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第1話 春(5)

ーーー  時刻は午後5時を回っていた。日が沈もうとしている。先ほど緒田たちが<行為>を目撃した問題の建物、「黒鉄(くろがね)寮」から出てきた梶は、自前の銀のセダンに乗りこんだ。後部座席で待っていた緒田と牧瀬は、梶にぺこりとお辞儀した。 「無事、片付けてきたよ。・・・初日からすまなかったな」 梶は申し訳なさそうな顔で二人を見て言った。 「片付けてきた?」 「お前らの言うとおり、洗濯室でわいせつ行為に及んだ者がいたことが確認された。関係各所に報告したよ。二人はきっと停学処分になるだろう」  遡ること一時間前、牧瀬は梶からの自己紹介のあとに、不審な声のことを彼に報告した。梶は驚き、場を治めるために、緒田たちを車に待たせた上で、一人現場へと向かってくれたのであった。 (停学になるんだ、あの人・・・) 緒田は、洗濯室の金髪男を思い出していた。凛々しい目つき、低い声、雄々しくそそり立った赤黒いペニス・・・。 緒田はブンブンと首を振り、頬に手をパシンと当てて、その刺激的な光景を頭から振り払った。 ーーー  梶の運転する車が、学園内の山道を抜けていく。梶は慣れた手つきでMT車のギアチェンジを行いながら、後部座席で黙りこんでいる二人に向けて、話しかけた。 「いやー、俺、今日会議が入っててな、だからお前たちの送迎を別の寮監に頼んだんだ。だが、ソイツがそのことをすっかり忘れててよ…。申し訳なかった。キャンパス、広くて迷っただろう?」  緒田は愛想笑いを返したが、牧瀬はムッとしたままだった。車内にしばらく、気まずい沈黙が流れた。セダンの車内には、微かにタバコのにおいがした。梶は喫煙者なのだろうか。渋い外車、シフトレバーを握る大きな手、ドリンクホルダーにはブラックコーヒーの缶。大人の余裕と色気がふんだんに滲みでていて、緒田は思わずうっとりした。 「・・・<ああいうこと>って、ここではしょっちゅうなんですか?」  静寂を破ったのは牧瀬だった。不安と不満が入り混じった声だった。<ああいうこと>が何を意味するのかは、緒田にも分かった。 「昔はよくあった」 「!!!!」 梶の返答に、牧瀬は拳をぎゅっと握った。 「星室学園は男子校で、通うのはみな身体を動かすことに日々全力を尽くす体育会系で、世俗から切り離された山の中。寮生活。もともとこの学園は、各スポーツの金の卵たちを、娯楽から切り離した環境で極限まで競技に集中させることで、トップアスリートを何人も排出させてやろうという企みから生まれた教育施設なんだ」 梶の話を、二人は緊張しながら聞いた。 「ただ、年頃の男子が、そんな簡単に欲望をコントロールできるわけがない。たとえ強制的にエンタメや女や浮世から隔離したところで、若者の人間として当然持っている欲望を切り離せるわけがないんだ。・・・学生たちは、こんな監獄みたいな環境下でも己の欲を満たしたいがために、互いに互いを慰め合うようになったんだ」 己の、欲を・・・。緒田は、今日見た学生同士の交わりを思い出した。 「昔はもっと好き勝手にド派手に、性に関してはなんでもありの無法地帯だったらしい。部によっては、下級生が上級生の奴隷として尽くす慣わしがあったり、全国大会で優勝した生徒は好きな学生を寮の自室に呼び出す権利が与えられたり・・・それでも、スポーツで優秀な成績を収めてもらうためならと、当時の運営側は黙認していたようだ」 そこまで聞いた牧瀬は、嗚咽し始めた。緒田は背中をさする。梶は一度道の脇に車を停め、牧瀬が落ち着くのを待った。牧瀬は、身体が震えている。 「怖い思いをさせてすまない。今のはもう何十年も昔の話だ。そういうクソみたいな文化は、もう淘汰された。寮の大浴場や共同トイレが発展場になりやすかったために各個室にシャワーをつけたり、部活動を行う全員に対し定期的にアンケートを取ったりなどだ。」 牧瀬はバックミラー越しに、梶と目が合った。 「とはいえ、<山の中の全寮制の男子校>という、欲望を抑え込められた環境は、昔とほとんど変わらない。だから、大人たちの見ていないところで、隠れて行われている可能性は大いにある。俺は、両想いなら、学生同士が愛し合うことは構わないと思う。だが望まない相手に行為を強要したり、公共の場で盛って目撃者を傷つけたり・・・俺は絶対に、そういうことで無垢な学生たちに辛い思いをさせたくない。俺は今まで、何人も、理不尽な思いをして、競技生活をあきらめざるをえなくなり、学園を去る子たちを見てきた。そんなことは、絶対にあってはならない・・・」  車内に再び、沈黙が流れた。スポーツのエリート高校に、そのような内部事情があることは緒田も牧瀬も全く知らなかった。梶は車を停めた。目の前に、「青雲寮」と書かれた看板がついた建物があった。  先に降りた梶が、運転席のシートを前に倒して、後部座席の二人を降ろす。緒田は降りたが、牧瀬は後に続かなかった。座ったまま、黙って下を向いている。 「・・・」  牧瀬は黙り込んだまま、ぎゅっと、ラケットケースを握りしめていた。緒田は、親友を哀れんだ。ずっと入りたくてたまらなかった憧れの高校の裏事情を知って、彼はどれだけ絶望しただろう。緒田は親友として、いま牧瀬を取り巻いている悪い感情を、少しでも取り払ってやりたいと思った。 「想太」 緒田は優しく、牧瀬の名前を呼んだ。 「想太。1週間だけ、一緒に通ってみよう?バド、星室でやりたかったんでしょう?1週間やってみて、合わなかったら、一緒に広島へ帰ろう」 牧瀬は緒田の口から二人の故郷の名が発せられた辺りから、目からボロボロと、涙を流し始めた。 「違うんだ、たくちゃん。俺のせいで・・・俺が星室に連れてきたせいで、もしお前の身に何かあったら、俺は・・・俺は一体どうすれば・・・」 牧瀬の口から出た意外な言葉に、緒田は驚いてしまった。牧瀬は先ほどからずっと、緒田をこの特異な環境に導いてしまったことを悔やみ、おびえていたのだった。 「僕なら大丈夫だよ、部活に入るつもりもないし・・・」 「いや、心配だよ!お前普通に女顔じゃん!ぜってえホモ共に狙われるよ・・・」 ”ホモ” 牧瀬の口から初めて聞いたその言葉に、緒田は心臓がきゅっとなった。 「たしかに」梶が声を発したので、緒田はそちらを見た。梶は、緒田を見ていた。 「やっぱり、似てるな・・・」 「?」 梶が自分に向けた含みのある表情の意味を、緒田は読み解くことができなかった。  日はすっかり暮れてしまった。牧瀬のすすり泣く声が、満点の星空へと吸い込まれていった。

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