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8 脈(2)

 作匠を希望する者には、農民の家を建てさせた。当然、それは無償での作業となった。合否は、農民が気にいるかどうか、で決めた。  農民には、畑の開墾と、作物への知識を問うた。開墾された畑は自分のものにはならない、と知らせてあった。やる気のない者は、手を抜き、石や木の根が残ったまま、表面にだけ土をかぶせてごまかした。一方、丁寧に良い土を耕し、土壌に合わせて種を蒔いたものにだけ、その土地を与えて居住を許した。  護衛役を希望する者には、洲の見立てが課題だった。直接、洲がその目で力を確かめた。かつて、犀星と知り合ったばかりの頃の洲は、ただの荒れた乱暴者であったが、ここ数年、花街を任せれるにつれて、人を束ねる者として大きく成長していた。  馬借の試験には、東雨が呼び出された。事前に、気の荒い馬、疲れがたまっているもの、病の気配があるもの、健康なもの、など、様々な状態の馬を揃えておき、見た目ではわからぬように並べて繋いでおいた。試験を受けるものは、馬に近づき、様子を見て、適切に処置や状態を言い当てねばならなかった。その様子を、東雨は試験官として緊張した目で見つめ、決断をくだした。  いつの間にか、辰巳には、真面目な人柄と、不器用でも心根の優しい者が集まる気風が育ちつつあった。  そしてそれは、緑権のどこまでも穏やかで情け深く、放っておけない危なっかしさに敏感な人々でもあった。  五亨庵に勤めて十年あまり、ずっと水面下で鳴かず飛ばずだった緑権だったが、ここにきて、土地と、人と、仕事が、ようやく彼の才能に追いついた。  並々ならぬ凡人さが、辰巳開発の要とも言えた。  辰巳の者たちも、緑権の気質をよく理解し、歌仙親王の腹心だと知りつつも、親しく、そして遠慮なく声をかけてきた。  軌道に乗ってくると、当然、便宜を図ってもらおうと金品をちらつかせたり、身内の誰々がどこの権力を持っているといった話をしてくる者が現れるのが常だった。  しかし、幸いにも緑権にはそのあたりの欲がない。  おかげで、金で動かないとわかった者たちは、自然と足が遠のいた。代わりに、犀星の地味で堅実で、そしてどこか風変わりな魅力に魅せられた者たちが、自然と集まるようになった。  新しい制度と文化の芽が、確実に結ばれた町。  名前こそ安易だったが、辰巳はまさに歌仙親王の土地として成長していった。  緑権は鼻が高かった。開発の第一線に自分がいることを噛み締めるたびに、顔がにやけた。にやけつつも、自分が真っ先に完成させなければならない仕事を忘れなかった。  朝日がすっかり街道を照らし、人々の往来が盛んになる頃、緑権は道に出て、建設中の湯治場を見た。  裏手の川から水を運ぶ準備が整っていて、水路を通って大型の釜へと流れ込むようになっていた。  母屋の下で、水は一度、長く土の中をくぐらせた。  それによって水に含まれる体に良くない物質を取り除くのだと、玲陽が難しい話をしていた。  その後、水運で運ばれてきた泥炭を使い、湯釜に火が入れられた。伍江から引いてきた水は熱湯となり、割り竹を通って、湯殿の方へと送られた。  その間で適温に冷やされ、緑権が地面に書いた通りの大きな浴槽を満たした。浴槽は人が十人も体を伸ばして入れるほどの大きさがあった。しかも、浴槽は高さを変えて、三つあった。  湯口に近いところは高温である。湯船の隙間に凹みがあり、そこから真ん中の高さの湯へ注ぐ。さらにその下は、最も温度の低い槽となる。  自分に合わせた湯温を選べる、というのが、この三段槽の発想だった。  湯は自然と流れ出して、次は部屋の周りを巡った。  人々を驚かせたのは、まだ冷めない湯を、建物全体の床下を通すという案である。  ぬくもりを持った水が下からじんわりと床板を温め、足元の冷えを防いでくれた。  暑すぎる季節はそのまま伍江に向かう排水溝へ流した。