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Epilogue 新宿、いつもの朝、いつもの相手、いつもと違う関係

──月曜日の朝/作者視点 「春彦さん。亜紀さん。おはようございます。座れますよ、ここ」 新宿。セガフレード・ザネッティ店内。春彦と亜紀が空席を探していると、先に食事をしていた宮島が手を上げて亜紀たちを呼んだ。どうやら彼もよくこのカフェを利用するようだ。 「助かる」と春彦。「じゃあ亜紀、この前のと同じでいいか」 「うん。それでよろしく。あ! 飲み物は『アールグレイココア』がいい。モーニングセットじゃなくなっちゃうけど。飲んでみたい」 「いいよ。了解」 春彦は荷物を置いてから、カウンターに歩いていった。 「春彦さんがお買い物係?」 サンドイッチの最後のひとくちを口に放り込んでから、宮島が言う。 「うん。今日は。なんとなく順番で」 「仲良しですね。すごくいいことだ」 宮島はうんうん頷いた。その宮島のしぐさには、特に含みがあるようにも見えなかったが、亜紀はひと息ついてからこう言った。 「……あのさ、宮島。なんか……いろいろありがと」 「ん? ……聞いてます?」 春彦が「全文ママ」で亜紀に伝えているとは思えないが、宮島もちょっと警戒する。 「どこまでっていうか、ビールの件……えっと……別名・酔い潰し作戦を」 「ああ、なるほど。でもお礼を言われるほどではないです」 「心配もさせちゃったし。おかげでちゃんと話せたし。もちろん、仕事に支障は出ないようにする。研修も仕事だったわけで、そこは反省かな」 「そう? ぶっちゃけ、俺は仕事なんてどうでもいいんですけどね。ま、春彦さんに言ったら叱られるだろうけど」 「叱んないよ。意味はわかる」 宮島は勘もいいし、そういうのに甘えた、と亜紀は言った。まあ、この男に諸々バレていることは、春彦に聞かなくても……というところだ。 「今度、酒とか奢る。高いやつ。どうせ春彦がいい店知ってるだろうから」 「いえいえ。実は酒はそこまで得意ではないので……。でも、そうだな……」 宮島がカウンターをちらりと見た。春彦は会計を終え、商品待ちをしている。 なにか、思いついた顔。 「……亜紀さんって、お兄さんか弟さん、いるんでしたっけ」 「なに、いきなり?」 「ままま、それは。支障のない範囲でお答えいただければ」 「支障なんてないけど。姉がひとりで、男兄弟はいないよ。あ、従兄弟がいる。歳が近くて、小さい頃からよく遊んでた。いまでも結構よく会う。ほとんど友達みたいな感じ」 「おお、従兄弟。いいですね。亜紀さんに似てるの?」 「うん。ほかの親戚に比べても、特に。いいやつだし。ただまあ、なんていうか……ちょっと変わってるけど」 「どういうふうに」 食いつくな? と思いながらも説明を続ける。会社の人間に自分の親戚の話をすることなどいままでほとんどなかったので、妙な感覚だ。 「昔から俺たちはよく似てるって言われててさ。でも、最近はあいつが俺に『そっくりにしてる』というか? 髪型とか、このホクロまで」と、亜紀は自分の左目の泣きぼくろを指さした。 「もともと似てるのに?」 「うん。亜紀のコスプレ、とか言って。コスプレってそういう意味じゃないよなあ」 「へえ……近々紹介していただけるとありがたいですね。すごく興味が湧いた」 「高い酒より?」 「高い酒より」 亜紀は首を傾げたが、まあ、宮島なので少し不思議くらいがデフォだと考えた。 「了解。でも、いいの? 見た目は俺みたいなもんだけど」 「(だからいいんですよ、とは言わずに)うん、なんだろな? 亜紀さんを知ってるひとと、フランクに話してみたいっていうかね。社内の人間じゃなくて。お名前まで伺ってもいいものですか」 「……別に。中谷佳月。『けい』って読む佳と、お月さまの月で、『かげつ』だよ」 「素敵だ」 春彦が戻ってきた。彼がふたりぶんのパニーニ(エビとアボカドのタルタル)とコーヒー、新商品の飲み物をのせたトレイをテーブルに置くと、宮島が立ち上がった。 「もう行くのか」と春彦。