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11 井中(2)

「けれど、誰に対しても真正面から向き合いすぎ、結果として必要以上に周囲の好意を引き寄せ、誤解すら招きます。一方的に慕う方に逆恨みされて、危ない目に遭いかねません。何より、立場上、危険な任務が多すぎます。戦となれば、間違いなく出陣。命を落とす可能性が高すぎる。願わくば凛どののそばにいていただきたい。離れることがどれだけ辛いか、凛どのには、私と同じ思いをして欲しくないのです」 「それは、そうですね」  玲陽の静かな分析に、東雨も自然と納得した。そんな涼景の性格のせいで、自分の気持ちも乱されている自覚があった。  さすがに、よく見ている。  犀星は誇らしさで胸が高鳴った。  玲凛可愛さに視野が狭くなっているかと思ったが、玲陽の分析の緻密さ、思慮深さは健在だった。 「蓮章様は賢くて、頼りにもなります。けれどやはり、一途であって欲しいです。あの年齢まで花街通いが習慣になっている人が、急に身を|慎《つつし》めるかどうか…… 凛どのはしっかりしていそうに見えて、本当は寂しがりやです。大切な人が自分だけを見てくれないなんて、痛ましすぎます。それを思うと、やはり不安が……」 「まぁ、そうだな」  再び、犀星は呟いたが、やはり兄の贔屓目は拭いきれないか、と苦笑もこぼれた。玲陽は手ぬぐいを両手で握った。 「蓮章様の落ち着きのなさは、改善のしようがないかもしれません。むしろ、凛どのでは荷が重いかも……」  何かを想像して、東雨は真っ赤に湯だった。  玲陽は、桶の湯を、頭からかぶった。しぶきが石畳に弾けて、天気雨のようにきらきらと舞い散った。 「究極の選択です」  散々に握り潰していた手拭いをようやく解放して、|巾架《きんか》にかけると、手早く髪をまとめて布で巻き上げながら、玲陽は待ちかねた犀星の湯船に足をつけた。ため息をついて、玲陽は額を抑えた。しかし、決めるのは玲陽ではなく、玲凛である。 「たしかに、あの甲斐性なしの二人では、選びようがない」  犀星は、玲陽に腕を伸ばして微笑んだ。 「笑い事ではないのです」  犀星を見る玲陽の目は恨めしげである。 「それなら、陽様は、誰がふさわしい、って思うんですか?」  興味深そうに、東雨は玲陽を見た。 「陽様が納得する人、なんて、若様だけだと思うんですけど」 「それは……」  玲陽の視線が水面を漂い、犀星へと流れ着いた。褐色の湯衣の脇から、思わずその下の体を想像して、玲陽は鼻の下まで湯に沈んだ。犀星は無表情を装ったが、口元は緩んでいた。わざとらしく目を落とし、湯を手で煽って玲陽に波を送りながら、 「本人を前にしては、言いづらいか」 「兄様!」  一瞬、きょとんとして、東雨は首を傾げた。天井から、冷えた雫がぽたりと頬に落ちた。真意に気づいて、湯に浸かっていながら、東雨の全身に悪寒が走った。 「……無理です!」 「落ち着け」  悲痛な絶叫に、さらに雫が降り注いだ。犀星は東雨に波を送った。 「だ、だって! 俺はっ……!」 「そんなに、嫌ですか?」  湯の中で、玲陽が体を縮めた。 「そんなに、凛どのが嫌いですか?」  玲陽は湯に顔を埋めながら、切なそうに波を見つめた。  東雨はぶるっと肩を抱いた。 「嫌……というか、怖いです」  正直すぎるほど正直に、東雨は嘆いた。 「第一、どうして俺……なんですか?」  むしろ、わからないのが不思議だ、と言う目で玲陽は東雨を見た。  玲陽が答えようと顔を上げたとき、 「ちょっと!」  背後から話の種が飛び込んできた。玲陽と東雨が湯を跳ねさせて振り返り、犀星は視線だけ、そちらに向けた。 「大声が聞こえたんだけど、陽兄様に酷いことしてないでしょうね?」  