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夜明けの救出4

 走ってすぐにでもレオニスさんの独房に行きたいけれど、寝ている囚人を起こしたくはないので、足音を殺して一歩一歩進んで行く。ここまで来たことが無駄にならないように。それでも素早く。  一番最奥の独房が見えてきたところで、緊張から何度も唾を飲み込んだ。あと少し。そして着いた最奥の独房の鉄扉の前で俺は足を止めた。ろうそくの炎を掲げると、湿った石壁に影が揺れ、鉄格子の向こうに人影が浮かび上がった。鎖に繋がれ、石壁に背を預けるように座る男。レオニスさんだった。 「レオニスさん」  俺は小さな声でレオニスさんの名を呼んだ。目を瞑っているから寝ているのか起きているのかわからなかったので、できる限りの声量で。声が掠れたのは、喉が渇いているのか、それとも緊張のせいなのかはわからない。レオニスさんはゆっくりと目を開けた。痩せた肩。明らかに落ちた頬。さらさらの髪はボサボサになっている。この数日ですっかりやつれてしまっていた。それでも、瞳だけは変わらなかった。暗闇の中でもなお、真っ直ぐで力強い瞳。その瞳が俺を捕らえた瞬間、その瞳が揺れて感じた。 「……タクヤ?」  信じられないものを見るように目を見開く。夢か幻かを疑うように視線が彷徨った。 「どうして……来た」  低く、掠れた声だった。責める響きはない。ただ困惑が広がっているだけのようだ。そうだろう。まさか俺がこんな時間に牢の最奥にまで来るとは思わなかっただろう。裁判に出るときに看守が来るだけだと思っていたのだろう。普通ならそうかもしれない。でも、これは違う。俺は言った。 「置いていけるわけがないじゃないですか」  そう答えた瞬間、胸の奥で何かがほどけた。ここまで来た理由をようやく自分自身が認められた気がした。 「危険だ。ここは……」 「時間はないけど、大丈夫です」  被せるように言って、俺は一歩鉄扉に近づいた。足元で鎖が擦れ、鈍い音を立てる。こんなところにレオニスさんがいることで胸が痛い。 「あなたがここにいるってわかっているのに、なにもしないなんて俺にはできません」  言葉にした途端、喉の奥が熱くなった。これ以上続けたら泣き出してしまいそうだ。それでも泣くわけにもいかずに、俺は奥歯を噛み締めた。  レオニスさんはしばらく黙って俺を見ていた。長い沈黙が落ちる。鉄と湿気とろうそくの匂いだけが漂う空間。長い時間はいたくない。そんな場所にレオニスさんはいたのだ。そう思うと胸が痛くなる。そしてレオニスさんは小さく息をついた。 「困ったな」  そう言ってほんの僅かに口元を緩めた。柔らかな微笑みだった。それはこんな場所には不似合いなほど柔らかかった。 「タクヤが来ると、なんでか世界が明るくなる」  その言葉に胸がぎゅっと締めつけられた。こんな場所で、こんな姿で、それでもそんな言葉をくれる人。ああ、好きだな、と思う。 「だから来たんです」  俺の後ろにいたグランさんが、小さく、急げと言って鍵束をポケットから取り出す。俺は黙ってその動作を見ていた。グランさんが鍵穴に1本の鍵を差し込み、手を回す。カチリと小さな乾いた音がした。その音が大きく聞こえて、俺は唾を飲んだ。鉄扉が軋みながらゆっくりと開いた。扉が開いて俺は中に踏み込んだ。冷たい空気が一気に肌を刺した。こんなに寒いところにいたのか。そして間近でみたレオニスさんは一層やつれて見えた。 「タクヤ……」  レオニスさんは真っ直ぐな瞳で俺を見る。そんな俺たちなど知らないと言った顔でグランさんは鎖の鍵を回した。 「グラン、タクヤ。ありがとう」 「礼には及びません。俺は恩を返しただけです」  そうぶっきらぼうに言うグランさんにレオニスさんは小さく笑った。 「早く行った方がいい」  グランさんがそう言うと、レオニスさんは立ち上がろうとして一瞬ふらついた。慌てて俺は腕を伸ばしてレオニスさんを支える。思った以上に軽い体。この数日でどれくらい痩せたのだろう。そう思うと怒りに震えた。ヴァルター侯爵……。絶対に、このままでは終わらせない。 「立てますか?」 「大丈夫だ」  レオニスさんは俺に肩に手を置き、ゆっくりと立ち上がった。その体温が、確かに生きていることを伝えてくる。 「ありがとうございました」  俺はグランさんに礼を言うと、グランさんは顎をクイッとやった。早く行け、ということだ。静かに、2人で牢の外へ出る。鉄扉を出た瞬間、背後でろうそくの炎が揺れ、影が長く伸びた。もう外へ出るだけだ。俺はレオニスさんの手を強く握って足を踏み出す。レオニスさんは俺の手を優しく、それでも力強く握り返してきた。 「行きましょう」  俺が小さくそう言うと、レオニスさんは小さく頷いた。 

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