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3 花の行方(3)

 明らかに、東雨は不満そうに、 「俺はともかく、若様や陽様が、簡単に見間違えたりなんてしません」 「まぁ、いいから聞け」  蓮章は東雨を制した。 「結論から言う」  慎重に、しかし、大胆に、蓮章は言った。 「夕泉の顔は、見る者によって、色も形も変えるとしたら、どうだ?」 「え?」  東雨が思わず声をあげた。慈圓もこれ以上ないほど、険しい顔をする。玲陽だけは、何かを思ったらしく、静かにうつむいた。  蓮章は続けた。 「以前、焼印事件の件で花街に滞在していた時のことだ。焼印を持った男が、宿の女郎を訪ねてきた。しくじって、そいつは取り逃がしたが、後から女に話を聞いた」 「どんな?」  慈圓が促した。 「男を間近で見ていた女が言うには、男は涼だったと」 「仙水が焼印事件の犯人だとでもいうのか?」 「そうじゃない」  蓮章は首を降り、 「完全に人違いなのは、間違いない。後ろ姿だろうと、俺があいつを見間違えるわけがない。涼ではなかった」  東雨は頷いて、 「では、どうして、女郎さんは、涼景だ、って?」  蓮章は軽く舌で唇を舐めた。 「ここからが、推測だが」  間を置いてから、 「女が言うには、目元が、涼に似ていたのだそうだ」 「似ていた……?」  東雨が意味を噛み締め、繰り返した。 「涼は花街に行く時、頬の傷で女郎を怖がらせないよう、面纱で顔を隠す。だから、目元だけで見間違えたのだろう」 「それと、今回の話と、どう繋がるんですか?」  東雨は首を傾げ、訝しんだ。蓮章は息を吐いた。 「つながる……かもしれない」  悔しそうに蓮章は一度切って、さらに続けた。 「その女郎は、涼に惚れていた」  東雨は虚空を見つめ、それから蓮章の言葉をゆっくりと理解した。同時に、血の気が引いていく。 「つまり、蓮章様が言いたいのは……女郎さんには、その男が、す……好きな涼景に似ているように見えた、と?」  慈圓が横から口を出した。 「梨花、いくらなんでも、突拍子がないぞ」  信じがたいという顔で、蓮章を見ながら、 「夕泉様の外見は、見る者によって変わって見える、それも、自分が想いを寄せる相手に見える、など……」  慎重な慈圓に、蓮章はうなずいた。 「あくまでも一つの仮説。事実から想像したに過ぎません」  不穏になった空気を切り替えるように、蓮章は大きく、息をついた。 「我ながら想像が過ぎると思うが、皇家についてはよくわからないことが多いから、案外、それくらいの奇抜さは必要かと」  蓮章はむしろ、笑い飛ばしてくれたらいい、という気持ちだったが、慈圓も東雨も、真面目に黙り込んでしまった。助けを求めるように玲陽を見ると、誰よりも深刻な顔をして俯いていた。 「まいったな……」  思わず、蓮章はため息をついた。 「まぁ、万が一、その通りだったとしても、特に害があるわけではない。陽は驚いて倒れるほどだったかもしれないが……それ以上は、気にする必要はないだろう……」  苦し紛れに、蓮章は言った。その時、玲陽が意を決して顔を上げた。 「十年前、私に焼印を押した者は、兄様と同じ、青い目をしていたんです」  ぞっとして、三人は玲陽を見つめた。  玲陽が夕泉を見て一瞬で意識を失い、崩れ落ちたのは、ただの驚きではなかった。 「……それって……!」  東雨は胸の奥に種火のような怒りを覚えた。玲陽はそっと東雨に微笑みかけた。  玲陽は、封じていた記憶を無理に引き出しながら、 「夕泉様の新しいお庭……歌仙で私がとらわれていた場所と、そっくりだったんです。滝の景色も、池の様子も、川も石畳も。そして、あの場所にしかないはずの花が咲いていた……」 「花?」  東雨は、景色を思い出した。 「あの、百合ですか」 「はい」  玲陽の手は悲しいほどに震えていた。  だが、それを止められるただ一人の人は、ここにはいない。  東雨は少しだけ玲陽に寄り、膝に手を乗せた。  そのぬくもりに、わずかに玲陽の頬が緩んだ。  犀星の着物を身に付けた東雨が、そばにいる。  それは今の玲陽にとって、心の拠り所でもあった。 「あの頃、私は兄様のことしか考えていなかった。会いたくて、会いたくて、たまらなかった。寂しくて、気が狂いそうだった……その思いが、兄様と同じ瞳を見せたのかもしれません」  蓮章は感情を殺して、 「十年も前に、何らかの理由で、夕泉は自ら歌仙に赴き、陽に焼印の呪いをかけた、と」 「何の理由ですか?」  東雨が怒りをあらわに叫んだ。 「陽様は、夕泉様とは無関係ないじゃないですか! なんで、そんな目に遭わなきゃいけないんですか!」  その声は、まさに玲陽の嘆きを代弁するものだった。  