に近い自然な光を再現できる。清廉な白よりも少しくすんでいるところが、今の司にぴったりだった。
絵筆と指を使い分けて、輝きを加えていく。これが俺の見ている司だと言わんばかりに。次第に生命力を帯びて、今にもキャンバスから飛び出してきそうだった。
「できたぞ!」
刀は司を手招きする。絵を見るなり、司は息を飲みこんだ。
「……これが、僕?」
「そう、今の司そのものだ」
そこには光を携えた血色の良い司がいた。迷いなく未来へ突き進もうとする強い意志が感じられる。司はしばし感嘆していたが、次第に瞳を翳らせて俯いた。
「僕にはもったいないですね。今の僕は汚れていて……」
そう言いかけた司の唇を、刀の唇が無理やり塞いだ。美術室の時間が止まったように、学校の喧噪が遠ざかる。
「せ、先生……」
「汚れていたっていい。いろんな色を抱えているから人間なんだ。俺はすべての色を愛するよ、司」
司の目から大粒の涙があふれてくる。
「先生。僕にそれを気づかせるために?」
「ああ、今の司は汚れさえも飲み込んで逞しくなった。それを描きたかったんだ」
刀が照れ臭そうに鼻を擦る。すっかり全身は絵の具まみれ。それでも、そんな自分が誇らしかった。
そこへ足音が聞こえて佐伯が入ってくる。涙目の司を見て
「熊谷先生、何をしたんですか? 泣いているじゃないですか」
と詰問した。司が慌てて止める。
「絵に感動して泣いてしまったんです。佐伯先生も見てください」
佐伯に絵を見せるのは癪だったが、意外と興味津々で覗き込み、言葉を失っている。まるで、絵の中の司に圧倒されているようだった。
「……どうやら、貴方の想いの強さには敵わないようですね。私にはこんな風に弓岡君を表現する術がない」
「ということは、俺の勝ちだな?」
刀は腰に手を当てて胸を張る。佐伯は大きく首を横に振った。
「確かにこの絵は素晴らしい。けれども、これは執念で書かれた私情の記録に過ぎず、貴方が弓岡君を愛しているという事実を自ら証明したようなものです。教師としては失格ですよ」
「ああ、確かにそのとおりかもしれないな。だが、司がこの絵を見て自信を取り戻したのも事実だ。あんたに汚された自信をな。どっちの罪が重いか、地獄で比べようぜ」
刀は不敵な笑みを浮かべる。佐伯は返す言葉を見つけられず、顔を紅潮させて美術室を出ていってしまった。刀は勝ち誇った顔つきで司を見つめる。
「先生、僕のためにありがとう」
司は刀の体を抱きしめた。
「おい、絵の具で汚れちまうぜ」
「いいんです。僕も一緒に汚れたい」
司の言葉に刀は遠慮なく体に腕を回す。全身で感じる司のぬくもりが温かい。
「やっぱり俺は教師失格だな」
「僕はそんな先生が大好きですよ」
二人の笑い合う声が美術室の中に響き渡った。
「そうだ。これを司に渡したい」
刀がジャージのポケットから取り出したのは、シーサーのキーホルダーが付いた自分の部屋の合鍵だった。あの日、司が置き去りにした合鍵。
「もし良かったら、持っていてほしい。今すぐとは言わない。いつかあの部屋に帰ってきて欲しいんだ」
司は思案げに合鍵を眺める。刀は突き返されるのではないかとビクビクした。
「ありがとうございます。いつか堂々とあの部屋に入れるように、僕も頑張りますね」
今度は刀が涙を流していた。
「ありがとう……本当にありがとう。俺、ずっと不安だったんだ。司が受け取ってくれないんじゃないかって」
司が制服のポケットから何か取り出す。手を広げると、そこにはかつて刀が手紙の隅に描いた泣き顔のシーサーがいた。
「僕のお守りです。今の先生に似ていますよ」
いたずらっ子のような微笑み。刀も釣られて笑ってしまった。
「参ったな……。でも、大切にしてくれて嬉しいぜ」
刀はキャンバスの裏側に回り込み、細い絵筆で軽やかに泣き顔のシーサーを描く。
「これで完成だ」
司もそっと寄り添って、絵の完成を見守った。キャンバスの陰になって、廊下からは見えない。
「こんな俺だけど、これからもよろしくな」
刀の言葉に、司は口づけで応えてくれた。
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