「まだ早いが」 「いろいろやっておきますんで、ゆっくりしてきてくださいよ。研修中に溜まっちゃってた案件、総ざらいチェックしておきます」 「助かる」 「では。亜紀さん、高い酒じゃない件、よろしくお願いします」 「おう」 宮島が店から颯爽と出ていったあと。 「『高い酒じゃない件』ってなんだ?」 春彦がそう尋ねてきた。当然である。 「酒が得意じゃないから、酒じゃないもので礼を、って」 「なんの礼」 それこそ『なにがどこまで』かがわからない。宮島が自分の従兄弟に関心を持っているようだ、というのもプライベートといえばプライベートで、やたら言わないほうがいい気がする。 「……例のビールの」 なので、亜紀は端的にそれだけ答えた。 「ふん。あいつはいい酒というものの威力を知らないな」と春彦。「酒は値段だけじゃないが、それなりにカネを出すと美味いのが出てくる。美味いのはすごく美味い。酒という次元を超えてくる。今度呑ませてみよう、ロベルトの酒の席に連れて行く」 「仕事じゃん」 「高い酒を自腹で飲むなんてなんてバカバカしいだろ。それに、宮島って結構上に気に入られるタイプだからな。いい機会だ。俺への関心を分散させたい」 「利用じゃん」 「失礼だな、活用だよ」 あれこれと話しながら楽しいモーニングを過ごしていたが、さてそろそろ店を出るか、となったところで、亜紀はあることを思い出した。緒方専務に、もはやカミングアウトとでも言うべきレベルの内容を伝えてしまっていることだ。マジですっかり忘れていた。 とはいえ? 特に心配なことはない。社内でそれを言いふらすわけもないし。 彼はまあまあクセの強いおじさんだが、仕事では弁えていて、とても尊敬できる人物だ。 「……ま、いっか」 「うん? いいだろ」 全然違うことの「ま、いっか」だったが、春彦が満足そうにそう答えた。 ふたりが食事を終えるまでに、ビジネスマンらしき男女が何人も店に入ってきた。誰もが他人とすれ違うことに慣れていて、ぎりぎりぶつからない線を知っている。渋谷交差点で見られるような『クロス歩き』ができるのは日本人だけだと言うが、こんなふうに知らないうちに訓練を積んでいるからだ。 その緊張感が、街の一部として成り立っている。 嫌いじゃないな、と亜紀は思っている。春彦も、たぶん。 「そろそろ行くか」 春彦が亜紀に言う。 改めて、亜紀は自分の恋人を見つめた。少し前までは「友人」だった彼を。 なにに対しても厳しい眼を持つ男。特に、彼自身に対してもっとも厳しい。もともと仕事に必要な能力に恵まれているのに、その能力をさらに磨き上げる術を熟知している。貴重な能力と、数えられないほどの努力。その上に積み上げられたものを、自分に惜しみなく与えてくれる男。 そして、仕事というものから離れれば、びっくりするほど巧みなキスとセックスで、自分を蕩けさせて、甘やかしてくれる男。それなりにおじさんである自分に「可愛い」と繰り返し、ムズ痒いような、ふわふわしたような、不思議な気持ちにさせてくれる男、だ。 そんな男が自分を好きだと繰り返す。 それで、自分もこの男が愛おしいと思う。そう思えてしまう。 ──なんていう贅沢だろう? 「亜紀? どうした」 「……ん。やっぱり、好きだなと思っただけ」 自分のすぐ隣の席にも、その隣にも、春彦の隣にも、客はいる。 大丈夫、どうせ聞こえたってどうとも思わない。言いたくなったから言うほうが、大事だ。 なにせ、自分たちは付き合いたての恋人同士ですので。 「……亜紀」 「はい」 「次にそんなこと言ったら、絶対にキスするからな。ひとの眼なんか気にできない。店だろうと電車のなかだろうと、職場だろうとだ。専務がいてもだ。気をつけろよ」 「はあい」 今日もまた、リーマン的に電話に出て、リーマン的にPCと向き合う。 彼は必ず自分の隣にいてくれる。だから、一緒に進んでいく。 さあ、仕事だ。 だから彼は風邪薬を飲まない 野望の会社研修編/END. ここまでで2巻終了です。ありがとうございました! 3巻分の更新をお待ちください。

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