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第5話

 婚礼の準備が着々と進んでいく。白無垢や調度品、招待客の選別と兎たちは慌ただしく屋敷を駆け回っていた。  だが花嫁である朝陽は着物を合わせるくらいでやることがない。  しばらく畑も庭掃除もやらなくていいと言われてしまい、一人の時間が増えた。そのせいで憑りつかれたように手鏡ばかり見ている。  「もう歩いてる……」  朝凪の子は祐善という名の男子だとわかった。毎日欠かさず見ているのに祐善は驚くほどの速さで成長している。  まるで畑で見た野菜たちのようだ。  「どうしてこんなに速いのだろう」  まさか祐善に特別な力が備わっているのかと思ったが、朝凪や亜門の態度に変わったところはない。  自分のあずかり知らぬところでどんどん時間だけが駆け進んでいく。背中を押される焦燥感が日増しに増える。  『朝凪様、お着物合わせてもよろしいでしょうか』  「はい」  風鈴と二匹の兎が行李を持って部屋に入ってきた。蓋を開けると薄紅色の美しい着物が綺麗に畳まれている。  「これって」  「色打掛です。夜刀様が一等品をお選びになったんですよ」  さっと血の気が引いた。  これを着る自分はさぞ滑稽に映るだろう。顔は朝凪に似ていても骨格までは騙せない。今日はまで持ってきた着物で凌いできたが、さすがに婚礼で普段着はあり得ない。  夜刀が誠実であればあるほど、嘘で塗り固められた自分が醜く映る。  膝の上で握ったこぶしに涙が落ちた。それは雨のように降り注ぎ、またたく間に畳に染みを作る。  「あらあら、そんなに悦んでくださると夜刀様も嬉しいですよ」  風鈴が見当違いをして背中を擦ってくれる。嬉しい。悲しい。嬉しい。悲しいが振り子のように揺らいでいた。  夜刀と結婚できて嬉しいのに心は違う方を向かれている。どうして心臓を捩じられたような痛みを伴うのか。やっと理解できた。  (僕は夜刀様を心からお慕いしているんだ)  自分の恋心に気づいた。でもいまさらなにもかも遅い。  涙の膜で覆われた恋心は叶うことなく落下して消えていくのだ。  風鈴たちは色打掛を衣桁にかけて辞去した。おまえが着るものではないぞ、と言いたげな薄紅色の着物を見上げる。  金色の糸で蛇と吉祥文様刺繍が施されている。生地も触るのも恐れ多いくらい高級品なのが見てとれた。  いかにも女が悦びそうなものだ。  絶望感が足元から這い上がってきて、現実から目を逸らすために部屋を飛び出した。  いまはちょうど人間界へと駕籠を持って行く時刻だ。それに乗れば朝凪たちのところに行けるかもしれない。  迷路のような屋敷だが、二月もいれば裏口も人通りが少ない時間もすべて把握している。  朝陽は兎たちに見つからないよう門へと向かい、祠の前に置いてある駕籠に飛び乗った。  しばらくすると駕籠は宙を浮き、ゆっくりと祠へ向かっていく。眩い光に包まれるとあっという間に懐かしい祠の前に着いた。  「これは……」  祠は酷い有様だ。屋根と柱が壊され、原型すら留めていない。蛇の像は首からぽっきりと折れてしまっている。誰かが壊したのは明白だ。  祠の横に植えてある楓の木も夏とは思えない枯れ葉で、枝も幹もやせ細っている。  村まで行き、朝陽は言葉もでなかった。田んぼは完全に干上がり、土が割れている。村の中央に流れていた川は水たまりすらない。  自分が離れていた間に目も当てられないほどの酷い有様になっていた。  「……兄様?」  川の前で呆然としていると亜門の屋敷の方角から朝凪が歩いてきていた。  「朝凪っ!」  駆け寄って抱き締めると朝凪はすんと洟を鳴らした。  「もう二度と会えないかと思っていました」  「心配かけてごめんね」  「兄様がお元気そうで安心しました。