冬場はそちらの道を閉じ、建物の床下の暖房へと活用された。  徹底的に、使えるものを使う、という視点は、犀星の気質そのままだった。  辰巳荘は湯屋ではあったが、宿泊施設ではなかった。この理由は明確で、すでに宿場で商売を始めていた店と競合することを避けたためだった。  今までの宿には、牀はあっても、湯殿がなかった。そこに、犀星は目をつけた。辰巳荘は朝から夕刻までの使用で、夜間は門を閉ざすことを明らかにした。これによって、宿泊客を受け入れなかった。  その上で、すでに町で営業していた宿場と、提携を結んだ。その宿に泊まれば、辰巳荘が格安で利用できる、というものだった。宿が利用客の湯代を埋め合わせる必要はなく、あくまでも、先に商売をしていた宿場に対する後進の辰巳荘の配慮と言えた。  そうやって、町の区画、人間の配置、共助の仕組みができていく中で、緑権はまた別の新しい試みを始めた。  料理屋である。  辰巳荘の中には、湯殿ばかりはではなく、休息にあてる部屋も用意していた。湯治を目的とした施設であるため、湯に浸かり、休み、そして体に良い食事をとる。この三つが必須の項目であった。  食事、とくれば、ここはもう、言わずもがな、であった。そして、緑権の一番の腕の見せ所であり、資金調達の要でもあった。  理屈は簡単である。  着物や高価な筆ならば、壊れでもしない限りは二つ目、三つ目を求めるという事は無い。  だが、湯は二日に一度は必要だし、食事は日に数度必要である。  それを商売の目玉に据えるというのは、なかなかに握りが良い。  緑権の、調理人としての真価が試される時が来た。  魚は都から水を使って運ばせた。油や穀類は近隣の農地から手に入れた。支払う金がなかったため、湯治場を無料で利用できる回数札を金額に応じて配った。まだ完成すらしていない湯の利用権利を担保に商品を売ることなど、通常であれば考えられなかった。だが、緑権の話術は巧みだった。 「歌仙様を、信用できないのですか?」  商人たちは困った顔をしたものの、最後には頷いた。  信用できない、と言えば皇家への謀反と捕らえられかねない、という恐れもあったが、それ以上に、犀星ならば信じても良いのではないか、という期待が大きかった。  緑権は、民衆が犀星に寄せる信頼を頼りに、次々と周囲を巻き込んでいった。  都の市場で東雨の目利きで良い魚を仕入れて船に乗せた。経験を積んだ船頭が、それを辰巳まで運び、緑権が受け取った。  緑権は集めた食材を、厨房では料理しなかった。厨房がまだ使えるほど完成していなかったこともあったが、わざと、門の前の目立つ道の端に長板を置いて、往来で堂々と調理の腕を振った。  店先で調理する店は珍しくない。  しかし緑権の演示は少々ことを異にしていた。  形から入る特殊なこだわりの道具たちが、板にずらりと並んだ。また、緑権の真剣な顔は料理人と言うには型から外れていた。  それが人並み外れた芸術家なのか、集中力の凄まじい琴の名手なのか、他を圧倒する剣豪なのか、はたまた宮中の陰陽官も怯える術の使い手なのか。  緑権はその時その時に多様で、一つには絞れない類の、ただひたすらに緑権らしい迫力を見せた。  思わず目に止まる雰囲気を纏い、往来が見る中で見事な包丁さばきを披露する。普段は使わないような食材を、使わないような方法で、次々と目新しい料理に変えて行く。  それは眺めるだけで、十分な娯楽だった。  通り過ぎるだけの人々も、つい、足が止まった。  行商の街とあって、扱う食材の産地については博識な者が多かった。 「あの棗、産地はどこだ?」  誰かがつぶやくと、緑権が素早く答えた。 「これはどこどこの誰の手によるいつごろに取れたもので、他より甘みがあり大ぶりで非常に良い。これを入手するには、御幸の水を使い、某村から、某村までの一日半の工程を要します。発注の申し込みはこちらで承り、お代はものとの交換となります」  食材の宣伝と、その流通の説明、そして、入手方法まで、緑権は的確にその場で返答した。