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5 連なり(2)
「知るかよ……」
どうせ、夕泉が絡んでいるのだろう。
蓮章は悔しそうに、
「詳しいことはわからないが、おそらく持ち主が取り返しに来たと考えるのが妥当だ」
玲凛が顔をしかめた。
「そんな簡単に盗み出せる? ここは、いつも誰かがいるんだし、この部屋に入れるのって、蓮章様と涼景様だけよね?」
「おまえもいるがな」
「私は実力行使しただけ。忍び込んだわけじゃない」
「余計、悪い」
言いながらも、蓮章はにこりともしなかった。最悪の想像が頭の中を駆け巡った。
暁隊は、多かれ少なかれ涼景に憧れている。
昼間の仮説が正しければ、彼らがここに現れた人物を、涼景だと錯覚するのは、ごく自然なことであった。
だが、果たしてこのような市中に、左近衛の目を盗んで、夕泉自ら出てくるだろうか。第一、保管場所を知っていたのは、自分と涼景本人だけである。
だとすると、本当に涼が……何のために?
考え込んだ蓮章を、玲凛はじっと冴えた目で見つめていた、わずかな顔色の変化も見逃さない、きめ細やかな視線だった。
「さっき、涼景様が持って行ったって言ったわよね。じゃあ、涼景様が犯人だっていうの?」
答える気もない、と呆れて、蓮章は交椅に戻った。だが、もう筆を取る気にはなれなかった。
「馬鹿を言うな。涼が犯人なわけがないだろうが」
玲凛が顎に手を当て、ぐっと眉間にしわを寄せた。
その目は静かで深く、思慮に満ちていた。
「じゃあ、涼景様は誰かに頼まれて持ち出しただけ。それを蓮章様に言わないのは、本人も忘れてしまったか、それとも、別の事情があるか。そして、犯人はおそらく、夕泉様」
まるですべてを見通しているかのように、はっきりと玲凛はその名を口にした。
蓮章の眼差しがピクリと跳ねた。
それに気づかない玲凛ではなかった。
「やっぱり、そうなんだ」
玲凛は蓮章のわずかな変化に確信し、頷いた。蓮章は悔しげ舌打ちした。
「……凛、おまえ、正式に俺の元で働かないか? その冴え、武術だけでは惜しい」
「はぐらかさないで」
玲凛は、声を低めた。
「答えて。今回の奏鳴宮の話を誰もしないことと、関係があるんでしょ?」
蓮章は隠そうともせず、苦い顔をした。ここで違うと言ったところで、玲凛を騙し切る自信はなかった。それでも、わざと鷹揚に構えて語調を緩めた。
「夕泉が犯人、か。いくらなんでも突然だな。どうしてそう思う?」
「気になることがあったから。少し前のことだけれど……」
玲凛は亀池でのことを思い出しながら、机に座ったまま腕組みをした。
「二ヶ月位前、私と東雨で、亀池に行ったことがあったでしょ?」
「ああ。おまえと東雨が一緒に行動するとは意外だった」
「選択の余地がなかっただけ」
口は悪いものの、玲凛は以前よりも東雨を軽んじていないことを蓮章は知っていた。気の強い玲凛ではあるが、人の努力を認められないほど、度量は狭くなかった。
「亀池で近衛兵を見た。左、だっけ? 夕泉様の」
「確かに、左なら夕泉だが……都を出るならばこちらにも知らせがあったはずだが?」
「きっと、内緒で出かけたんだと思う」
玲凛は、どこから話すべきか、頭の中で順序を立てた。
「蓮章様、以前に花街で、黒い蛇を見たことがあるでしょう?」
確かめるように、ゆっくりと玲凛は切り出した。
「あれは、情念が形になったもの。大量に発生すると、いろんな人が取り憑かれて我を忘れる。取り憑かれた人たちは、陽兄様の傀儡喰らいじゃなきゃ祓えない。そうじゃなきゃ、いずれ、死ぬしかないわ」
蓮章は呼吸を整え、真剣に話に耳を傾けた。
「亀池に行った時、池の川の上流の方から黒いものがたくさん流れてきた。もとは霧のようだった。それが亀池の上で塊を作って、そこからたくさんの傀儡が生まれた」
「そんなことがあったのか」
「ほら、星兄様の屋敷の近くで、暁隊が何人も傀儡に囚われたことがあったでしょ? あの時よ」
蓮章の顔が、一瞬、硬直した。思い出したくない失態を思い出さざるをえなかった。自分が駆けつけた時には全てが終わっていたのだ。
玲凛は、そっと胸元から護符を出すと指先で慣れた。
「あの時ね、夕泉様は帳車の中から黙って見ていた。あんなに大量の傀儡……何が起きるかわからないから、早く離れろって言ったのに」
「離れなかったのか?」
玲凛は頷いた。
「傀儡が近衛たちに取り憑いたら、大変なことになる。いくら私でも、あんなにたくさんの人を一人でなんて斬れないし、第一、衛士を殺してしまったら、私もそれでおしまいでしょ」
「確かに、無罪とはいかないな」
蓮章はやるせないように首を振った。
玲凛は、あくまでも民間人であり、暁隊においても、剣客としての立場である。それが衛士を斬ったとなれば、逃れようがない。傀儡などという理解できない理由をあげられたところで、公然に認められるものではなかった。
玲凛は息をついた。
「でも、夕泉は逃げてくれなくて……結局、東雨が夕泉を脅して、ようやくその場を離れさせることができた」
「……ちょっと待て」
傀儡の大発生よりも、蓮章には東雨の方が気に止まった。
