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5 連なり(3)

 高鳴っていたが、それは静まりに向かうための緩やかな坂道に思われた。 「おまえの話を聞いていると、不思議でならない」  率直に蓮章は言った。 「仙女とでも話している気がする」  玲凛が笑い飛ばした。 「どこが……?」  と言いかけて、ふと、玲凛の表情が曇った。  それは怒りだの憎しみだのと言う話をしている時よりも、ずっと深い憂いを帯びていた。 「知ってる?」  突然、玲凛の声が低くなった。 「玲家の祖先ってね、仙女だったんだって」 「それは、ただの言い伝えだろ」 「私もそう思う」  玲凛は几案を降りると、格子窓から外を覗いた。 「仙女が人の男と恋をした。そうして生まれた女が、玲家の始祖となった。男は死に、仙女は自分の世界から追放され、どうなったのかわからない」  蓮章が黙っていると、玲凛は、いきなり声を上げて笑った。 「馬鹿げたおとぎ話でしょう?」  その声は、嘲笑にも嘆きにも似た、玲凛には珍しい響きを帯びていた。 「そんなもののために、私たちの一族は非道なことをずっと続けてきたの。血に縛られて、自らを鎖でつないで、自由を手放して。しかもそれを誇りと呼ぶ。私は、こんな血を終わらせたいの」  玲凛の言葉は、最後は叫びとなっていた。  蓮章は息を呑んだ。ちらりと部屋の入り口を見ると、何人かの隊士が心配そうにこちらを覗き込んでいた。  軽く首を振って部下を安心させ、蓮章は手の中の護符を眺めながら、玲凛と見比べた。 「おまえは強いな」 「別に強くないわよ」  玲凛は呼吸を整えて、 「そりゃ、蓮章様より剣術の腕が立つっていうのは事実だけど」 「言ってくれる」 「でも本当に強いのは剣とか槍とかそんなんじゃない。蓮章様よ」  からりと晴れた青空が、蓮章の上に降りたようだった。  玲凛は夜空を見上げた。 「蓮章様みたいに、情が強いのは手に負えないのよ。情は諸刃の剣。正しく使えば、どんな闇でも裂けるし、どんな道でも開くことができる。でも、やり方を間違えれば、自分自身を斬り殺す。容赦なくバラバラにしてしまう」 「…………」 「人が持つには、蓮章様の情は大きすぎる」 「……おまえは、結局何が言いたいんだ?」  蓮章は静かに問いかけた。  この、自分よりはるかに幼い少女が、自分の本質を見抜いているようで、なぜか素直な心が芽生えていた。 「私にもよくわからないの」  玲凛は言った。 「それより……」  急に普段の調子に戻って、玲凛は蓮章を見た。 「東雨って何者なの?」 「……また、突然何を?」  話題の転換の速さに、蓮章は戸惑った。  だが、それ以上に東雨の出生を知る蓮章には、玲凛の問いはあまりにも意味が深かった。 「亀池の話をしたでしょう?」  真面目な調子で、玲凛が言った。 「あの時ね、溢れだした傀儡がたくさん、東雨の中に入ったの。普通は正気じゃいられないし、あのまま発狂して、手がつけられなくなっても当然だった。なのに、あいつ、平気な顔してた。どうしてだと思う?」 「そんなこと、俺に聞かれたってわかるかよ。傀儡に関してはおまえの方が詳しいだろ?」 「だから、東雨に関して、聞いているのよ」  玲凛は決して逃さない目で、蓮章を見た。 「傀儡を飲み込んでも平気でいられる人間なんて、そうそういるもんじゃないの。特別な何か、本当に特別な血でも、受け継いでいない限りは」  見せかけの笑みも消えて、蓮章は真顔だった。容赦無く、玲凛は続けた。 「夕泉が使った術、あれだけ大量の傀儡を呼び寄せたり、陽兄様の体に呪いを残し続けたりする力、あんなの普通の人間にはできない。多分、夕泉様も、東雨も同じ。だから、聞いているの。東雨は何者?」  まさかこんなところから鋭い刃が差し込まれるとは、蓮章にも思ってもいないことであった。  長い沈黙が二人の間を遮った。  玲凛は決して引かない。  蓮章も、また耐えた。答えを持ってはいても、それを口にするだけの覚悟が必要とされていた。  玲凛は決して、軽率な人間ではない。他言はしない。  涼景が信用するほどの人徳が、目の前の少女には備わっていた。  玲凛の魂は確かに自分と同じ場所にある。いや、それ以上の高みかもしれなかった。  入り口に視線を走らせ、誰も聞き耳を立てていないことを確かめてから、蓮章は注意深く声を低めた。 「宝順の落胤」  玲凛の美しい眉が、わずかに寄せられた。  だが、それ以上の驚きはなかった。  蓮章は続けた。 「知っているのは、涼と師匠と俺だけだ。あぁ、あと……」  天井裏から、ため息が聞こえた気がした。 「本人は、知らないのね」  静かに玲凛が確かめた。  蓮章は頷いた。 「できれば何も知らさずに、静かにしておいてやりたかった。あいつは、親王のそばで、生涯穏やかに生きさせてやりたかった」 「気になる言い方ね」  鋭く玲凛が言った。蓮章は筆を置き、背を伸ばした。 「凛、おまえに頼みがある」  蓮章は否定せず、ただ、さらに真剣になった声で、 「その武勇、貸しては、もらえないだろうか」 「蓮章様に?」  