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第2話
太陽の光に目が灼けるように痛み、屋敷から聴こえる音や匂いに吐き気を覚える日々。
候爵家専属の医師のおかげでロレティカは軟弱体質くらいには成長したが、もう二度あんな目には合いたくない。
良いこと言えば身体と長い髪が整えられたことだろう。
あとは作法だけを身に着ければ貴族の体面は保たれるもので、登城した際に周囲は『身体の弱い子供』として見て、教育の浅さだけが社交の場へと流される。
「そろそろあの人の亡骸も戻って来る頃かしら。くれぐれも息子に危害がないようにね」
「はい。時期国王の身を必ずお護り致します」
「お護り致します」
ユグルと共に頭を下げて王妃たちの後ろ姿を見守る。
人垣に姿が消えると、バレック殿下に目を向ける。楽しそうに令嬢と談笑されている姿に安心して一度目を伏せた。
フォロバトン候爵家の兄弟は登城後に王妃のお言葉で、道を決められた。
ロレティカには侍従としての、弟のオルガには護衛騎士としとしての道を示され、今やオルガは近衛騎士として中堅くらいの階級に身を置いている。
対してロレティカは地下書斎で身につけた知識と、候爵に認められたいと云う気持ちから、必死な努力で近衛騎士の下っ端くらいには名を置けたが、その見返りはバレック殿下の身代わりとしての役目で、努力は裏目に出てしまった。
それでもただの使用人として生きるよりは価値は上がったと思う。
候爵も、バレック殿下の役に立ってこそ喜んでくれる。
□ □ □
埋葬の儀では伯爵家までの上位貴族と、低位貴族の中で選ばれた一族が参加する。
たくさんの馬車が庭園を囲いだした頃、宰相を含めた大臣らが教会から棺と共に戻って来た。
同盟国の来賓者たちも王城へ来ると、王侯貴族たちが少し離れた霊園へと案内されて行く。
陛下が横たわる棺を大きく深く掘った穴に置き、上から白百合の花を投げ落すのがこの国の習わしだ。
大勢の貴族が洞穴を囲むように並び、後ろには列を成して、最後の別れをそれぞれ済ませている。
ロレティカは仕えるバレック殿下の後ろに立ち、棺に寝そべる陛下の穏やかな顔を眺めていた。
王子が横に逸れると、ロレティカは両手で力強く白百合を握りしめて目を閉じる。
息を吸うと甘い薫りが鼻腔をくすぐって、肺に溜まっていくのを感じた。
(この世界に陛下はもういない……。魂は空へと還り、幾つもある星の一つになって、この国を見守ってくれるのだろう)
分かっていても、別れたくない気持ちで胸がいっぱいだった。
もう一度、話したい。目を開いて見つめていて欲しい。
そんな感情が胸を痛め、陛下の手を握り締めたい衝動に駆られる。
せめていつでも会えるように土葬なんてせず、どこか人目のつかない場所で安置してほしい。
そしたら毎日、穏やかな顔を覗きに足を運ぶのに。
それを定例議会で審議する題目に加えたいと思うほどロレティカは切実に願っていた。
実際にそうしなかったは、人体が腐ることを知っているからだ。
異臭を放つようになれば、到底近寄れない臭いを発するのだと、医学の本で読んだことがある。
だからどんなに請い願おうとも、口に出すことはしなかった。
優しく頭を撫でてくれた、少し冷たい陛下の手ひら。温かい眼差しに、浮かべる微笑。
それが、目を閉じると真っ先に思い浮かぶ陛下の面影だ。
心の拠り所だった大切な人を失くす怖さに、肩を震わせて涙が頬を伝い濡らしていく。
未練で白百合を手放せずにいると、握りしめた花を掻っ攫う手が現れた。
「遅い! こんな物とっとと投げろ!」
強引に手元から奪い、捨てるように投げたのは横に立っていたバレック王子だった。
思わず伸ばした手は空を切り、王子に叩き落とされる。
白百合は棺から離れた端へと落ちた。
「行くぞ。お前にはやってもらわないといけないことがたくさんある」
「……はい。かしこまりました」
名残り惜しさを心に秘めて、振り返ってしまいそうになる頭を強い意思で固定しながら王子の後に続く。
後ろに控えている中には啜り泣く女性や気落ちする男性がいるが、ロレティカの父と後妻、連れ子の弟は離れた所で小さく笑いながら平然と会話をしていた。
遠くでは第ニ王子の家臣がこちらを睨み続けている。
この国の貴族たちは、ロレティカの中で大きく三つに分けられる。
陛下の死を悲しむ者と、何とも思わない者、そして身勝手な競争心に燃えて別れを怠る者。
