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第2話
鳥の囀りに目を覚まし、朝陽はまだ見慣れない天井を見上げた。
神の嫁になるなんて夢のようだ。風鈴は婚約者だ、と言ってくれたがどうもしっくりこない。
幼い頃から蛇神に命を捧げると聞かされてきた常識をたった一晩で覆せないでいた。
でも婚約者にしろ生贄にしろ自分の立場は危うい。朝凪と嘘を吐いていることに気づかれたら、食べられる可能性は充分にある。
部屋で悶々と考えていると悪い方ばかりに引っ張られて気が滅入ってしまう。
(身体を動かしたいな)
そうと決めると朝陽は勢いよく布団から飛び起きて、持参した着物に袖を通した。
つぎはぎだらけでぼろ雑巾のような着物は、亡くなった両親のものと繋ぎ合わせている。いつも一緒にいられるように、と朝凪と分け合ったのだ。
見目は悪いがとても気に入っている。
「よし、とりあえずなにかお手伝いをしよう!」
いつもなら畑に出ている時刻だ。でも神界に畑があるのかわからない。とりあえず風鈴を探そうと勇み足で自室の襖を開けた。
長い廊下に出ると寝殿はかなり入り組んだ造りになっている。左右対称の室内はどこも同じ襖の柄を使っているので目印にならず、迷ってしまいそうだ。
しばらく廊下を突き進んでいると突然襖が開いた。風鈴とは毛色の違う白い兎と鉢合わせしてしまい、朝陽は飛び上がりそうになった。
「おや、人の子がいるぞ」
その奥にも兎が数匹いて、朝陽を見上げて鼻をひくひくとさせている。
「もしかして昨晩嫁入りにきた朝凪様ではないですか?」
「あぁ、そうか! でもそれにしては着ているものが貧相ではないか」
「確かにそうだな」
大柄な兎に問いかけられて、背中に汗が伝う。じろじろと検分され、緊張から声が震える。
「これは亡くなった両親の着物と合わせて拵えたものです。見目が悪くて申し訳ないですが、どうかこのままでいさせてください」
朝陽が丁寧にお辞儀をすると「まぁ」「なんと」と兎たちから歓声とも悲鳴ともいえる声があがる。
「なんと愛情深いお方だ」
「ご両親もさぞかし悦んでいられるでしょう」
わらわらと群がられて、柔らかい毛並みに包まれて擽ったい。
思わず笑ってしまうと兎たちはぴんと耳を伸ばした。
「なんと可愛らしい笑顔」
「夜刀様もお気に入りになるはずだわ」
兎同士で集まってこしょこしょと話しているので内容まではわからなかったが、嫌われてはなさそうだ。
「いまはなにをやっていたのですか?」
「お部屋のお掃除をしています」
兎たちは雑巾や箒を我先にと見せてくれた。稚児のようで可愛い。
「あなたたちなにをしているんですか」
「風鈴様!」
風鈴が現れると兎たちは一斉に頭を下げた。どうやら風鈴は白い兎たちより立場が上らしい。
「部屋に行ったらお姿がないので探しましたよ」
「すいません。なにかお手伝いしたくて」
「それは構いませんが、そのような恰好では……」
「風鈴様、違いますよ!」
大柄の兎が説明してくれると風鈴は大きな目を瞬かせた。
「それは大変失礼しました。では大切なものが汚れないよう先に着替えましょう」
「いつも着ているので問題ありません」
「ですが」
「あ、でもこのような立派な寝殿には不釣り合いでしたよね。失礼しました」