もう蛇神様に食べられてしまったのかと」  「それは色々誤解があったみたいで」  生贄ではなく、神と結婚をするのだと簡潔に説明した。最後まで聞き終わった朝凪は眉を寄せている。  「ではなぜ干ばつは酷くなっていくのでしょう。もうまともに雨は降っておらず、隣の村から水を買っているのです」  「それは……僕はまだ結婚してないからだよ。いまならまだ間に合う。朝凪、僕の変わりに夜刀様と結婚して欲しい」  夜刀は朝凪を待っている。何年も待ち焦がれて、あれだけの婚礼品も一晩で揃えたのだ。  だが朝凪は首を横に振った。  「朝凪は母になったのです。子を置いていけません」  「祐善だろ? 鏡でずっと朝凪たちの暮らしを見守ってから知ってるよ。でも子どもって二月で生まれたっけ?」  「なにを仰っているんですか。兄様がいなくなって二年以上経っていますよ」  「……嘘」  毎日日付を数えていたから間違えるはずがない。  でも実際に祐善がいるのだ。  「つまり神界と人間界は時間の流れが違うってことかな?」  「そうかもしれませんね」  だがいまそれどころではない。なら一刻も早く朝凪を神界に送らないと夜刀に気づかれてしまう。  「朝凪、よく聞いて。神界はすごくいいところだよ。兎たちもみんな可愛い。夜刀様も……とてもいいお方だよ」  神界がどれほど素晴らしいところか精一杯伝えた。途中涙が込み上げそうになり、その度に話を止めて息を整えた。  自分がいままで受けてきたたくさんの恩を一語一句違えず朝凪に伝えたい。絶対に気に入ってくれるという確信があった。  「きっと祐善のこともちゃんと話せば受け入れてくださるよ。亜門は……僕に任せて」  「ふふっ、兄様がとれほど蛇神様に大切にされているかわかりました」  「……大切だなんて」  「大切にされていなければそのようなお顔にならないでしょう」  朝凪は少女のようなあどけない笑みを浮かべた。  「それに朝凪に亜門様を置いていけとは非情な兄様です」  「だって夜刀様は朝凪を待っているんだよ」  薄紅色の色打掛がちらつく。可愛らしい朝凪に似合う色柄だ。とても自分が着ていい代物じゃない。  朝凪と偽り続けた罰だ。  「朝陽がいるぞ!」  振り返ると村の人間が多く集まっていた。その中心には亜門がいる。  亜門は朝陽を認めるとぎりっと眦を吊り上げた。  「なぜ生きてるんだ!?」  「それはーー」  「早く蛇神様の怒りを鎮めろ! それがおまえのお役目だろ」  「……亜門?」  両頬がこけた亜門は無精髭が生え、目が血走っている。修羅のような容姿に肩が跳ねた。いつも笑みを絶やさない亜門の姿はどこにもない。  「早く食べられてこい! なんのためにここまで育ててやったと思っているんだ?」  「……どういうこと?」  亜門はふんと鼻を鳴らした。  「おまえは贄のために育てられただけだ」  亜門との記憶が蘇る。小さいときから一緒に遊び、野山を駆け巡ってきた楽しい思い出が黒く塗りつぶされていく。  後ろに控えていた村の大人たちは声を張り上げた。  「早く死ね!」  「蛇神様の怒りを鎮めるんだ!」  「恩を仇で返す気か!」  矢のように降ってくる暴言を投げつけられ、朝陽の心に亀裂が入る。  自分たちは、いや自分は村の誰にも望まれていなかったのだ。  こぶしをぎゅっと握ると爪が食い込んで痛い。その痛みがどうにか現実に引き留めてくれる。  「愚かな人の子だ」  「……夜刀様」  空からふわりと降りてきた夜刀は朝陽の隣に立った。だがその目は氷のように冷たい。  「化け物!?」  「この村の守護神である蛇神にそんなことを言えるな」  「蛇神……様?」  夜刀の大きく開かれた口に亜門たちの顔は青ざめている。  