後者の二つはとても不愉快だった。別れを邪魔したバレック王子も呆れるほど浅ましい方だと思う。
(もうここに拠り所はない。みんな陛下のことを簡単に忘れてしまうのだろう……)
そう思ったら、心の奥がピシッと音を立てて凍てついた。
それはヒビ割れた音のようにも聞こえた気がする。
その音がどちらであろうと、もう、どうだって良いような気がした。
陛下がいなくなったこの国は既に死んだようなものだ。この先の行方は廃れていくしかないだろう。
破滅へ向かう時の流れに乗った大きな国は、ロレティカが何をしようと変わりない。
きっと食い止めようと必死になるだけ、無駄な行為になっていくだろう。
そこまで考えて、ロレティカはふと足を止めた。
(──なら、陛下のもとにいけることこそが、幸せになる方法なんじゃないのか)
この国が自滅すれば、空に立つ陛下の魂も惜しむことなく安らかに天へ召されるはずだ。
陛下が好きだった者たちも後を追えるなら嬉しいだろうし、陛下が建てられた建造物が内部争いで壊される前に、これから騒ぎ立てる者には速やかに退場してもらおう。
きっと誰もが、『緩やかな死』こそが幸せだと思ってる。それがこの国、エドライの終わり方なのだと思う。
(あぁ、どうしよう……。心臓の音が大きくなっていく)
王宮の渡り回廊を歩く王子の後ろを歩きながら、ロレティカは澱む空を見上げて静かに口角を釣り上げた。
□ □ □
葬儀から間もなく戴冠式も行われると、王城はピリついた息苦しい雰囲気に包まれる。
王城の外に住む国民はどう思っているかなどロレティカには分からないけれど、祝福ムードではないことだけは確かだろう。
なにせ、国王となったバレック陛下の評判は悪いものだった。
令嬢にだらしなく、学院での成績は中途半端。なりより、公務での功績はあってないようなもので、バレック殿下よりも、周りにいた優秀な人たちでどうにか陛下からの任務を遂行したようなもの。
ロレティカの観点からすれば、バレック殿下よりも、レイリス殿下の方が王族としての教養も、愛国心もあったのだが、亡きファウスト前国王陛下は病に侵されて床に臥せった時でさえ、疑心暗鬼になりがちなレイリス殿下をついに王太子に宣明することはなかった。
それはつまり、継承争いに敗北したと云うことで、宰相の推薦があったものの、大臣らは序列一位のバレック殿下を即位させることにした。
大広間の壇上で王冠を被せる時、レイリス殿下はとても悔しそうで、瞳の奥が昏く燃えていた。
政権奪取を誓っているような義弟の眼差しに、勝ち誇った様子で微笑むバレック殿下の頭と手に、王冠と王錫が揃うと立ち上がったバレック殿下が壇下にいる自国、他国の王侯貴族に見せるように背筋を伸ばす。
この瞬間に歴史は新たなページに突入し、バレック陛下が王座に立った。
その様子を端で見守っていたロレティカはふと大勢の視線を集めていることに気付く。
「あやつがいなければ、陛下だって認めただろうに……」
「まったくだ。陛下に寵愛されるべきはレイリス殿下だろうに。可愛いそうな方だ」
あぁ、またか。──と思う。
この手の話題はロレティカが登城してから直ぐに囁やかれはじめた言葉だった。
ロレティカはただ身体が弱く、王妃や候爵、大人たちの人形にされていたことを前陛下がいち早く気づき、目に掛けてくれていただけだ。
けれど目に見えて実の息子たちよりも気にかけてもらっていたからか、バレック殿下の即位にはロレティカが起因していると思っている輩かが多い。
実際、どうして遊んでいるだけのバレック殿下から王位継承権を剥奪しなかったのかは知らないが、ロレティカの存在だけで王位がどうにかなるものではないのだ。
良いがかりをつけられて、ロレティカは社交界ではさらに肩身が狭い思いをしている。
小さくため息をつくと、大勢の視線に混ざって見つめて来る強い視線に気づいた。
対角にいる相手はレイリス殿下の護衛騎士にして、側近の中でも一番厚い信頼を寄せられているらしい、サルク・リュンデン卿だった。
短い黒髪は正装に合わせて後ろに流しかため。
エメラルドの深緑の瞳は今まで見てきた宝石よも純度が高い。
リュンデン公爵家は二大公爵家の一家門で、国内の西側領地の大半を納めている歴史ある名家だ。
サルクはその三男で、歳も近いことからレイリス殿下の側近として幼い頃から側にいた。
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