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6 双石(2)

「歌仙様も、多くを語ってはくれません。ですから憶測の域を出ないところもありましょう。それでも、あえて私が見たことをお伝えするのならば……」  涼景は前置きをしてから、 「夕泉様がご用意なされた庭。あれはすでに、宣戦布告と言わざるをえない」  備拓は眉間にしわを寄せて、 「私には、歌仙の風景を再現し、歌仙様が懐かしむ場所を用意したのだと仰せだったが」 「半分は、その通りです」  涼景は玲家領で見た、あの忌わしい場所を思い出していた。 「かつて、承親悌は、歌仙の地で、長くお一人だった。歌仙様が思いを募らせ、私が共に彼の地より承親悌を招いた。そのくだりについては、備拓様もよくご存知のはず」  備拓はうなずいた。  涼景の働きは公にされなかったが、立場上、備拓の耳にも届いていた。涼景は静かに続けた。 「歌仙の地で、承親悌が十年間幽閉され、辛い日々を送られていた場所、それがあの庭と同じ景色でございました」  備拓の顔に、明らかな驚きが浮かんだ。涼景の声が、一層低くなった。 「承親悌はあの場所で、十年と言う月日、歌仙様のお帰りを待ち続けた。命を縮め、心を削る苦しみの日々に耐え続けていらっしゃった。言い換えるならば、あの庭は懐かしむ思い出などではなく、呪いの景色そのものです」  備拓は目を沈ませた。だが、その声は毅然として張り続けていた。 「つまり我が主人は、承親悌の触れられたくない心の傷を再現したと言うことか」 「偶然であったとは思えません」  強く、涼景は言った。 「私もかつて、あの地に踏み入った事があります。意図的に似せられたものであると、断ずることができます」  備拓は深く視線を下げた。 「貴殿がそう言う以上、私はそれを信用するしかあるまい」  沈黙が、しばしその小さな部屋の中に満ちた。  主人に関わることに、余計な情けは挟まず、事実を歪めることもしない。それがこの二人の気質であった。相手の気性を知るからこその沈黙だった。 「問題はここからだ」  備拓が、涼景を見た。 「確かに」  涼景もまた、備拓の言わんとしていることを察していた。  涼景は慎重に切り出した。 「歌仙様は深く傷つかれた。承親悌もまたしかり。それは単に、記憶の底に封じていたものを突きつけられたためだけではない」  どこまで話して良いものか涼景は迷ったが、この際、多くを明らかにする覚悟があった。 「備拓様は、十年前、まだ夕泉様の近衛ではありませんでしたな?」 「うむ。あの頃はまだ正規軍にいた。当時の左近衛は、暁どのも知っての通り、英仁様のもの」 「当時の夕泉様の動きを知る者は?」 「記録に残されていなければ、今は闇の中」  涼景は昔を振り返った。 「十年前、歌仙様が都に上がられてより、お二人は急速に仲を縮められ、互いに行き交う関係となられた。喜ばしき兄弟の再会、私はそれをこの目で見てきた」  長く犀星のそばにいる涼景には、己の記憶と記録とが重なっていた。 「仲睦まじい兄弟、それが宮中におけるお二人のすべてだった。しかし、今思えば、そこには最初から、見えない亀裂が存在していたのだと考えずにはいられない」 「亀裂とは?」  備拓の問いに、涼景は顔を上げた。 「お二人が、約束を交わした時、すでに、この未来は決められていた」 「どういう意味だ?」  涼景は、険しく目を細めた。 「およそ十年前、歌仙様と承親悌の関係を知った夕泉様は、密かに歌仙の地に赴き、当時、承親悌がとらわれていたあの庭を訪れた」 「夕泉様が、歌仙に行ったと?」  備拓は、唇を曲げた。涼景は淡々と、 「夕泉様はあの頃から人付き合いを嫌い、一人静かに奏鳴宮の奥で過ごすことが多かった。それゆえに、もし、長きにわたって宮を空けても、気づかれない可能性は十分にある」 「当時の左近衛隊長は英仁様。記録も記憶もないとなれば……」  英仁が、夕泉とどれほどの信頼関係を築いていたか、既に確かめようがなかった。だが、英仁の人柄を知る涼景と備拓には、英仁にとって主人の命令が絶対であったであろうことは確信できた。 「何故、夕泉様が承親悌を訪ねる必要があったのか……」  備拓の疑問は当然のものであった。  涼景は、これから自分が口にしようとすることが、夕泉に対する取り返しのつかない反逆であることを承知していた。 「この先は、備拓様の心にのみ留めて欲しい」  言いながら、涼景は尚書令に目を向けた。すでに心得ていたのか、尚書令は黙って部屋を立ち去った。  扉が閉められると、涼景はさらに声をひそめた。 「おそらく、夕泉様は、承親悌の身に、術を施していらっしゃる」 「術?」  備拓は、訝しげに瞬いた。 「その者の体に悪しきものを集める、呪いだ」  涼景は備拓の顔色を伺いながら、慎重に言葉を選んだ。 