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恐怖を越えた声5
外の空気を胸いっぱいに吸い込むと人々の声が聞こえてきた。ひそひそとした囁きではなく、はっきりと聞こえるくらいには大きく、明るい声だ。
「アーゼンハイツ伯爵様が勝ったって!」
「ヴァルター侯爵が失脚したらしいから、これで貴族院も少しは変わるんじゃないか?」
情報が早すぎる! でも、ヴァルター侯爵が拘束されて出てきたらレオニスさん改革派が勝利したことはすぐにわかるよな。だけど、街の人たちがどれだけ政治に関心を持っていたかがわかる。そしてレオニスさんたち改革派を応援していることも当然だろう。だって庶民救済を目指しているんだから、街の人が期待するのも当然だ。庶民救済に関心がない人はいないだろう。街の人の声が聞こえるたびに、胸の奥がじんわりと熱くなる。俺でさえそんな感じだから、レオニスさんは喜んでるかなと思って横を見たけれど、レオニスさんの表情は冷静で浮かれた様子はない。そして深い疲労が色濃く残っていた。終わったんだよな? 口に出そうになって慌てて言葉を飲み込む。ああ、そうか。ヴァルター侯爵とオマンド子爵は失脚して、レオニスさんの冤罪は晴れた。でも、まだ庶民救済法案が通ったわけではない。だから冷静なのだろうと思い至る。それでも、ひとつ片付いたんだ。それに貴族は冷静でいるべきだよな。
屋敷に帰る馬車に乗り込むと、扉が閉まった途端、街の喧騒が遠ざかった。車輪の音だけが一定のリズムで響く。
「ひとつ終わりましたね」
「これで庶民救済法案が通しやすくなっただろうけれど、法案が通ってから本当の終わりだ」
その言葉に俺はなにも返せなかった。やっぱりまだ法案が通ったわけじゃないからだ。それでもホッとしたのはあるだろう。疲れの見える顔ではあるけれど、少し肩の荷が降りたような顔をしているのは事実だ。数日後の議会再開で法案を提出するんだろうか。
「数日後の議会で法案を提出するんですか?」
「ああ。それが可決されれば全てが終わる。そうしたら少し領地へ行って休もう。さすがに疲れた」
「そうですね。ヴァルター侯爵がいなくなったから、きっと法案も通りますよ」
「そうだといいがな」
そして馬車が屋敷の玄関の前に止まると、玄関ドアが開き、ニコラスさんを筆頭に使用人の人たちが全員いた。
「お帰りなさいませ!」
最初に聞こえたのは誰の声だろう。少し声が震えていた。そしてその言葉と同時にみんなが一斉に頭を下げる。ニコラスさんは、さすがに冷静を装っているけど、それでもどこか嬉しそうに見えなくもない。そして他の人はと言うと目元を赤くして、必死に涙をこらえている人が多数で、中には泣いている人もいた。ああ、みんなレオニスさんを心配していたんだよな。
「ご無事で……本当に」
「本当に良かった……」
言葉にならない声がいくつも重なっていた。みんな嬉しくて言葉にならないんだろうな。そうだよ。こっちに来てまだ短い俺でさえも心配していたし、一区切りついて嬉しいんだ。みんなは俺なんかよりもレオニスさんを見てきたんだからもっと嬉しいだろう。そう思うと泣いても当然だよなと思う。もちろん、法案が通らないと本当の終わりではないけれど、少なくとも冤罪が晴れたのだけは良かったと言えるだろう。
そんなみんなを目にして、レオニスさんは足を止めた。そしてゆっくりと深く頭を下げる。
「心配をかけた。……戻ったよ」
主の方が頭を下げたことで、ニコラスさんは頭を上げるように言った。そしてたったの一言言っただけなのに、堰を切ったように嗚咽が広がった。涙を堪えていた人もこれで泣き出してしまったようだ。俺はレオニスさんの少し後ろから、その光景を見つめていた。レオニスさんはこんなにも屋敷の人に支えられていたんだなと改めて思う。そして街の人の声が明るかったことを思い出して、支えてくれていたのは街の人もみんなだ。それが俺の心まで温かくする。
「タクヤ」
レオニスさんは振り返って俺の名を呼ぶ。その目はさっきまでよりも少しだけ柔らいでいる。
「タクヤには私のせいで腕に大きな傷は追ってしまい本当に申し訳ない」
その一言で、胸の奥に溜まっていたものがふっと緩んだ。喉が詰まりそうになって、慌てて笑ってみせる。
「それは大丈夫です。それよりレオニスさんに大きな怪我がなくて良かった」
声が少し震えた。レオニスさんは気がついたのか気がつかなかったのか、笑って俺を見る。
「話したいことがあるから、書斎へ来てくれないか。ニコラス紅茶を書斎へ」
「かしこまりました」
話したいこと? なにかまだあっただろうか? ヴァルター侯爵が失脚して、冤罪が晴れたことで俺の役目は終わったと思うんだけど。なにか他にあっただろうか。とりあえず俺は頷いた。そして屋敷の中の空気に、帰ってきたんだと思った。それは単に場所の話しじゃなく、”日常”に戻ってきたという感覚だ。もちろん、全てが終わったわけじゃないし、これからも色々あるかもしれない。それでも、レオニスさんがここにいて、俺はその隣にいる。それだけで今は十分だと思えた。
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