湯衣はまとっているものの、膝から下は白い肌があらわである。  腰にあてがった腕は、東雨より明らかに筋肉が浮き、力強かった。  立ちはだかった玲凛を見て、東雨は上段の熱い浴槽に逃げ込んだ。 「してない。女湯に戻れよ」 「ひとりでいてもつまんないのよ」 「だからって、こっちはダメ」  東雨は身を守るように背中を向けた。  恥ずかしいと言うよりも、決定的に何かがだめだと思った。 「男女が同じ湯に入らないようにって、ちゃんと注意書きにも書いてあっただろ」 「入ってないわよ」 「ここにいるだろ」 「湯には入ってない」 「そういう問題じゃない」  東雨は勢いよく、 「大体、おまえはそこら辺ががさつすぎるんだ」  言ってしまってから、東雨は不意に、以前、玲凛が話していた彼女の秘密を思い出した。  女ではない。  そう言った玲凛の繊細な顔が、別人のように遠く思われた。 「と……とにかくさっさと出て行け」 「いいじゃない。別に裸じゃないんだし」 「そ……そういう問題じゃないの!」 「じゃあ、何が問題なのよ?」 「全部だよ、全部!」  東雨は泣きそうになりながら訴えた。 「全く、大げさなんだから」  玲凛はやれやれと首を振った。 「別にいいじゃない。家族なんだし」  玲凛がさらりと言った。 「陽兄様は兄様だし、星兄様はいとこだし。それに……」  玲凛は、ニヤリと不敵に笑った。 「祥雲兄様、だっけ?」  その一言に、犀星も玲陽も、びくりとした。東雨はすでに、耳まで潜っていた。  知られてはならない秘密を大声で叫ばれたことに、東雨は何が起きるかわからない怖さを感じて震え、反して、玲凛は至って穏やかだった。 「気づかないと思ったの?」 「気づいて欲しくなかった」  ぶくぶくと湯の中で、東雨が言った。 「怖い」  玲凛が呆れ果ててため息をついた。 「それで黙ってたわけね。様子が変だから、暁隊の連中を脅したらあっさり吐いたわ」 「脅すなよ。かわいそうだろ」 「あんたに憐れみかけられる方がかわいそうよ」  二人のやりとりは、とっくに、男女で湯を分かつ話からは遠のいていた。  屋敷の部屋で、厨房で、庭で、日に何度も繰り返されてきたやりとりだった。  玲陽は、そっと犀星のほうに体を向け、何も聞かないことにした。  耳を塞ぐ必要もない。  ただそれは平和の証であるかのように、遠くから聞こえる鳥のさえずりのように、日常の一部であった。  玲凛が、ふっと真顔に戻った。 「そうだ、あんた、みんなの馬に|狗尾草《こうびそう》を食べさせてるでしょ」 「それが何だよ?」  東雨は湯に沈みながら、少しだけ、玲凛を振り返った。玲凛はどこか困ったような微妙な表情を浮かべていた。 「覚えておいて。薫風は狗尾草より、|胡枝子《はぎ》の方が好きだから」 「……え?」  ひらり、と湯衣の裾を翻し、来た時と同じ速さで、玲凛は湯殿を出て行った。  残された東雨はぽかんとして、しばらく声が出なかった。 「あいつ、結局何が言いたかったんだ?」  玲陽が、わずかに唇に笑みを浮かべた。期待に目がきらりとする。 「もしかして、凛殿、東雨殿に薫風の世話を任せてもいいって言ったのかも」 「まさか!」  東雨がまた大声を上げた。 「よほどのことがない限り、俺に触らせてくれないですよ」 「だからこそ、です! それを任せるなんて信頼の証です」  玲陽は嬉しそうに、 「もしかしたら……」 「もしかしません! 絶対!」  東雨が、泣き声を上げた。 「せめて、俺にも選ばせてください」  突然、犀星が小さく吹き出した。  それを機に、東雨は泣きながら笑った。 