だがすぐ正気を取り戻した亜門は朝陽を指さした。  「そいつが生贄です。早く食べて怒りを鎮めてください」  さぁ遠慮なさらずに、と亜門が言うのを夜刀はじっと見つめた。  「私は人を食べない。何度言えばわかるのだ」  「じゃあどうすればいいんだ! もう我らには死ぬしか道がないのか!?」  亜門の怒声が響き渡り、釣られるように村人たちからの野次が飛ぶ。  夜刀は朝陽と朝凪を見比べた。  「おまえ、嘘をついていたのだな」  侮蔑を含んだ黄金色の瞳に射貫かれて朝陽の喉がひくりと鳴った。最悪な状況で嘘が露呈してしまった。言い逃れができない。  「それほど私が憎いか」  夜刀の怒りを目の当たりに声がでない。  ぱくぱくと口を動かしている朝陽から夜刀は視線を逸らした。その横顔に哀愁が滲む。  「人の子はやはり信用してはならぬな」  夜刀は手のひらを空に向けると鈍色の雲が集まりだし、雨が降ってきた。樽をひっくり返したような雨量に村のみんなは我先にと家へ帰り、ありったけの器や樽を外に並べて水を溜めている。  「ありがとうございます、蛇神様」  手のひらを返したように今度は頭を下げ始める亜門たちを見て、朝陽は絶望した。  (この人たちは自分のことしか考えていなかったんだな)  自分が村のことを思って生贄に志願したとき、心のなかでほくそ笑んでいたのだろう。  夜刀に感謝するくせに朝陽のことは誰も見ようとはしなかった。  夜刀はふわりと宙に浮いてしまった。いつも輝いている銀色の髪が雨で濡れているせいでくすんで見える。  「夜刀様?」  「もう二度と会うことはないだろう」  夜刀は朝陽を置いて祠へと飛んで行ってしまった。  雨は三日三晩降り続き、四日目になってようやく止んだ。  そのお陰で川に水が流れ、田んぼも潤っている。草や花たちが生き生きと青空に向かって背伸びをしていた。  だが外とは反対に、雨季のようにどんよりとした朝陽は元居た家で布団にくるまっている。  夜刀に継ぎはぎだらけの嘘を知られてしまった。見限られて当然だ。  悲しそうな顔の夜刀を思い出すだけで売胸が張り裂けそうになる。  全部自分の浅はかな行動のせいで夜刀を傷つけてしまった。  後悔がぐるぐると螺旋のように回り続け、出口を求めるように涙が頬を伝う。  「兄様! こんないい天気なんですから、外に出てくださいな」  朝凪の声に布団から顔を出した。また遠慮なく入ってきたらしい。  朝凪の後ろには祐善がよたよたと歩きながらついてきていた。  「あしゃ、あそーう!」  「ほら、祐善が遊んで欲しいとせがんでいますよ。相手してくださいな」  「……亜門にやらせなよ」  朝凪と亜門は生贄の件で一悶着あったが、二人とも心から愛し合っていたので和解したと聞いている。  亜門から詫びられたが、いまはそれどころじゃない。  「さぁ顔を洗って朝餉にしましょうか。どうせ昨夜も食べていないんでしょう?」  朝凪はせっせと朝餉を用意し始めた。その明るい表情にいままでどれだけ支えられ続けられただろうか。  きっと朝凪の方が夜刀を幸せにできる。  「……婚礼に用意してくださったのが薄紅色の着物だったんだ」  男の自分には決して似合わない艶やかな色調。それは本来朝凪へと向けた想いを表していた。  「僕じゃだめなんだ。夜刀様をお救いできるのは朝凪なんだよ」  枯れるほど泣いたのにどこからかまた涙が出てくる。頬がひりついて痛い。  「たーい? ないない」  「祐善はやさしいね」  めそめそ泣いていると祐善の小さな手が頰を撫でてくれる。やさしくて温かい。夜刀は冷たくて大きかったなとこんなときでも思い出してしまう。  「薄紅色なんて兄様が一等似合う色じゃないですか」  「僕が似合うわけないだろ。