「いえ、朝凪様が過ごしやすい恰好の方がよろしいでしょう。着物はいつでもご用意できますので、必要になったら申してください」
「ありがとうございます」
「では朝餉を召し上がったあとに寝殿を案内します。終わったら庭園回りのお掃除をお願いします」
「わかりました!」
役目を貰えたことが嬉しい。
勢い込んで返事をするとみんな呆気に取られて口を開けてしまっている。
兎たちに笑われてしまい、しばらく顔を上げられなかった。
自室に戻り、しばらくすると御前が運ばれた。だがあまりの品数に朝陽の目は点になってしまった。
乾燥して硬くなった米とやせ細った川魚、そして萎れた野菜の煮つけが一口大にちょこんと茶碗にのっている。
食器類は漆が使われ、鮮やかな真紅に染まり素人目に見てもかなり一品だろう。
だが料理があまりにもお粗末で不釣り合いだ。
村にいたときの食事はもっと褒められるものではない。畑の野菜や山菜だけでは足りず、イナゴを食べたこともある。
(こうして座っているだけで食事が出るのだから感謝しないと)
すぐに食事を終えた朝陽は桜の匂いが混じった風の心地よさにうっとりした。ふと寝殿が視界に入る。池を挟んだ反対側は夜刀の自室だが、遣戸は一度も開いていない。
御前を下げてもらい、風鈴が庭園に案内してくれた。
砂利や玉石の上に桜絨毯が出来上がっているが、桜の木は満開だ。
桜は年中咲き、枯れることがない。これも神界だからこそ成し得られるそうだ。
「この花弁を片付けてもらえますか?」
「わかりました、風鈴様」
ぴくりと風鈴の耳が動いた。
「風鈴に様は付けないでください。なにせ朝凪様は神の奥方になられるんですよ」
「そうは言われましても」
「風鈴が夜刀様に怒られてしまいます」
いくら見目が兎でも神の使いである風鈴を気安く呼ぶことなんてできない。自分が婚約者という立場も実感できないのだ。
「では風鈴さんでもよろしいですか?」
「……それで妥協しましょう」
風鈴は不満そうだったが、夜刀の自室へ向かった。夜刀の様子を見に行ったのかもしれない。
「よし、やるぞ」
腕まくりをして箒を持った。掃除なら村にいたときからよく手伝いでやっていたので慣れている。
さっと花弁を木の根元に集め、ちりとりで掬い布袋にまとめた。一杯になったら新しい布袋に入れてーーと何度も繰り返す。
しばらく夢中になってやっているとふと視線を感じた。
顔を上げるといつのまにか遣戸が開けられ、夜刀が片膝立てて朝陽をじっと眺めている。
遠いので表情まではわからない。だが夜刀は警戒心を煙のように纏っていた。
(嫌われてるのかな)
食べてくれ、とあけすけに言い過ぎたのだろうか。
夜刀を傷つけてしまったのかもしれない。
朝陽は箒を置いて、彼の元へと近づいた。夜刀との距離が縮まると驚いた表情がよく見える。
「夜刀様……いまお目覚めですか?」
問いかけると筆を撫でたような眉がわずかに上がった。
「なぜ庭の掃除をしている」
「村ではいつも畑仕事をしていました。身体を動かすのが好きなので風鈴さんに頼んで役目を頂きました」
あれこれ考えて熱が出そうだから、と本音を隠した。
「ふっ……物好きな女だ」
夜刀は僅かに目を細めたが、紙を捲るようにぶっきらぼうな顔に戻ってしまった。
(いま笑ったよね?)