メニューを表示 保存 公開中 +エピソード 目次 21エピソード(全255,149文字) 公開中 あとがきに代えて 公開中 1 新月の洸 公開中 2 白 公開中 3 花の行方 公開中 4 映る景色 公開中 5 連なり 公開中 6 双石 公開中 7 凛と立てば 公開中 8 脈 公開中 9 夏雪より 公開中 10 湯に赴けば火を蹈まん 公開中 11 井中 20%公開 12 芽吹き 公開予約あり 下書き 13 爆ぜ尽く息吹 公開予約あり 下書き 14 雲間から 公開予約あり 下書き 15 烈火なるも涼 公開予約あり 下書き 16 尸の夢 公開予約あり 下書き 17 朔、待ちわびて 公開予約あり 下書き 18 凍雨 公開予約あり 下書き 19 迅風に馳せ 公開予約あり 下書き 20 一巡り 公開予約あり 章を追加する 画像 (0) ルビ入力 傍点入力 まとめてページ投稿  だが、その笑みの下で、絶対にお断りだ、という意思だけは、硬く硬く結ばれていた。  右衛房の奥、人の立ち入らない涼景の個室は、今、様々な匂いで満たされていた。中央に運び込んだ広い几案の上には、ずらりと豪華な料理が並んでいた。皿も箸も、実際に皇子が使用していたものと同じだった。  廊下から、近衛と話をする蓮章の声が聞こえてきた。軽口を叩き、気軽ないつもの調子で近衛たちをからかっていた。相手をする方も心得ていて、本気にはしないまでも楽しそうな笑い声がした。  扉の向こうのやりとりを聞きながら、部屋の中の蓮章は几案の傍にかけてある帳に身を隠した。扉が開き、人の気配が入ってきた。 「いいぞ」  低く聞き慣れた声が言った。蓮章はそっと帳から顔を出した。そっくりの姿の慎が、そこには立っていた。 「あまり派手に動くな」  蓮章は、机の前に戻りながら憂鬱そうにつぶやいた。 「おまえに合わせて、俺も明るく振る舞わなきゃならなくなる。調子が悪いってのに」 「それくらいしていたほうが、気が紛れるだろう。そんなしかめっつらばかりじゃもったいねぇ。せっかくの美人なんだからさぁ」 「同じ顔によく言えるな」  蓮章はそれでも、わずかに表情を緩めた。  根が大雑把でぶっきらぼうな慎は、いつまでたっても慎のままだった。  おまえは俺になるんじゃなかったのか、と幾度となく心の中で思ってきたが、今は慎が慎であることが頼もしかった。  机の上には既に冷めた料理がずらりと並んでいた。 「本物、用意したのか」  どこか呆れて慎が感嘆した。 「まぁな。御膳房に確認をして取り寄せた。こっちが朝、こっちが昼の菓子、そしてこれが夕」  三つに仕切って、蓮章はいくつもの皿を前に腕を組んだ。わずかに慎がごくりと唾を飲むのがわかった。 「毎日こんなもん、食っているのか、あいつら」 「あぁ。皇子が死んだ日に口にしたものを、忠実に再現させた」  慎は、自分には縁のない料理の数々を眺めた。  白磁の丸い器の中で、ひときわ存在感を主張しているのは、鶉の出汁で煮込んだ白米の粥だった。丸々とした鶉卵がいくつも、真珠のように輝いていた。その上に、緑鮮やかな細切りの葉と松の実が、惜しげもなく添えられている。冷めてもなお、香ばしさと清涼感が感じられた。  鯉の醤油煮は腹の部分だけが贅沢に使われていた、切り込みの入った皮は下揚げされているらしく、炙られて程よく縮んでいた。  蒸し豚と里芋の羹が添えられ、彩りも落ち着いて宮中の高貴な宴に並ぶ膳そのものだった。魚貝の香りがわずかにした。  菓子は、五味子の果汁と|葛粉《くずこ》、希少な蜂蜜を混ぜ合わせたねじ切りだった。透き通った紅色の輝きは、見た目にも美しかった。細工の施された黒漆の平皿の上に、薄い紙が敷かれ、その上に白い粉糖をまぶして積み上げられていた。

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