膝に置かれた東雨のぬくもりが、熱く、熱く、心の傷を癒していくようで、玲陽の心を撫でた。  玲陽は真正面から、現実と向き合った。 「夕泉様はおっしゃられました。私には、傀儡を喰らう使命があると。それはさだめであり、逃れることはできないと」  東雨は全身が震えた。  歌仙で、優しい犀遠が傀儡にとらわれ、それを止めるためにどれだけの悲しみがもたらされたのか。そして、玲陽自身がその不思議な力に、深く傷つけられてきたか。 「そんなの、間違ってる」  東雨は声を震わせた。 「陽様は、もう、あんなこと、しなくていいです。そりゃ、傀儡は怖いし、とりつかれるのは嫌ですし、いなくなって欲しいけれど、陽様が一人で背負うのが逃れられないなんて、絶対に間違ってます!」  きっぱりと、言い切った東雨に、玲陽は救われる思いがした。同時に、もう一つ、夕泉の言葉が耳に残っていた。 「私が傀儡を食らえば、それだけ五亨庵に力が満ちるそうです。その力は、兄様を守り、国の平穏を守る力となる。だから、必要なことなのだと……」 「嘘です!」  東雨は悲鳴をあげた。その鋭さに、思わず、皆が黙り込んだ。  東雨の頬には、すでに、幾つもの涙の跡があった。 「陽様が苦しむことで、若様が救われることなんて、絶対にありません! 若様だって、同じことを言うはずです! 国なんかより、陽様の方が大事だって!」  誰も、何も言えなかった。  東雨の感情的な言葉は、あまりに、犀星の言葉だった。  自然と、痛みが引くように、玲陽は表情を解けさせた。 「ありがとうございます、東雨どの」  乱暴に涙をぬぐいながら、東雨は下を向いた。 「……夕泉の言葉を鵜呑みにする必要はない。思いつめるな」  まるで最後の希望を残すかのように、蓮章が言った。 「おそらく、その真偽を見定めるために、親王も涼も、夕泉の元に残ったのだろう。帰りを、待つしかない」  誰もが、何も言えなかった。  犀星と涼景に思いを馳せ、ただ、無事を祈るだけだった。  不意に、東雨が呟いた。 「世界を、変えたい」  そっと、東雨は犀星の席を見上げた。 「こんなの、絶対に嫌だ。どうしてみんな、自分のことばかり……」 「東雨どの……」  玲陽の指が東雨の袖を握った。 「……ごめんなさい、陽様。俺は、無力です」  黙って、玲陽は首を横に振った。  音もなく、蓮章が立ち上がった。 「では、俺はこれで」  東雨が、涙に濡れた目を上げた。 「蓮章様?」 「暁番屋へ行く」  蓮章の声は低かった。 「仕事がある」 「そんな……」  東雨は恨めしげに蓮章を睨んだ。 「せめて、若様がお戻りになるまで……」 「おまえがいれば大丈夫だ」  呟くように言うと、蓮章はわずかに玲陽に微笑み、五亨庵を出た。背後に、東雨のため息が聞こえた気がした。  都に、行かねばならない。  涼景が右近衛の役目を果たしている今、自分が暁隊を預かるのは約束のうちである。  だが、今の蓮章にはそれはまるで、五亨庵から逃げ出す口実であった。  玲陽のことも、東雨のことも、後ろ髪引かれてならない。  それでも、あの場にいられない理由が、蓮章の中にははっきりと芽生えていた。  体が、心が、保てなかった。  小径の中程まで来て、蓮章は足を止めた。瞬間的に、静かだった目を火花を散らした。傍の白梅の幹を拳で殴りつけ、凄まじい激情が体を駆け抜けた。幹に擦れた肌に血がにじむのと、喉から嗚咽がこぼれるのは同時だった。堪えた涙が喉の奥で痛く詰まった。  |加良《から》……  飲み込んだ名が、さらに胸を締め上げた。  花街で、凄惨な最後を遂げた少女の姿は、蓮章の心を底まで抉った。必ず、仇を取る。そう、誓った思いが、今は手の出せない現実に、情け容赦なく引き千切られた。 「リィ」  木立の陰から、小さく、呼ぶ声がした。  蓮章は目を閉じたまま、肩で息をした。 「早まるなよ」  かすかな声が、話しかけた。 「あんたの気持ちもわかるが……冷静になれ」  蓮章の拳が震え、呼吸が音を立てた。 「あんたじゃ、届かない。左近衛の守りすら突破できないだろ」 「…………」 「下手に動けば、涼景にだって、迷惑がかかる。軽はずみなことは……」 「……うるさい」  かろうじて、蓮章は言い返したが、先は続かなかった。声を出せば涙も嗚咽も止まらなくなりそうで、それきり、黙り込んだ。 「リィ」  懲りない慎の声が、再び蓮章を呼んだ。だが、慎もまた、それ以上、かける言葉が見つからなかった。  かつては黒かった夕泉の瞳は、今は金色に輝き、愛しい人の面差しに重なっていた。  まるで悪夢だ。  心の中で犀星は呪った。  大切な人と同じ顔をした相手を、憎まねばならない。

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