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月下の追走4

 警備隊は私を見ると誰だか気付いたようだ。確かに市場に来る貴族など私くらいのものだろう。もしかしたら改革派の者が来ることもあるかもしれない。それでも、貴族が来ることなど珍しいものだ。 「アーゼンハイツ伯爵様」  「ああ、礼はいらない。それよりこの辺で、黒猫を連れた黒目黒髪の青年を見なかっただろうか?」  声をかけると、2人組のうちの1人が考える仕草をする。この辺で黒目黒髪は珍しいから、見かけたなら印象に残っているはずなんだが。そう思っていると、もう1人の警備隊員が、あ! と声をあげた。 「黒猫はわからないけど、噴水の近くにいたのは黒髪の青年じゃないか?」 「あ! そうだな」 「あの、少し前にはなりますが、噴水の近くで黒髪の青年を見かけました。ただ、猫に関してはちょっとわかりませんが。ただ、他に黒髪の人間は見かけなかったので、恐らく、その人物がお探しの方かと思います」 「噴水の近くだな。わかった。ありがとう」  警備隊から話しを聞いて噴水へと急ぐ。噴水は市場の中でも奥の外れにある。ここからだと少し距離がある。 「くそ……」  思わず歯を噛み締めた。頭に浮かぶのはあの手紙だ。冷たく突き放すような手紙。自分の名前で書かれた偽物の意思。なぜ、あんなものを。怒りが込み上げてくる。でもそれ以上に胸を締め付けるのは不安だった。タクヤはどんな顔であの手紙を読んだのだろうか。どれだけ傷ついただろう。最近は、自分が忙しく、顔をあわせるのもほとんどなかったから、信じてしまって、それで誰にも頼らずに1人で屋敷を出たのだろう。そう考えるだけで足が震える。市場の奥まで来たところで遠目に黒髪の青年が噴水の縁に座っているのが目に入った。屋台が軒並み閉まっているから目に入った。黒猫の姿は見えないけれど、きっと足元かどこかにいるはずだ。  足が噴水の方へと向き、屋台の灯りが途切れ、薄暗くなる一角。黒い外套。足元にうずくまる黒いなにか。そのなにかは黒猫であるはずだ。その姿を見たとき、心臓が強く跳ねた。 「……タクヤ」  声がかすれる。それでも、静かなこの場所では確かに声は届いたのだろう。噴水の縁に座っていた青年がゆっくりと顔をあげる。月明かりに照らされたその表情は、あまりにも静かだった。泣いた痕跡も、怒りもない。ただ、深く疲れ切った瞳。それが胸を痛いほど締め付ける。私は歩みながら、必死に言葉を探した。 「探した……」  それだけしか言葉にならなかった。タクヤは私を見ても、何も答えず、小さな喉がひくりと動いたのが見えた。 「……どうして、ここに?」 「それは私が聞きたい」  思わず語気が強くなってしまった。 「なぜ黙って出ていった。なぜあんな手紙を信じた?」  タクヤの肩がぴくりと震えた。 「だって、レオニスさんの筆跡だった」  ぽつりと落とされた言葉が痛い。 「封蝋は伯爵家の家紋だったし、あなたの筆跡で……。誰だって信じてしまうと思う。だから、信じました」  その言葉に思わず拳を強く握りしめた。 「あれは偽造だ。私が書いたものではない。君を追い出すなど私がするはずがない」 「でも、あんなに完璧な偽造なんてできるんですか?」 「できるよ。魔法を使えば」 「魔法?」 「リシア嬢なら魔法使いが親戚にいるから造作もない」 「リシアさんが……」 「ああ。私が完全にタクヤのことしか見えていないことに気づいてプライドでも傷ついたのか、それでの嫌がらせだろう」 「そんな……」 「タクヤがいなくなって、どれだけ私は……」  言葉がそこで詰まる。言えばいい。探していたことも。心配でたまらなかったことも。失うのが怖かったことも。だけど、それを口にしたらなにかが変わってしまう気がして。それでも……。 「2度と……こんなふうに消えないでくれ」  震える声でそう告げた。タクヤはしばらく黙っていたが、やがて小さく息をついた。 「……少しだけ、迎えにきてくれないかと思ってました」  その言葉に胸が熱くなる。私とタクヤは向かい合ったまま動けずにいた。夜の市場は静かに息を潜めていた。

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