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第27話

桃色の夏衣の目の粘膜がしっとりと濡れている。それがきらきらと光って、夏衣の意志とはまったくの無関係にそれは酷く美しく見えた。本当にそんな言葉でしか形容出来ない自分の語彙のなさに、時折辟易しているほどに、夏衣の目の前ではどんな言葉も無意味に思えた。夏衣が言うようにそれは白鳥を一番象徴とする色で、その色である限り夏衣は白鳥から逃れられない。あの無駄に広大な屋敷の中で毒ガスみたいな空気を吸わされて、夜になったら白い手のひらが夏衣のことを呼ぶのだ。それは幾ら遠くからでも確実に夏衣の耳に届いて、まるで首に鎖でも付けられているかのように、夏衣はそれに購うことも出来ずに、またそんな素振りも見せることなくあの朱塗りの橋を渡っていく。男の待つ寝室へ、夏衣は一体どんなことを考えながら向かうのだろう。本当に物理的に鎖でも付いていれば良かった、もっと分かり易い形でそうすれば夏衣のことを救ってやることが出来るのに。葛西は自分がそれを現実的に断ち切ることが出来るのか否かという大いなる問題を、全く抜きにして考える。そんなことばかり考えていては、夏衣をそこに据え置くことにしかならないのは分かっていた。良く分かっていたが、その現実的な問題に立ち向かうには、自分は余りにも無力だった。折れそうな体と心で整然と生きている夏衣より、そして時々自分は非力な生き物であると感じる。如何すれば良いのか、葛西には分からなかったが、きっとそれは夏衣にも分からないし、他のどんな人間にも分からないだろうということは安易に想像出来る。そしてそれが夏衣の諦めの姿勢を形成している根本的な原因であることも、自ずと分かってくることだった。 「か、さい・・・此処・・・」 「え・・・?何処ですか?」 頬を上気させた夏衣がその唇を湾曲させながら、自らの頭の隣に突かれた葛西の右手をそっと撫でた。葛西が体重を左に移して、右手を持ち上げると夏衣はその手首に自らの指を絡めて、その側面に唇を寄せた。どきりと心臓が跳ねる。もっと直接的なことを何度も繰り返しているはずなのに、何故かそんなことが結局は葛西の一番弱いところを攫っている気がする。夏衣は何かに取り憑かれたように、懸命に葛西の右手にキスを落として、更にはその赤い舌でそこをすうっと舐めた。夏衣の舐めたところだけが、空気に触れて少し冷たくなる。 「夏衣、さま?」 「・・・此処、傷、残ってるね」 その時夏衣が懸命にその舌でなぞっていたのは、葛西の右手にガラスを割った時に出来た手術痕だった。何処か悲痛に眉を顰めながら、一方では愛おしそうにそれに唇を寄せる。あの時は夏衣とまさか、こんな風になるとは思っていなかった。この傷は残って良かったのだと葛西はその時確かに思ったけれど、それをもう一度反芻していた。夏衣を救う術が殆ど自傷行為に過ぎないということを、そして葛西は気付かないふりをしている。その傷跡を勲章だと思って、愚からしくも誇らしく胸に抱いている。 「痛い?」 「・・・もう、痛くないです」 「そう」 小さく夏衣が呟いて、それと同時に平たい胸が上下した。その傷跡を持った右手で夏衣の左手を握って、葛西は一度夏衣の唇に自身のそれでそっと触れた。思えば自棄に夏衣はそのことを気にしていた。そういえば2週間の謹慎明けに、夏衣が葛西に確かめたのはその傷のことだった。このひとは他人が傷付くことに、もしかしたら酷く敏感に出来ているのかもしれない。おそらく夏衣ほど残酷な運命に落とされた人間は早々現れないだろうけれど、夏衣はそれを知らないのだ。自分で自分が一番不幸だと思っていることも、一方では哀れと感じざるを得ないけれど、夏衣はそれくらい思っても許される気がした。それくらい白鳥に縛られながら生きていることを、少しは嘆いてみることも悪くはないと思う。しかし結局そんなことでは根本的に夏衣は救われないし、現状に変化は生まれない。賢い夏衣は知っているのだと思った、そんな幼稚な方法では何も変わらないと、おそらくそれを試してみる以前から。夏衣が眉を顰めて痛切な表情を浮かべるのは勿論見るに耐えないが、それと同じレベルで葛西はそれに何故か喜びすら感じていた。夏衣が自分のことを考えてそんな風に眉を寄せてくれることが、葛西にとっては事実よりも遥かに特別なことのように思えた。そんなことを言うと夏衣はまた呆れたように葛西のことを笑うのかもしれないが、葛西にとってはそれが大切な意味を持っていることをおそらく夏衣ですら曲げることは出来ない。