玲凛の目が細められ、眉間に皺が寄る。蓮章はわずかに視線をそらしながら、 「あいつ……慎の身の上は?」 「聞いてる」 「そうか……」  蓮章は一度、息を止め、 「俺はずっと、何もしてやれなかった。だが、もう、終わりにしたい。あいつのためだけじゃない。今もなお、止めたい悲劇を傍観していることしかできない……天を、動かしたい」 「……言いたいことはわかる」  どこまでも、玲凛は慎重だった。 「でも、星兄様は立たないわよ。あの人は、陽兄様のことしか……」  言いながら、自分の言葉に、玲凛は息を止めた。 「蓮章様、もしかして……」  玲凛の目が油灯の光を映して静かに煌めいた。蓮章の沈黙が、玲凛の疑惑を確信に変えた。 「本当、とんでもないこと、考えるわね」 「我ながら、最低だと思っている。だが、もうじき、時は満ちる。その時、おまえの力が欲しい」  蓮章は自ら言葉にしながら、どこか遠くの、他人の声を聞くような気がしていた。 「残念だけど、私では涼景様の代わりはできない」  きっぱりと玲凛は言った。そして、ニヤリとした。 「でも、私は私がやりたいことをやる。皇帝なんてどうでもいいけれど、同じ血が、星兄様にも流れているのだから、無関係とはいかない。陽兄様のために」  外から見れば、まだ、十六の少女。  しかし、その魂は肉体に見合わぬほどに、生きることに長けていた。  黒と灰の感情のない目が、玲凛の毅然とした顔を捉えた。 「蓮章様が、あの二人をそっとしておいてくれるのなら、考えてもいい」 「……ああ」 「約束、よ」  釘を刺すように蓮章を見つめ、玲凛は何事もなかったかのように、部屋を後にした。  夢から醒めきらぬ心地で、蓮章は息を吐いた。頭の中が白くかすみ、それでいて意識はやけに冴えていた。 「……あんた、喋りすぎだ」  背後で隠し戸が動いて、几架の陰から慎が半分、姿を見せた。 「……おまえに言われたくない」  蓮章は片手で油灯に覆いを被せた。部屋の中が夜陰に沈み、慎は一歩、蓮章に寄った。 「おまえ、どうして親王の所に寄った? あそこは涼がいるからいいと、言っておいたはずだ」 「……仕事熱心なだけ」  慎は躊躇いなく背後から蓮章を抱きしめた。 「あんたさ、無理しすぎ」 「今しなくて、いつするんだ」 「もう、一生分、してきただろ」  呼吸で話しながら、慎は首筋に鼻をすり寄せた。  入り口の部屋で沸き起こった笑い声が、遠い出来事のようだった。 「そのために、俺がいる。もう、見てらんねぇよ」 「これくらい、どうということもない」 「強がるな」 「おまえこそ、油断しすぎだ」 「それこそ、あんたに言われたくない。全部、喋っちまって」 「凛が相手だ。諦めろ」 「だったら、あんたも諦めろ」  軽口すら、月明かりの底に次々と沈み、部屋はすぐに静寂に満ちた。  蓮章の肌をまさぐった慎の手が、その冷たさに強張った。空気のぬるむ夏の夜だというのに、命ある肌とは思えぬ感触だった。 「あんた……やっぱり、無理しすぎだ」  一層冷えた耳介を食んで、慎は囁いた。  蓮章の傷ついた心が体からこぼれ落ちてしまいそうで、慎は余計に力を込めた。  自分ではだめだ。  そう、諦めながらも、手応えのない風を抱きしめるようにすがりつく腕を、止めることはできなかった。  やけに落ち着いた涼景の横顔が思い出されて、慎は口の端を引き攣らせた。  怒りなのか、嫉妬なのか、悲しみなのか、わからなかった。  乞うように蓮章の頭を抱き寄せ、頬擦りするさまは、鏡を覗くように重なり合った。 「もう、俺にしとけ」  慎の切ない声色が、蓮章の胸の窪みを撫でた。 「おまえ……しつこい」 「知ってるだろ」 「……うるさい」 「静かにする」  唇が合わさり、しめやかな音がわずかに漏れた。雲が月光を陰らせ、その音さえ闇に溶けてゆく。  冷たい。  深く触れているはずなのに、あまりに熱のない蓮章の体に、慎の背中までが凍るようだった。  どこまでも、冷たい。  恐怖が鋭く慎の心を貫き、口づけを深くした。触れる吐息はわずかに暖かいようでいて、願いに過ぎないとも思われた。 「リィ……!」  踏み込んだ慎の雰囲気に、思わず蓮章は身を引いた。体が崩れて、几案の上に押し倒され、木簡が散って床で乾いた音を立てた。  一瞬、二人の間に緊張が走り、同時に、視線が入り口の方へ向いた。幸い、気づかれた様子はなかった。  気がそれて、蓮章はひとつ、大きく息をついた。空気が流れ込んだ刺激で、鋭い咳が喉を突いた。胸の奥に、突き刺す痛みが走り、一瞬で肌に汗が浮いた。  隠すことのできない近さで、慎はすぐにそれを察した。 「……リィ?」 「何でもない」  掠れた蓮章の声は、灼けていた。  背けられた顔を押さえて、慎は再び深く口付けた。咄嗟に蓮章はそれを振り払った。慎は追わず、ただ、舌に残った鉄の味を確かめた。 「……やけに急ぐと思ったら、こういうことかよ」  慎の声が、悔しげに震えた。  暗闇の中で、蓮章は乱暴に唇を拭い、黙り込んだ。

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