男なんだから」  「お下がりで薄紅色の着物を貰ったことを憶えてますか? 可愛い桜の文様を見て、兄様が着たいと言って聞かなくて」  朝凪の言葉に薄ぼんやりと景色が浮かぶ。  まだ両親が生きていたときだ。朝凪用に貰ったのにあまりに可愛らしい薄紅色に心を奪われた。  「ほら、ここに縫い付けてあるでしょ?」  朝凪に背中を撫でられて思い出した。両親の着物の他に薄紅色の着物を縫ったのだ。  だが畑仕事のせいで茶色く変色してしまい、すっかり忘れてしまっていた。  「蛇神様はきちんと兄様のことを見てらっしゃいますよ」  きゅうと胸が締めつけられる。  (僕は逃げてばかりだ)  着物のこと。  接吻のこと。  嘘を吐いていたこと。  自分を最優先にしてばかりで、夜刀の気持ちを一度も考えたことがなかった。  なんて自分勝手な恋なのだろう。  「行かなきゃ」  「それでこそ兄様です。伏せっているのはらしくありません」  「今度こそ今生の別れだろう。朝凪と祐善をずっと見守っているよ」  「朝凪も最後に兄様と過ごせてよかったです。祐善にも会ってもらえて、悔いはありません」  「ありがとう」  気恥ずかしかったけれど最後だからと朝凪と強く抱き合った。  「ゆーも」  「もちろん」  小さな身体をぎゅっと抱きしめるときゃっきゃと悦んでくれた。  もうここに思い残すものはない。  祠に行ってもきっと駕籠には乗せてもらえないだろう。だったら    朝陽は東に向かって走った。草履が破れ、素足になっても足を止めなかった。  夕陽が沈む前に村に着いた。龍神が守護している村は彼に似て活気に溢れている。  八百屋や魚屋、旅館などの店が追い込みをかけるように大声を出して客を呼び込んでいた。  大通りを抜けて山の麓へと向かうと立派な寺があり、その脇に祠がある。  欅で作られた切妻屋根は丁寧にやすりをかけられているようで表面がつるりとしている。大きさも子ども一人なら余裕で入れそうだ。  供物台も置かれ、そこには米や果物、野菜、酒などが溢れんばかりに供えられている。  それだけ龍神は慕われているらしい。  朝陽はすうと大きく息を吸い込んだ。  「龍神様! どうか僕を夜刀様のところへ連れて行ってください!!」  声を張り上げると松の木で休んでいた烏が迷惑そうにばたばたと飛んでいく。  強い風がびゅんと吹くだけで、祠は静かなままだ。  「龍神様、どうかお願いします! 夜刀様に会いたいのです!」  参拝客にじろじろと見られたが気にならない。  それよりも早く夜刀に会いたくて仕方がなかった。  何度そうしただろうか。陽は暮れ、月が昇っても朝陽は訴え続けた。喉が痛みで声が枯れてもどうにか絞り出した。  夜通しでもここにいるつもりだ。それしか道はない。  『まったく我儘な小童だ』  低く唸るような声が響くと祠が眩しいほどの光を放ち、身体がふわりと浮く。  目を瞑りしばらく耐えていると地面に投げ出されて朝陽は瞼を開けた。  大きな寝殿の前にいる。門柱に龍が二体彫られ、屋敷を囲う土塀は金色に塗られていて豪奢だ。  「我を呼びつけるとはいい度胸だな」  門の前には腕を組んだ龍神が立っていた。鋭い牙を覗かせ、怒りを露わにしている。  「お願いします。夜刀様のところに連れて行ってください」  「見返りはあるのか?」  「……この命を差し上げます」  もう一度夜刀に会えるなら命すらいらない。なに振りかまっていられなかった。  「それほど夜刀が恋しいのか」  「はい」  龍神の目を見てしっかりと頷いた。顎鬚を撫でる神は口角を上げる。  「この神に睨まれても怖気けないとは面白い小童だ。いいだろう」  「ありがとうございます!」  「それにあやつの神力が尽きて弱っていると聞く。もう先は長くないだろう」  「そんな……」  龍神の言葉に目の前が真っ暗になった。