瞬きするよりも短い時間だったが、夜刀は少しだけ心を許してくれたのではないか。
暗闇に光明が差したような希望がわずかに見えた。
「もっと、もっとお手伝いします! なにかあったら遠慮なく申しつけてください」
前のめりで近づくと夜刀は飛びのきそうなほど背中を反らせた。そして傍らに置いてあった扇子で口元を隠すように広げてしまう。扇子には無病息災を願う六つの瓢箪が描かれていた。
「厚かましい女だ」
夜刀はそう呟くと着物を翻して部屋の奥へと行ってしまった。
絹のような長い銀髪を靡かる後ろ姿のあまりの美しさに朝陽はしばらく目が奪われていた。
「疲れた……」
朝陽は疲労が溜まった身体で布団に突っ伏した。広い庭園を掃除するのに一日かかってしまい、集めた花弁を運んだり、立ったり座ったりの作業の繰り返しで足腰が特に痛い。
慣れない掃除や水仕事ばかりだったとはいえ、これほど辛いものなのかと朝凪に感謝した。
一人きりの部屋にいると朝凪のことを考えてしまう。
愛らしい顔を浮かべ、鈴のような声が鼓膜の奥に響いた。
亜門がいるから心配ないだろうが、一人残してしまった後悔がさらに身体を重たくさせた。
せめて様子だけでも知りたい。
(風鈴さんに明日頼んでみようかな)
うんうん唸っていると視界のはしがきらりと光る。
目を凝らすと鏡台に手鏡が置いてあった。背面は紫陽花が彫られ、朱漆で丁寧に染められた高級そうな一品だ。
確か昼餉を食べるまではなかったはず。風鈴か部屋の掃除をしてくれた兎の忘れものだろうか。
朝陽が手に取ると鏡がぱっと輝き、部屋に光が満ち溢れた。
たまらず目を閉じて耐えているとしばらくして光は止んだ。ゆっくりと瞼を開けると鏡に映る姿に目を剥いた。
「朝凪!?」
鏡には寝間着で髪をとかしている朝凪の姿が映っている。家の様子から自宅ではなく、亜門の屋敷の一室のようだ。桐の箪笥や着物がかかった衣桁に囲まれた朝凪の顔は暗い。
朝凪は櫛を解く手を止め、目尻に涙が盛り上がる。顎に皺を寄せて耐えようとしていたが、頬を伝い滴り落ちていた。
妹の寂しそうな姿を見ていられず、朝陽は鏡を伏せた。
(頑張ろう)
朝陽が夜刀の嫁になれば村を救える。自分が村の運命を握っている責任感にこぶしを強く握った。
決意を固めていると遣戸の方からごとりと音がして、振り返ると縁側から白い蛇が顔を出した。どうやら音の出所はこの子らしい。
驚いて叫びそうになる口を押えた。蛇は臆病な生き物だ。
それに寝殿にいるならただの蛇ではないだろう。もしかしたら風鈴たちのように神の使いかもしれない。
「おいで」
手を伸ばして呼んでやると蛇は戸惑うように頭を左右に振ったが、ゆったりとこちらに来てくれた。言葉が通じるのかもしれない。
慎重に小さな頭を撫でてやると蛇はされるがまま固まっている。
つるりとした皮膚が気持ちいい。体温が低いのか冷たく、夏なら涼むのに一役買ってくれそうだ。
だがいまは少し冷える。太陽が沈むと昼の温かさが嘘のようにひんやりとした。
蛇は寒さに弱いと聞くし、耐えかねて朝陽の部屋に来たのかもしれない。
潰さないように蛇をそっと抱き上げて布団に入った。こうすれば温められるだろう。
「寒くない?」
蛇は頷くように頭を下げた。
朝陽の体温でじわじわと布団の中が温かくなってくる。
温かな布団に入ると気持ちが緩んでしまい、蛇に先ほど起きた出来事を打ち明けた。
「さっきね、手鏡が光って家族を映してくれたんだ。悲しそうな顔をしていたけど、見られてよかったな」
あれは人間界を映す鏡なのだろう。朝凪の様子がわかれば、遠く離れた場所にいても寂しくない。
「一体、誰の忘れ物だろう。返さなくちゃ駄目だよね」
朝陽の問いかけに白蛇はじっと耳を傾けてくれているようだ。その愛らしい黄金色の瞳に癒される。
間近でじっと見ていると気持ちが落ち着く。まるで月を見ている心地になり、朝陽は大きな欠伸をこぼした。
「明日も頑張らなくちゃ」
白蛇が朝陽を励ますように頭を擦りつけてくれた。柔らかい感触に思わず笑みが溢れる。
「慰めてくれるの? やさしい子だね」
細長い身体を撫でると白蛇は身体を左右に振ってくすぐったそうにしていた。
「おやすみ、白蛇さん」
いい夢が見られそうだと朝陽は目を瞑った。