備拓が、涼景の言葉と夕泉の良心、そのどちらを信じるか。これは、大胆な賭けであった。備拓の判断の天秤は、ゆっくりと揺れているように思われた。  涼景は更に続けた。 「複雑な事情はわかりかねる。しかし、承親悌や玲仲咲との関わりにより得た知識、そして、昨日の夕泉様ご自身の告白を重ねれば、その真実が見えてきます」  備拓は唸った。答えは容易には出なかった。 「……つまり、十年前に夕泉様は、わざわざ歌仙に赴き、当時の承親悌に術を施した上で、知らぬ顔で歌仙様と過ごしていたと?」  涼景は頷いた。 「にわかには信じがたくとも無理はない。ただ、これだけは知っていただきたい。夕泉様が過去に成したことのために、承親悌の歌仙での苦しみは増し、心は病み、体は傷つき、歌仙様が助け出したときには、もう廃人同然、いつ命が消えてもおかしくない状態でした。そしてこの度、夕泉様は、その暗い記憶を蘇らせるが如く、承親悌がとらわれていた場所を再現なされた。これは明確なる悪意に他なりませぬ」  十年越しの悪意。  備拓にとっては、思ってもいなかった話だった。だが、涼景を否定することはできなかった。否定するほど、備拓は夕泉を知らないのだ。 「暁どの」  迷いながら、備拓もまた、慎重になった。 「そなたのおっしゃりたい事はよくわかった。その上で、いくつか問いたい」 「答えられることであれば」  涼景は体を起こした。備拓は臆さず、涼景をその目に捉えた。 「私には夕泉様と歌仙様の仲は良好に見えていた。そこに間違いはないか?」 「私にもそう見えていました。夕泉様は歌仙様に対して愛着をお持ちだった。それがぶれた事は一度としてありませんでした」  備拓はうなずき、それから次の問いへと移った。 「ならば、なぜ夕泉様は、承親悌を傷つける必要があった? 呪いなどという怪しげなものに手を出してまで」  涼景は庭での記憶をたどった。 「夕泉様はおっしゃられていた。大切な人のためには、やむを得ぬ行動であったと」 「大切な……?」  それは特殊な言い方ではなかったが、備拓には少なからぬ衝撃があった。  備拓が夕泉の思いを知る機会は、あまりに少なかった。  ただ静かに時を過ごすだけの夕泉の中に、そのような感情が潜んでいたなど、考えもしないことであった。 「……夕泉様が、直接仰せだったのか?」 「はい。大切なもののため、そうせざるを得ない衝動があり、そうしたまでのことである、と」  涼景は、緊張の中で聞いた夕泉の言葉を丁寧に思い返した。 「人を想う心を知るのならば、ご自身の気持ちも理解してもらえるはずだと、歌仙様に迫っておいででした」  備拓はさらに考えに沈んだ。  昨日、目の前で起きていた出来事。核心はすぐそばにあったというのに、備拓の目にも耳にも入らなかったという現実。それは、今までの備拓と夕泉の心の距離とも完全に重なっていた。  私は近衛として失格だ。  何度も繰り返した泣き言が、再び備拓の脳裏をかすめた。  だが、今は嘆いている時ではなかった。少しでも情報が欲しかった。 「我が主人は、その人のために承親悌を傷つけてきたと? そしてこのたび、忌わしい記憶につながる庭を再現し、彼を招き、過去の心の傷を蘇らせたと言うのか」 「そこまでの執念で、夕泉様は動かれたのです」  涼景は一つ息を落とした。 「私にわかるのはここまでです。その上で、私にも備拓様に問いたいことがある」 「いかようにも」  自分にわかることならばと、備拓は胸を開いた。 「夕泉様が、承親悌になさった振る舞い、近衛として、親しき者として、決して見過ごすことはできませぬ。されど一つ、確かめねばならぬことがある。夕泉様がおっしゃられた、譲れぬ人とは、どなたのことか」  揺れていた備拓の目が、ぴたりと止まった。涼景は、首を振って、 「私は判断がつくほど、深くお人柄を存じ上げない。夕泉様が、歌仙様や承親悌を傷つけてでも、十年もの間、決して譲ることのできなかった愛しい相手とは、どなたを指すのか。備拓様ならば、お心当たりもあろうかと」  備拓は思わず口を閉ざした。答えられるものなら答えたかった。だが、むしろ、知りたいのは備拓の方だった。  備拓は、火照った思考を巡らせた。 「確証は無い」  備拓はゆっくりと口を開いた。偽りの情報は人を狂わせ、誤った方向へ導くものである。わからぬ時は、わからぬと言うことが情報となる。  それを備拓も心得ていた。 「私は、夕泉様より、お心に決めた相手がいるという話を聞いた事は無い」  備拓の言葉に、涼景は注意深く耳を澄ませた。 「暁どのもご存知の通り、夕泉様は人と関わることを嫌う。それゆえ関わりを持つ相手は限られる。私が知る限り、歌仙様の他に夕泉様が関わる相手は、ただ一人、宝順帝のみだ」 「それが確かならば、夕泉様は兄のために弟を捨てたと」

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