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第18話

「愛しています、夏衣様」 うん、とそれに夏衣が喉の奥だけで答える。愛とはこんな痛嘆な感情とともに呟かれる言葉であって良いのか、葛西の塩辛い唇を舐めながら夏衣は考えた。そんな気持ちや想いを、向けられるべき人間が本当に自分で良いのか、考えても迷子になるばかりで答は何処にもなかった。そしてそれが辿り着くのが寂しい結論なら、迷子でも構わないとすら思えた。そんな気持ちでは何にもならないのは分かっている。だからこそ今この時くらいは、それに支配されていたかった。何にもならない気持ちでも、繋ぎ続ければそれなりに美しくなったりしないのだろうか。何にもならない気持ちだからこそ、そこに自分で名前を見つけないと本当に自分の居場所を見失ってしまう。けれど葛西のその言葉を、夏衣は一体何処から何処まで受け止めて良いのか、受け止めるべきなのか分からなかった。誰にも抱擁されていない夏衣は、誰にもその言葉も掛けて貰った覚えがなかった。葛西はどうして知っているのか、夏衣のその欲しい行為や言葉をどうしてこんなに良く知っているのか、夏衣には分からない。そうしてきっと葛西も、それを理解しているわけではないのだろうと、ぼんやりした意識の中で考えていた。葛西は頭であれこれと考えるような人間ではない。もっと動物的に感覚的に生きている。でもそれで良かった。葛西だけが、葛西こそが、分かっていてくれれば、他の人間のことなど勿論自分のことさえ、もうどうでも良かったのだ。 ネクタイとセーターは、背凭れに殆ど無造作に引っ掛けられている。眩しいほどの白いシャツに辿り着いた時、これがいかなる大罪でも良いような気がした。それなのにその下の白い皮膚の上に手のひらを滑らせた時、また無償に葛西を感傷的な海に溺れさせた。葛西の頭の中はそこの間を始終忙しなく行ったり来たりと全く落ち着く様子がなかった。わき腹をゆっくりと撫でて、ピンク色の突起を口に含んだ。それだけで夏衣が声に熱を孕ませる。舌でその形を確かめるようにゆっくりと乳輪をなぞった後、きつく吸い上げると夏衣の体がびくりびくりと面白いほどに痙攣した。右をそうして唾液で濡らしながら、左を右手で撫でてやる。夏衣の無条件で上がった息遣いが、車内には煩いほど響いていた。平たいだけの胸をこうして弄って興奮するような素質が、自分にはどうもあるのか、それとも相手が夏衣だからなのか、葛西は脳味噌が溶けてしまうのではないかと思うほど、自分の頭の中が沸騰している気がした。わき腹とへその上に唇を落として、夏衣の細い腰を締めている学校指定のベルトを抜き取った。時々冷静に立ち戻って、自分は一体白鳥嫡男相手に何をやっているのだろうと思うことがある。しかしそれも段階を踏み越えて行っているうちに、どんどん薄れていく常識になっていた。少々躊躇した後、思い切って制服のスラックスと下着を一緒に脱がせる。夏衣はそれを嫌がるばかりか、葛西がいざ降ろすというという時に腰を浮かしさえした。それを許容だとばかり思っていた葛西は、後にその真相を知ることになる。 余りにも白い夏衣の皮膚は何処となく桃色に染まっており、それは如実に快楽を示していた。そして夏衣の体の真ん中で少し頭を擡げている性器も、その時葛西の罪悪感を拭い去ってくれた。流石に恥ずかしいのか、夏衣は両手で顔を覆っている、にも拘らず、葛西は暫く黙ってそれを見ていた。中学生の夏衣の体は、確かに平常かららしからぬ妖艶な雰囲気を撒き散らしていたが、それは本当にこの時のために用意されていたものだったのだと、それは葛西に簡単に信じ込ませる。その時薄っぺらく頼りない夏衣の体は、確かに平坦な男の体をしているのにも拘らず、中学生と15歳には全く不似合いの色香を纏っていた。鼻から口からその色香に進入されて、瞬く間に内側から犯される、そんな危険をこちらに抱かせてしまうほど、夏衣の体は余りにも官能的にそこに横たわっていた。知らない、そんな肢体を夏衣のほかに知らない。若く美しい体は指の先まで洗練されており、本当に無駄なものが悲しいくらい一切ついていなかった。もしかしたら少し夏衣には必要と思えるものまで、それは削ぎ落とされた形だったからこそ、余計に葛西の感傷を突いたのかもしれない。濡れた目の奥は依然じくじくと痛んでいるままであり、暫くこれは取れないでここに居座るつもりなのだろうと、それは葛西に確信させる。 「・・・かさい・・・」 「あ、はい、すいません」 「じっと見ないで、恥ずかしいから・・・」 「・・・はい」 殆ど上の空で返事をしながら、葛西は夏衣のわき腹から太ももを撫でて、夏衣がそれに敏感に反応するのを、やはり何処か現実感のない感覚で捉えていた。