これは驚く以前に、商人たちにとっては魅力があった。  自分が取り扱う食材を緑権に渡して料理に使ってもらえば、自然とその口から宣伝を振りまいてもらえるのだ。  利に聡い者は、少しずつ、商品を売り込もうと緑権の元に持ち込んだ。  ここで緑権のこだわりが、英断をくだした。  料理を旨くするため、質の悪いものは断固として断った。結果、緑権が扱う食材は信用がある、という評価が根付いた。  緑権は五亨庵で書類を管理している時よりも、はるかに生き生きとしてこの街を仕切っていた。そうこうして、湯治場の建設と運営の仕組み、周囲への噂の流布と信用とを、一つのことしか見えないがゆえのまっすぐで際限を知らない行動力で、短期間で成果として積み上げていった。  犀星には事後報告となることも珍しくなく、その度に五亨庵の一同は、緑権の有能さを顔を引きつらせて目の当たりにするしかなかった。  その日の午後、緊急の会議が、天輝殿の中殿で開かれた。  |錚々《そうそう》たる顔ぶれが召喚され、左右の宰相を筆頭に文官たちがずらりと揃い、軍部からは禁軍の然韋と数名の分隊長、左近衛の備拓が居並んだ。右近衛からは、涼景と蓮章が揃って呼び出されていた。  議題は、皇子の毒殺の犯人の追求と、他の皇子たちの警護に関わることだった。  宝順の隣には夕泉の席があるだけで、犀星は出席を断った。  皇家の有事に顔を見せないことは、余計な流言の種になる、と蓮章は案じた。だが、犀星には、夕泉を前にして冷静でいられる自信はなかった。  表向きは体調を理由にしたが、蓮章が思った通り、官吏の中には犀星の事件への関与を疑う声が聞かれた。  涼景は終始、気が気ではなかった。  自分への誹謗ならばいくらでも耐えるが、犀星が辱められることは許せないのが、涼景の性格だった。少しでも耳打ちする者がいると、涼景は相手構わず睨みつけた。  蓮章は落ち着かない親友の分まで、淡々と右近衛代表として対応を示し、涼景の代わりを務めた。蓮章とて、夕泉と同じ場に居合わせて、平生ではなかった。しかし、自分以上に感情が動く涼景を前にすると、逆に心が落ち着いた。  夕泉は空気のように、ただ宝順のそばにいた。  宝順もまた、静かだった。終始険しい表情で臣下たちが議論する中、そのまなざしは遠く、他人事のように傍観していた。  審議の結果、左相・|趙教《ちょうきょう》の意見が押し通り、事件の追求は禁軍が引き受け、宮中に止まっている皇子たちの警護は左右の近衛に割り当てられた。  すべてが済んで、宝順がその場を去り、備拓が夕泉を伴って、議場を後にした。高官たちが退場するまで、涼景と蓮章は形ばかり恭しく見送った。  ようやく自分たちの番が来ると、涼景は早足に席を立ち、天輝殿の大階段まで無言で歩き続けた。  夏の日差しが照らす天輝殿の正門前は、石の白と草木の緑が眩しかった。その景色に反して、自分達の今後には暗雲が立ち込めていた。 「涼、止まれ」  遅れまいと急いだ蓮章が、わずかに息を荒げて追いついた。その声に、ようやく、涼景は振り返った。不機嫌を隠さない親友の顔に、蓮章は苦笑した。 「まぁ、そうなるだろうな」  言いながら、蓮章は裾を整えた。涼景は拗ねたように蓮章を睨みながら、 「結局、きついところを押し付けられた。おまえが断らないからだ」  と、さらに顔を歪めた。蓮章は深く息をして、 「あの場で駄々をこねたところで、時間の無駄だ」 「あいつらの言い草、まるで、星が仕組んだって言いようじゃないか。何も知らないくせに……」 「涼、おまえの憤慨もわかるが、乗せられてどうする?」 「……わかっている。だが……な」  涼景は拳を震わせ、蓮章は肩をすくめた。 「まぁ、いいさ。おまえがそんなだから、逆に玲親王の無実を察した者もいるだろうし」 「……おまえは、本当に……」

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