このままでは本当にもう二度と会えなくなってしまう。  「我の祠を見たか?」  「……とてもご立派でした」  龍神の祠は手入れが行き届き、供え物も豊富にあった。  朝陽の村とは全然違う。  「神力とは人間の信仰の深さだ。つまり神を敬う心だな」  一度言葉を切った龍神は眉を寄せた。  「無から有を作れないように神は人間の想いがなければ存在しえない。それなのに夜刀は随分とおまえの村からは嫌われているようだったな」  子どものころから蛇神は人を喰らうと教えられてきた。根深く続く伝承をみんな信じているのだ。  「では村のみんなに呼び掛けて夜刀様を敬えばいいのですか?」  「人の心などそう簡単に変わらん。おまえが一番よく知っているだろう」  村のみんなとは最後まで和解できなかった。生贄のために育てられてきたと言われて、そう簡単に飲み込めない。  「このままでは先代と同じ道筋を辿る」  「先代様はどこに?」  「亡くなった」  龍神は太い眉を僅かに下げた。  「美しい人間の女が嫁入りした。だが神界に馴染めず、兎たちを虐め……先代は哀れに思って人間界に返してやった。だがそれが間違いだったのだ」  本来、神界に嫁いだ者は人間界に帰れない決まりらしい。だが先代はその掟を破り、女を返した。  だが女は神界での暮らしがどれほど酷いものだったかと語り、そのせいで蛇神への印象は地に落ちた。  そうして今日まで語り継がれてきたのだろう。  「先代のこともあり夜刀は人への警戒心が強い。だが信仰心が集まらないなら、嫁入りをしてもらうしかない。夜刀は何度も村に足を運び、やっと選んだ嫁だと聞いた」  「きっと僕の妹のことでしょう」  「小童、やはり男だったのか」  「はい」  文香が家に置いてあり、妹の代わりに生贄として来たことを話すと龍神は眉間を深くさせた。  「つまり、最初から全部話せばここまでこじれることはなかったということか」  「どういう意味ですか?」  「本人に訊け。時間がないぞ」  龍神のところの兎たちが金色の駕籠を運んできてくれた。背中を押されて乗ると瞬く間に宙に浮く。  「あいつを助けてやってくれ」  「ありがとうございます! いってきます」  竹簾を上げて手を振ると龍神はわずかに目を細めたように見えた。   夜刀の寝殿が見え、駕籠が地面に着地する前に朝陽は飛び降りた。  早く夜刀の元へと行かなければと駆け出した。  「朝凪様が帰ってきださった!」  「朝凪様っ」  廊下を走る朝陽に兎たちはぴょんと跳ねて悦んでくれた。でも構っている猶予はない。ありがとう、ごめんねと言いながら母屋へ向かった。  襖の前に風鈴が一匹で立っている。小さな頭が項垂れ、背中から悲壮感が漂っていた。  「夜刀様は!?」  「朝凪様……間に合いましたね」  「夜刀様は?」  もう一度問いかけると風鈴は頭を横に振った。絶望した気持ちで見返すと襖を開けてくれた。  「どうか夜刀様に最後のお別れを」  月明りのわずかな光量が差し込むだけで、室内は暗い。だがよく目を凝らすと中央に布団が敷いてあった。  「……夜刀様?」  布団に近づいて驚いた。寝そべっていたのは白い蛇だった。朝陽が神界に来て初めてできた友だちだ。  「ずっと一緒にいてくださったんですね」  家族が恋しいと泣いていた夜も白蛇はそばで寄り添ってくれていた。夜になると現れて一緒の布団で寝ると心を穏やかにしてくれていた。  (どれほど心を尽くしてくださっていたのだろう)  それなのに朝陽は逃げてばかりだ。向き合う努力を怠り、嘘を吐いて傷つけた。  蛇の夜刀は荒い呼吸を繰り返し苦しそうにしている。黄金色の目は虚ろで、意識が混濁しているのかもしれない。  小さな身体を撫でるとゆっくりと頭をもたげた。  