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恐怖を越えた声3

 オマンド子爵の顔は醜いほどに歪んでいる。つい先ほどまで余裕綽々の顔をしていたのが嘘みたいだ。 「デタラメだ!」  絞り出すような声で再度言う。怒鳴っているはずなのに、掠れていて必死さが滲んでいる。 「そんな証言が信用できるというのか!」  議場の空気は冷え切っている。誰もがその声を聞いて、”違う”と感じているのが手に取るようにわかる。俺の胸の奥でも同じ感覚が広がっている。しばらくの間、沈黙が場を包んでいたけど、その場の空気を再度動かしたのは議長だった。 「密輸書類及び作成者の証言、襲撃事件の証言と被害者の傷。これだけの証拠が揃ってもまだ否定を続けるのですか」 「……」  議長の言葉にオマンド子爵の顔は真っ青を通り越して白くなっているし、ヴァルター侯爵は顔を歪ませてレオニスさんを睨んでいる。もう2人はなにも言うことはできないだろうと思っていたが、ヴァルター侯爵が一言言った。 「……貴族社会を守るためだ」  吐き捨てるような言葉だった。”貴族社会を守る”。確かに貴族社会を守ることも必要だろう。貴族だって生きて行かなきゃいけないんだから。それはわかる。でも、だからと言って他人の苦労の上に貴族社会を置くのはどうだろうか。貴族も庶民も一緒なんだ。棲み分けはされているのはわかる。それだからと言って他者を蔑んだり傷つけたりするのは間違っている。ヴァルター侯爵はそれがわからないのだろう。真に人の上に立つような人ではないのがわかる。侯爵だなんて高位貴族なのに。いや、高位貴族だからこそわからないのかもしれない。オマンド子爵はヴァルター侯爵の腰巾着で1人ではなにもできない小者だ。 「秩序を乱す改革など許されるものか」  ここに来てなおも抵抗を続けるヴァルター侯爵が、どこか哀れに感じた。確かに秩序は守らなければいけない。それは正しい。けれど庶民救済のどこが秩序を乱すというのだろうか。ヴァルター侯爵が守っていたのは秩序なんかじゃない。貴族院の自分の椅子と貴族の特権だ。  レオニスさんが静かに一歩前に出る。 「秩序とは、庶民を踏みにじった上に築くものではない。あなたはそれを間違えている。それに、庶民救済は秩序を乱すものではない」  その声は低く、穏やかだった。そして視線は真っ直ぐにヴァルター侯爵を射抜いている。 「貴方方は選択を誤った」  レオニスさんのその言葉に、議長の言葉が続く。 「オマンド子爵、そしてヴァルター侯爵。汚職及び国家転覆行為の疑いにより逮捕する」  その瞬間だった。重い足音が議場に響き渡る。振り返ると軍警団が整然とした列をなして入場してくる。金属鎧が擦れる音が現実を突きつけるようだった。 「ふ、ふざけるなああっ!」  オマンド子爵が叫び、暴れようとしたが、すぐに衛兵たちに押さえつけられ、床を引きずられていくその姿は、あまりに惨めだった。その後ろでヴァルター侯爵が立ち上がり、振り返る。視線はレオニスさんを刺すようだった。 「貴様だけは許さんぞ、アーゼンハイツ!」  憎悪に満ちた声だった。けれどレオニスさんは微動だにしなかった。 「あなたの時代は終わったんです、ヴァルター侯爵」  レオニスさんは静かに返した。  2人の姿が議場から消えると、それまでの騒ぎが嘘のように静まり返った。そして俺はようやく息をはけた。ヴァルター侯爵がいると息が苦しかったから。  議長に目をやると、議長もやっと息がつけたのか、小さく息を吐いてから言葉を続けた。 「これにより、レオニス・アーゼンハイツ卿の嫌疑は全て晴れた」  一拍の沈黙の後、議場は拍手に包まれた。最初は戸惑うような音だったけれど、すぐに大きなうねりへと変わっていった。議場全体が振動しているみたいだった。 「ここで名誉を回復し、貴族院議員としての職務復帰を求める」  その言葉を聞いて、俺は胸の奥がいっぱいになった。言葉がでない。涙が出そうなのを必死に堪える。隣を見ると、レオニスさんがこちらを見ていた。ほんの少しだけ柔らかな顔をしていた。その顔を見て思った。終わったんだ。長く苦しい戦いが。その瞬間に隣に立てることがこの上なく誇らしかった。  拍手の音は波のように押し寄せてくる。耳が痛くなるほどの音なのに、決して嫌ではなかった。  俺はただ立っているだけだった。足の裏が縫い付けられたように動けなかった。ほんとに終わったんだ。そう思った瞬間、今まで張り詰めていたものが、音をたててほどけていくのを感じた。疑われて、追われて、逃げて。血の匂いも、短剣を握った震えも、夜の牢獄の湿った空気も。全てがようやく過去になった。  議場を見渡す。さっきまで沈黙していた貴族たちが口々に言葉を交わし、レオニスさんの名を呼ぶ。誰かが「正義だ」と言い、またある者は「勇気だ」と言った。でも、俺には少し違って感じた。これは正義でも勇気でもない。ただ信じて進んだ結果だ。その信念は決してブレることはなかった。レオニスさんは庶民を救済することを諦めなかった。いつか必ず救えると信じて進んでいた。そしてエリクさんは恐怖を越えて証言し、俺はレオニスさんの隣に立つと決めた。それらがここに繋がった。  不意にレオニスさんが小さく息を吐いたのがわかった。ほんの一瞬、肩の力が抜ける。ああ。この人は誰よりもずっと信じて耐えていたんだ。俺はそっと視線をあわせる。言葉はない。それでもお互いの気持ちはわかる。もう逃げなくていい。疑われることも、怯えることもない。この場所にレオニスさんと並んで立っていることがなによりの答えだった。  議場の高い天井に、拍手の余韻が残っている。その音に包まれながら俺は思った。ひとつの戦いは確かに終わった。でも、ほんとの戦いはこれからだ。

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