出来ないのだ。 唇から離れると、夏衣がその桃色をとろりと蕩かせて葛西のことをじっと見ていた。その目尻に堪らない気持ちのままキスをすると、夏衣が熱い吐息を漏らしながら体を少し捻った。そろそろと手を下ろしながら、顎と首筋にキスをして、胸の突起に辿り着く。わざと卑猥な水音を立ててそれを口に含むと、夏衣の体がびくびくと震えた。既に尖ったそこは外部からの刺激を待ち受けていたかのように、面白いほどダイレクトに夏衣の快楽と結びついている。当主と夏衣の間で行われていたことは、後ろ孔を調教することだけではないのだろうという、虚しい推測を熱い頭で思考が空回る葛西にすらさせる。殆どムキになって葛西はそこにより一層吸い付いた。もう片方は右手で弄って慰める。夏衣はそれが予想外だったのか、突然の葛西のそれに何処か困惑した声を上げた。 「あっ、・・・―――ァ、なん、で、・・・ぇ」 「・・・ア、や、ンんっ、かさ・・・ぃ・・・」 熱っぽくそれでも必死に自分の名前を呼んでくれる夏衣が、本当に凄く愛おしい。夏衣の体の中には白鳥が確かに染み付いているが、あの男は居ないのだ、今日はもう夏衣の体に自分の熱を残したままで居られる。別の人間の手によって、それが上書きされることはないのだ。そう考えるだけで葛西は物凄く癒される、そうやって自身を落ち着かせて夏衣の脇腹をゆっくり撫でた。夏衣が依然当惑した目で、自分のことを見ているのが葛西は分かった。それに出来るだけ優しく笑うと、夏衣の目からも不安が消える。そうだ、自分だけは自分こそは、夏衣にひとつも負の感情など抱かせてはいけない。いけないのだ。 かちゃかちゃいわせながらベルトを外して、はじめに断りを入れられたように後は下着と制服のスラックスを一緒に脱がせる。そうすると夏衣が黒いシートに浮き出たように白い肌を横たえているのが、視覚的に良く分かる。それをずっと眺めていたいような気持ちにもなるのだが、夏衣がそれを少年らしい幼さで嫌がるので、葛西もそこで中途半端に着崩していたシャツを脱ぎ去る。そして既に硬くなりつつある夏衣の性器にそっと触れる。夏衣の体がそれに合わせてびくりと震えた。全く前を触らないままで、夏衣が達することが出来るのを葛西は偶然にも今日に至るまでに知ることになった。そこに行き着くまでの過程を考えたら、葛西は興奮した頭の中にじくりと自棄に痛む場所があるのを認めざるを得ない。躊躇うことなく夏衣のそれを口に含むと、夏衣はその後頭部をガラスに何度か打ちつけながら、ずずっと体を後退させた。 「は、ァ・・・ん、あぁ・・・」 わざと音を立てながら唇と舌と、後は右手で夏衣のそれを丁寧に扱ってやると、すぐにそれは快楽を吸収して体積を増していく。ちらりと夏衣を見上げると、夏衣は頬を先刻よりも上気させて、ぎちぎちと後部座席のシートに爪を立てている。その姿は15の少年とは思えないほどの色香を孕んでいる。ぼんやりと葛西は手と口を休めて、そんな夏衣を見上げていた。すると夏衣もその視線に気付いたのか、そろそろと開きっぱなしだった膝を閉じて、それから逃れようとばかりに目線をわざとらしく葛西から反らした。 「な、に」 「・・・あ、御免なさい」 「葛西って、時々・・・ぼーっとしてる、よね」 意識的に夏衣が閉じたばかりの膝を開かそうと、葛西が手を伸ばすととろんとした目のまま、夏衣は何でもないようにそう言った。それにはたと気付かされて、葛西は思わず手を止める。 「やめないで」 俯いて夏衣が切なそうにそう言うのに、葛西は腕を回して抱き締めたくなる。最中に時々夏衣の体に残った白鳥の痕を見つけては、自分ばかりが現実に戻っていくのだ。放り出されたところで、夏衣が何を考えているのかなんてことに気を回したことがなかった。それに御免なさいと心中で何度も呟く、呟きながらやや強引に夏衣の足を開かせて、放って置かれていた青臭い性器を再び口に含んだ。やがて夏衣の唇から湿った甲高い嬌声が漏れ出す。もっともっと善がった声を聞きたくて、葛西は懸命に夏衣の性器に舌を這わせながら手で扱いた。それに夏衣は答えるように、自ら腰を揺らしながら葛西の名前を途切れ途切れに呼んだ。此処に居るのはふたりなのだと、何度も繰り返す。夏衣と自分以外の人間は此処には居ないのだと、殆ど病的に繰り返す。 こんなにも夏衣のことを考えているのに、その一方で葛西はそれではない誰かに確実に支配されていた。

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