「……いまさら、何用だ」  掠れた声は生気が薄らいでいくのがわかる。  夜刀の体温がどんどん低くなっていく。  壊れないような力加減で小さくなった身体を抱きしめた。  「嘘を吐いて申し訳ありません」  「罪滅ぼしのつもりか」  「朝凪は、僕の妹は一等美人な娘です。蛇神様は当然朝凪を望んでいると思っていました」  溢れる涙を堪えるためにぐっと喉に力を入れた。  「最初は妹のため、村のために犠牲になるつもりでした。けれど夜刀様と過ごし、次第に惹かれていきました。だから僕が朝凪ではないと伝えて、捨てられるのが怖かったのです」  我ながらなんて自分勝手だと呆れてしまう。でも逃げない。膝の上に置いたこぶしを強く握って己を奮い立たせた。  「でも嘘を重ねるたび夜刀様を傷つけてきました。僕にこんなこと言う資格がないのはわかっています。でもどうかーー」  朝陽は指を揃えて頭を下げた。  「こんな僕ですが、夜刀様のおそばにいることを許してください」  しばらく夜刀はじっとこちらをみつめていたが、力尽きたのかゆっくりと枕に頭を預けた。  「文香は最初から朝陽、おまえに送ったものだ」  「……どういうことでしょう」  「私は最初から朝陽を望んでいた。それが妹の朝凪が来て、どれだけ落ち込んだかおまえにはわかるか」  「えっと、その……」  話がこんがらがってよく理解できない。最初から自分を望んでいた?  そこでふと思い出した。  『申し訳ありません。人違いだったみたいで』  最初に来たとき風鈴は確かにそう言っていた。  つまり朝凪のふりとした朝陽が来たから話が遠回りしてしまったということだろうか。  「ちゃんと文香に宛名を書いてください」  「そうだな。うっかり失念していた」  「神様もうっかりするんですね」  「神とて万能ではないから……な」  夜刀は力なく目を閉じた。くたりと布団に沈む身体は薄く光っている。  命の灯が消えかかっていた。  「夜刀様っ!」  小さな身体を抱きしめて、唇を寄せた。  「愛しています」  壊れないよう胸に抱くと長い身体がくねくねと動きだす。段々と夜刀の身体が熱くなっていき、神々しい光を放った。  眩しくて目を瞑ると愛しい香の匂いにぶわりと涙が溢れた。  人型に戻った夜刀の黄金色の瞳がじっとこちらをみつめている。  「私を、愛していると言ったか」  「はい。夜刀様を愛しています」  「朝陽」  顔を寄せられ唇に触れた。何度も啄むような接吻に心が満たされていく。  「神様も泣くんですね」  「泣くわけないだろ」  「でもほら、目尻に涙が溜まっていますよ」  「それは朝陽のだ」  「違いますよ……きゃっ!」  布団に押し倒されてまた接吻をされた。さっきよりも深く、咥内に長い舌が入ってくる。  くちゅくちゅといやらしい音を立てながら蹂躙された。でも嫌じゃない。嬉しくて朝陽も涙が込み上げてきた。  上半身を起こした夜刀は濡れた唇を乱暴に拭いながら目を細める。  「ほら、おまえの涙だ」  「……意地悪です」  睨みつけても夜刀は笑うばかりで全然効果がない。再び顔が近づいてきそうな気配にぎゅっと朝陽は瞼を閉じた。  「夜刀様っ!」  風鈴と兎たちが一気に部屋に入ってきて、雪崩のように夜刀に飛びかかった。みんな涙で毛を濡らしている。  風鈴は小さな手で何度も目を擦った。  「よかったです。夜刀様……本当に、よかった」  「みなに心配をかけたな」  「生きた心地がしませんでしたよ」  夜刀に頭を撫でてもらった風鈴は大声で泣き始めると波紋のように兎たちの泣き声が広がっていく。  夜刀と顔を見合わせて、笑い合った。 

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