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静かな夜の扉8

 ドアを開けると、そこには予想通りタクヤが立っていた。あの黒猫はいないのかとタクヤの足元を見ると、黒猫はまっすぐな私の気持ちを見透かすように見ていた。黒猫は神の使い。だとしたらこの猫には私の考えなど筒抜けなのだろう。そしてタクヤはというと、困ったような顔をしていた。私がドアを開けるとは思わなかったのかもしれない。 「もしかして、ずっとここに?」  私がタクヤにそう尋ねると、タクヤは視線を反らせた。その視線の動きで、そうだということがわかる。 「……レオニスさんの書斎の明かりが消えなかったから心配で」 「心配……」  心配だなんて言葉が出るとは思わなくて、私は一瞬体が固まってしまった。今までも貴族院でうまく行かなかったりしたことは何度もある。自信をなくしたことだって何度もある。今回が初めてではない。だから、ニコラスをはじめ、使用人の中には私のことを案じた者がいたかもしれない。実際に、不眠症になってしまったときはニコラスに、くまができていることを指摘されたことがある。決して他の言葉を言うではなかったけれど、思うことはあっただろう。書斎に籠もって食事をしたことだって今回が初めてではないし、食事を残すようになったのも初めてではない。だから少なくともニコラスとアベルにはわかっているだろう。そう思うから余計にダイニングルームで食べることができなくなったのだ。2人の視線から逃れたくて。なのに、タクヤはまっすぐに私に心配だと言ってきた。ニコラスとアベルには気づかれていたとしても他の使用人には気づかれないように気を張っていたつもりだ。だからタクヤに気づかれていたというのに私は言葉を失った。 「そんな……顔をしていた、のか。私は」  そんな顔をしていたと知った私は、自分が愚かだと思った。そう思うと馬鹿馬鹿しくて思わず笑ってしまった……。いや、笑ったつもりだった。うまく笑えたかはわからないけれど。  そこでふと、私の弱音をタクヤは聞いたのではないかと思った。私の荒れ果てた机と床に散らばった紙を見たタクヤに、そう思って訊いたのだ。 「……はい。でも、偶然です。盗み聞きするつもりじゃなくて……」  やはり聞かれていたか。でも、黙ったままの私に、タクヤは必死に言い訳をした。ああ、怒ったと思ったのか。 「怒ってはいない。君に怒る理由はない。私が……勝手に、崩れただけだ」  そう1人で勝手に崩れただけだ。タクヤはなにも悪くはない。それどころか、こんな姿など見たくなかったかもしれない。貴族なのに、と。それでもタクヤはそうは思わなかったみたいだ。そういえばタクヤの国では貴族がいないと言っていたな。そうしたら貴族がどうあるべきだとかわからないのかもしれない。それか逆に理想が大きいか。でも、見た限りタクヤは前者のようだ。それにほんの少し安堵してしまう。 「私のやろうとしていることは、多分多くの者を敵に回す。けれど、それでも庶民のために改革を進めたい。誰かがやらなければこの国はダメになる。……ただ、時々自分が家名を含めてなにを失うのかが怖くなるんだ」 「怖いって思っていいと思います」  今、なんと言った? 怖いと思って当然だと言ったのか? 貴族は常に前を向いて民そして国のために政治をする。怖いだなんて言ってはいけないのではないのか? 言っても構わないのか? タクヤの言葉に私は驚いた。 「だって、人のためになにかをしようとする人がなにも感じない方がおかしいと思います。怖くても、それでも前に進もうとするのなら、その人はすごい強い人だと思うし、すごいことだと思います」  そして、怖いと思っても前へ進もうとするのは強いと。そう言ってくれるのか。怖いと思ってもいいのか。私は弱音を吐くのは悪いことだと思っていた。でも、前へ進もうとするのならば怖いと思ってもいいと言うのなら、私はきっと、まだ頑張れる。声をあげればヴァルター侯爵が、また圧をかけてくる。先日のように屋敷へ来るかもしれないし、それとも結婚を勧められているヴァルター侯爵の姪からなにかを言われるのかもしれない。それでも私はきっと声をあげ続ける。庶民であれ、この国の人間が皆幸せでいることを私は目指しているのだ。生活で疲れただなんて思って欲しくはない。政治は貴族のためのものじゃない。この国の国民皆のためだ。そのために私は戦おう。そして、そう思わせてくれたタクヤには感謝しかない。そういえば、と思い出す。タクヤは異世界人だ。この国では異世界人は救世主だと言われている。だから異世界人の後見人になることは貴族にとってステータスとなる。そしてタクヤは1人ではない。神の使いと言われる黒猫を連れている。だからきっと救ってくれる。もし、私を救ってくれるというのなら、私のことはどうでもいい。庶民を救って欲しい。そして、タクヤはこの国の庶民の暮らしを見たことがないのだと言った。散歩も屋敷の敷地で済んでいるという。 「それなら、そのうち一緒に行こう。私では気がつかないことも君なら気がつくこともあるかもしれない」 「はいっ!」 「今日はもう休もう」 「遅くまですいませんでした。レオニスさんも休んでくださいね」 「ああ。そうしよう。それから朝食だけど、最近は食べずに行っていたけれど、明日はいつも通り食べて出かけるよ」  心配をかけたのはタクヤだけではないだろう。ニコラスだってアベルにだって私が弱っているのは気づいているだろう。ただ言葉にしないだけで。だけど、数日顔を見せなかった私が顔を見せたらホッとするだろう。 「じゃあ、明日はダイニングルームで食べましょう。夜はまたなにか作りますね」 「楽しみにしているよ」 「はい。じゃあお休みなさい」 「ああ。お休み」  タクヤと話したあと、私の心は軽くなっていた。人に弱音を吐くなんてことをしてしまったがタクヤは軽蔑したりしなかった。それどころか慰めてくれた。タクヤが救世主なのかはわからない。でも、そんなことはどうだっていい。もう少し戦う勇気をくれた。それだけで私には十分だ。  

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