朝陽は日課である庭園の掃除を終えて水場に向かっていると兎たちの話し声が聞こえた。好奇心から部屋を覗くと兎たちが櫛を使いながら毛を梳かしていた。
「朝凪様、ちょうどいいところに」
朝陽と目が合うと大柄な兎がぴょんと跳ねた。
「毛繕いをしているんですか?」
「はい。私たちの毛は布団の材料になるのです」
「だからあんなに温かいんですね」
布団はふわふわと柔らかく、保温性も高いのでぐっすり眠れる。まさか兎の毛が原材料だとは思わなかったけど。
兎たちはお互いの身体を櫛で梳か合いながら毛を集めているようだが、一匹でやっている者もいる。背中まで腕は届かないようで途方に暮れていた。
「わたくしもお手伝いしていいですか?」
「ぜひお願いします!」
借りた櫛で兎の背中を撫でてやるだけで白くてつるりとした毛がたくさん取れる。
「とてもお上手です。気持ちがいい」
座っていたはずの大柄な兎が段々と横になると気持ちよさそうな寝息を立て始めた。
それを見た他の兎たちが我先にと朝陽に詰め寄ってくる。
「次は私をお願いします!」
「いえ、私が先です!」
「まさか私です!」
「ふふっ。順番にやるから待ってください」
一匹ずつ丁寧に櫛でとかしてあげると、みんな溶けた餅のようにだらりと床に寝そべってしまった。
全員分やり終えたときには用意されていた袋が閉まらないほど大量の毛を集められた。
「なんですか、これは!?」
様子を見に来たらしい風鈴が部屋の惨状に声を荒げた。どこもかしこもだらけきった兎が寝転んでいる。
きっと黒豆のような目を吊り上げた。
「ほら、あなたたち起きなさい! 一体なにをしてらしたんですか?」
「毛繕いを手伝っていたんですけど……」
「確かに人間にやってもらえると力が強くて気持ちいいですからね」
気持ちがわからなくもないらしい風鈴は小さく唸っている。いや、でもとぶつぶつと呟いていた。
「よければ風鈴さんもやりましょうか?」
「いえっ、風鈴は……」
櫛をちらつかせると風鈴は長い耳を横に垂れ提げた。
「……お願いできますか?」
「もちろん」
風鈴は黒い毛色だが抜けた毛は透き通るような灰色をしている。ゆっくりと解かしてあげると風鈴は気持ちよさそうに目を細めた。
「布団を打ち直して夜刀様に献上するです。蛇は体温調節が苦手ですからね」
「これだけあれば温かそうです」
先日部屋に来た白蛇の身体もひんやりとしていた。布団に入ると嬉しそうにしていたし、寒さは堪えるのだろう。
なら神界の天候を変えればいいのだが、夜刀は神力が少ないので難しいらしい。
春がもう何十年と続いているそうだ。
「布団の打ち直し、わたくしも手伝ってもいいですか?」
「それは構いませんが……少し仕事が多すぎませんか?」
「大丈夫です。昔から頑丈だけが取り柄なのです」
にっこりと笑ってみせると風鈴は「ではお願いします」と眠そうな目を擦っていた。
「兎たちはなにをしている」
どこからか現れた夜刀が雑魚寝している兎たちを見て、眉間に皺を刻ませた。兎と櫛を持った朝陽を見比べて渋面をつくる。
朝陽の膝からぱっと起き上がった風鈴は夜刀に頭を下げた。
「夜刀様、今年は朝凪様が布団の打ち直しをしてくださるようですよ」
「縫い物はあまり得意じゃないんですが、一生懸命作らせていただきます」
「誰が作っても同じだろ」
「そんなことありませんよ。奥方様に作ってもらえるお布団はさぞかし温かいでしょう」
風鈴の言葉に夜刀は目を細めた。
「……ちゃんと片付けておけよ」
夜刀はそのまま部屋を通り過ぎ、寝殿へと戻ってしまった。いつも背筋を伸ばしている彼の背中が心なしか左右に揺れているように見える。
「かなり楽しみにしてらっしゃいますね」
「怒ってましたよね?」
「いえ、あれが夜刀様の平常運転です」
「そうでしょうか」
目を眇められたときは怖くて竦みあがりそうになったが、風鈴は平気らしい。なにより主である夜刀が来ても、他の兎たちは寝こけていたことを咎めてもいない。
言葉とは裏腹に懐が深いお方なのだろう。
夜刀の人柄が少しだけわかったような気がした。
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