夢ではないことくらい、もう何度も確認したから良く分かっている。分かっているはずなのに、葛西は何度でも自身の頬を殴って覚めるなら早く目覚めたかった。既に勃ち上がりかかっている夏衣の性器にそっと触れると、夏衣がきゅっと眉間に皺を寄せたのが分かった。何かとても大切なもののように、葛西はそれを両手で包むとゆっくりと上下に扱いた。それに夏衣の殆ど無駄な肉のついていない足が小刻みに揺れて、噛み締めたはずの唇から高い声が漏れ出す。 「あっ、・・・や、ぁん」 手の中で夏衣のものが体積を増していく。それに伴って葛西の手の動きの速度も徐々に早まっていく。先端を爪で軽く弄ってやると、夏衣は体を仰け反らせながら首を振った。夏衣がそれで善がってくれているのだと、それは如実に葛西に分からせ、また同時に安堵を齎した。白い喉が無防備に光の下に晒されて、そこに僅かな汗が光っているのが目に入る。 「あ、ぁン・・・だ、だめ・・・」 「いけませんか」 「ん・・・だめ・・・いっちゃう、から」 美しい桃色をとろりと溶かしたような目をしたまま夏衣は、荒い息の中でそうはっきり言った。葛西はそれを頭の中で反芻させながら、夏衣の先走りで濡れた両手をどうすることも出来ずに、ただぼんやりと見つめていた。意味が良く分からない。 「・・・鞄の中に、ハンドクリーム、あるから、それで・・・」 依然として顔を覆ったまま、夏衣は平たい胸を上下させながら言う。葛西はスーツのポケットからハンカチを取り出しそれで手を拭うと、言われるままに下に置かれた夏衣の鞄のチャックを開いた。緑色のハンドクリームは夏衣らしい几帳面さで、学校指定の鞄の内ポケットに入っていた。 「貸して、俺、自分で出来るから・・・」 「え・・・」 「御免、後ろ、慣らさないと入らないかも・・・しれないし」 聞き取ることが若干困難にも思えるほどの小さく擦れた声で、上体を半分起こしながら夏衣は言うと、葛西に右手を伸ばした。細いのに何故かそれは、自棄に強制的に葛西に向かっていた。それに未だ半分以上困惑したまま、おずおずと葛西はハンドクリームを手渡した。何故だかその時、葛西は嫌な予感しかしなかった。どうしてなのだろう、殆どゼロパーセントに近いと考えていた夏衣との行為の中に、こんな寂しい思いをする瞬間があるなんて誰が予想出来たというのだろう。夏衣はそれを黙って受け取ると、やや乱暴にケースの蓋を開けて白いハンドクリームをかなり過多と思える量、指で掬った。そうしてそれを殆ど呆然と眺めていた葛西の目の前で、夏衣は自身の後ろ孔に手を伸ばし、ハンドクリームがべたりと付着した指を押し当てた。夏衣の眉間に一瞬皺が寄り、ずずっと指が奥に入る。夏衣は唇に左手の甲を押し当てて、更に眉を顰めた。 「ん・・・っふ、ぅ・・・」 熱くなっている中でハンドクリームが溶け出し、殆ど油の状態になる。指を入れたり出したりしながらそれを腸の壁に塗り込んでいく。指はすぐ二本に増やされて、夏衣は時折苦しそうなそれでいて何処か官能的なくぐもった声を上げながら、自身の後ろの孔を自分の指で慣らしていた。その姿はもう夏衣を15の中学生には決して見せなかった。何故だろう、葛西はその時それを見ながら再度目の奥がひりひりと痛み出すのを感じた。無性に切なくなって、気付けばいつの間にか歯を食い縛ってその焦燥に耐えていた。知っている、このひとは知っているのだ。このひとは知っているし、この体は知っている。それがおもむろに葛西を悔恨に誘う。何度も止めようと思ったけれど、それ自体が正しいのかどうか葛西には良く分からなくて、それすら選択することが出来なかった。けれど違うと思った、何かは自分でも説明が出来ないので分からないが、決定的に何か夏衣と自分の中で齟齬が生まれているのは、違いない事実だった。いつの間にか三本の指を銜え込んでいた夏衣の後ろ孔から、おもむろにそれが引き抜かれる。赤く熟れているそこをまさか直視することが出来なくて、葛西はそれから目を思わず反らした。違った、それは白鳥嫡男とこれから行うだろう行為への罪の意識などではなかった。そんな範疇は最早超えてしまっている。だとしたらこれは一体なんなのか、夏衣にこんなことまでさせて、自分は一体何がしたいのか。夏衣にこんなことまでさせて、自分がこれからすることにそれほどまでの意味があるのか。それすら分からない状況で、夏衣に易々と手をかけて良い訳がない。だったらこれは一体何だ、自分がそこに感じている危機感というものの正体は、一体何だ。叫び続けても分からなかった。ただ無性にそれは葛西を切なさに追い込むばかりで、全く役に立たなかった。

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