「東雨が、脅した?」
玲凛は肩をすぼめた。
「涼景様の悪影響よ、きっと。あいつ、なんだかんだで腰抜けだけど、いざと言うときにはやらかすの。あれで結構、度胸がある」
蓮章は瞬いた。
今まで、玲凛が東雨を認めたことなど、あっただろうか。最近、東雨に対する玲凛の認識が改まったのは、どうやらその一件のせいらしかった。
「……それで、夕泉たちのことと、今回の焼印と、どう関係するんだ?」
蓮章が核心に迫った。
玲凛は、さらに慎重になった。
「ここからは、私の推論だけどね」
玲凛は口元に手をやりながら、
「あの時の夕泉の様子はおかしかった。まるで、何が起きるのか全部見届けたいって感じだった」
「まさか、傀儡を発生させたのは夕泉だと言いたいのか?」
「あくまでも、推論に過ぎないけれど」
玲凛は親指で護符の血文字を撫でた。
「それだけの力を、亀池全体に及ぼすために必要なのは、真名を使った呪いである可能性が高い。私たちの近辺で一番近いのは、あの焼印だから」
「つまり……」
蓮章も思案の表情で、
「夕泉が陽や女郎を傷つけ、焼印をここから持ち出し、それを使って亀池で傀儡を集めた。おまえの話をまとめるとそういうことで良いのか」
玲凛はゆっくりと頷いて、
「亀池につながる太久江は、少し前まで戦地だったんでしょう? 情念なんか山ほど沈んでる。情は水に宿りやすいから」
「確かに、あのあたりは怪しい怪談が絶えない場所だ……」
「その情念を利用して、呼び覚ましたのだとしたら……おそらく、焼印は術に使われて、今はもう、亀池の底よ」
「証拠はなし、か」
「確証だってないわよ。ただ、状況からそう考えることもできるってだけ」
蓮章は腕を組んで考え込んだ。
玲凛の話は、乱暴な理屈ではなかった。
蓮章は、五亨庵で玲陽から聞いた話と重ね合わせた。
夕泉が傀儡と関わりがあることについては、間違いないように思われた。
そして、もしその企てが、玲陽に刻まれた印のほかにも、今なお、続いているのだとしたら。
心を沈めるように、蓮章はおもむろに袖をたくし上げ、硯の墨をすった。
小さく円を描き、丁寧に色を濃くしていく。
「凛」
そうしながら、落ち着いた声で呼びかけた。
「今までの話を総合すると、だ」
蓮章は、玲凛がいつ怒り出さないとも限らないと構えながら、それでも腹をくくった。
「夕泉は、十年前、陽の体に焼印を押し、傀儡を集める呪いをかけた。そして、何らかの方法で涼景を使い、ここから焼印を持ち出し、玄武池で大量の傀儡を発生させた……花街の女郎たちで何かをしようとしていたのも、すべて夕泉の仕業だとおまえは思うか?」
「そういう蓮章様は、とっくにそう思っているんでしょう」
玲凛は、怒りよりもむしろ虚無に近い感情でそう答えた。
「そう思っているからこそ、今、蓮章様の魂はとんでもないことになってる」
墨をする手がぴたりと止まった。玲凛はどこか愛おしそうに目を細めた。
「蓮章様って、本当に情が深いわよね。おかげで魂の形がよく変わる。今の蓮章様は、どうなったっておかしくない」
玲凛は、決して脅しているわけではなかった。ただ、彼女に見える事実を淡々と突きつけてくるだけである。
「今なら、簡単に傀儡に取り憑かれる。その時はごめん。私、斬るから」
言いながら、玲凛は手の中にあった護符を蓮章の前に置いた。
美しい織り込みのある布の中央に、白地に赤黒い見知らぬ文字がひとつ、描かれている。
「私の真名を使った護符。傀儡を遠ざけてくれる。蓮章様には必要だと思う」
素直に、蓮章は受け取った。
「おまえはいいのか?」
「まぁ、蓮章様よりは強いので」
気にしたふうもなく、玲凛は横を向いた。
「少なくとも、私は憎しみに支配されてはいないから」
その言葉はあっさりしていたが、限りなく重たかった。
蓮章は声を殺した。
「おまえは、陽を傷つけた夕泉が憎くないのか?」
玲凛は何も答えなかった。
蓮章は続けた。
「俺は……憎い。どんな理由があったにせよ、罪もない花街の女を傷つけた。人として許せはしない。たとえ、親王であろうと」
「私だって許してないわよ」
玲凛が少しだけ、声を高めた。
「でもね、憎んではいないだけ」
不思議そうに、蓮章は玲凛の顔を見た。
このやるせない苦しさを、玲凛ならばはわかってくれるものだと、蓮章はどこかで期待していたのかもしれない。
だが、玲凛の顔は、明らかに自分よりも冷静だった。
「難しいことはわからないけれど、憎しみと怒りとは違うと思う」
「憎しみと怒り……?」
「そう。私は怒っている。でも、憎んではいない」
憎しみと怒り。蓮章には混然として切り離せないもののように思われた。
夕泉に対する怒り、夕泉に対する憎しみ。
どう考えても、それは一つの感情の塊だった。
果たして、玲凛が言ったように、自分には分かつことができるのか。
迷う蓮章の髪を、玲凛の落ち着いた声が撫でた。
「憎しみは魂を歪め、隙を作り、決断を誤らせ、自滅へと導く。けれど、怒りは先へ進む力になる。私は憎むより、怒ったほうがいい」
整えた小筆の先を見つめ、蓮章は自分の鼓動に耳をすませた。
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