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月下の追走2
馬車の窓から流れる王都の景色は、先ほど見た景色よりも色を失って見えた。先ほどと違うのは時間が少し遅いこと、そしてタクヤが屋敷を出ていったということだ。でも、色を失って感じるのはタクヤが出ていったからだ。それも、リシア嬢の手のこんだ嫌がらせによって。
石畳を叩く車輪の音が、やけに大きく胸に響く。私は座席に身を沈めながら、何度目かわからないため息をついた。なぜこんなことになった。指先に残るのは一通の手紙の感触だ。
『君に関わると、私の立場が危うい。
これ以上、屋敷に留まるのはお互いのためにならない。
速やかにここを出ていって欲しい』
あの文を思い出すと胃がキリキリと痛む。ヴァルター家からは魔法使いが出たことがある。リシアの大叔母にあたるものだ。だから魔法を使うということが私などとは違い身近なのだろう。筆跡も、封蝋も完璧に”私のもの”に偽造されていた。違うといえばインクの色くらいだろう。あの手紙のインクは黒が使われていたが、私が仕事以外で使うペンのインクは深いブルーだ。パッと見はブラックのようにも見えるけれど、実はブルーなのだ。リシア嬢はそのことを知らない。貴族院議員の者も知らない。私のプライベートを知らないものにはわからないことだ。しかし、まさかここまで踏み込むとは思わなかった。彼女も私に興味などなかったはずなのに、何故だ? 私がタクヤを愛して、リシア嬢との結婚を破棄することで得られるはずだった財産が手に入らなくなるからか?
財産などヴァルター家にはたくさんあるだろうに。私の財産などあてにする必要などないはずだ。それともプライドが傷つけられたと思ったのか。
「……くだらない」
吐き捨てるように呟く。怒りはある。知らないところで私の名を使われた屈辱もある。けれど、それ以上に胸を占めているのは別の感情だった。
タクヤ。
あの手紙を読んだとき、彼はどんな顔をしたのだろう。疑ったか? 怒ったか? それとも、ただ傷ついたのか。想像するだけで胸が締めつけられる。タクヤは強いところもあるが、同時にひどく優しい。誰かを責めるよりも、自分を責める人間だ。「やはり自分はここにいてはいけなかったのだ」と、そう思ってしまったのではないか。そう思うと、余計に胸が痛くなる。
馬車が大きく揺れた。市場通りに近づいているということだ。
「急いでくれ」
御者に声をかけると、彼は短く「はっ」と返事をし、さらに速度をあげた。私がここまで焦りを見せるのは珍しいのだろう。だが、構ってはいられなかった。
タクヤが向かう場所ならまずは市場だ。私と歩いた街中ということもあり得ないではないが、一番に行くのは市場だろう。顔見知りのいる市場。街中はそういった人間がいないから寂しいはずだ。それに、猫を連れている。猫に食事をさせるために働くことを選ぶだろう。そうしたら市場しかない。それに1人で泣ける場所よりも忙しさに紛れたいタイプだ。そういうところが、いちいち胸に刺さる。
馬車を降りると、市場はもうほとんどが店を閉めていた。開いているのは飲食のできる屋台だけだ。その屋台で買ったであろう食べ物を持ち、歩く男女。客を呼び込む店の人間の声。昼間の市場とはまた違う景色を見せている。その中にタクヤの姿を探す。けれど、その中にタクヤの姿は見当たらない。
「……タクヤ」
名を呼びそうになり、ぐっと飲み込む。感情にまかせて動いていいことはない。私は市場を歩きながら露店のひとつひとつに目を走らせた。香辛料の露店、惣菜を並べた店。それらはそろそろ閉店らしく準備をしている。だけどタクヤなら足を止めるかもしれない。でも、タクヤはいない。苛立ちがじわじわと胸に広がる。同時に恐怖が忍び寄る。もし、あの手紙を信じたら。王都を離れしまったら。
「馬鹿なことを」
誰に向けた言葉なのか自分でもわからない。リシア嬢にか、または自分にか。あるいは、何も言わずに出て行かせてしまった、この状況にか。
私は拳をにぎりしめた。政治も、立場も、婚約も。それらが重い鎖となってタクヤを縛っていたのなら……。それを断ち切る覚悟が私は出来ているだろうか。
出来ていなかった。だからこうなったのではないか。露店の隅で黒猫を抱いた青年を探す自分に苦笑が浮かぶ。あまりにわかりやすい。
「タクヤ……」
今度は声に出た。誰にも届かない小さな声。タクヤを失うかもしれないという恐怖が、はっきりと形を持って胸を締め付ける。改革も名誉も、そんなのはどうでもいい。今この瞬間、私が望むのはただひとつだった。どうか無事でいてくれ。そして、私の話しを聞いてくれ。
私は市場の奥へと行った。あのときは行かなかった場所だが、行ってない保証はない。
夕暮れの光が、徐々に夜へと溶けていく中で、市場の外れ、人気の少ない通りへ足を伸ばしたとき、胸の奥がざわりとした。理由はわからない。ただ、あの夜襲われた路地を思い出したのだ。もう同じことはないでくれよ。そう思いながら周りを見ながら歩く。そこに警備隊の姿を見つけた。もしかしたらタクヤを見ているかもしれない。そう思い、警備隊に声をかけた。
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