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第7話

 ヒュッと息を止めると、次の瞬間には首ではなく、おでこに激痛が走った。  硬くて重たい物が頭にぶつかった鈍い痛みに、ゔっと濁った声を発して目が覚める。  開かれたオレンジサファイアの色の瞳には見慣れた天上が真っ先に目に入った。 「──────え?」  思わず出てしまった素っ頓狂な声に、呆然として瞼をパチパチと何度も瞬きをする。  けれど変わらない天上に、ロレティカはゆっくりと身体を起こすと頭痛がして、両手でこめかみを押さえた。  見回した景色は候爵家の屋敷にある地下部屋だったはずだ。 「ここは……しょはぃ……?」  呟いて正常に話せなかったことに驚く。  喉に手を当てるが、斬られたはずの首は繋がっている。それに今のはまるで幼い頃に戻った感じだ。  喉が衰えて喋ベり方を忘れた時のような……。  周りを見渡せば見慣れた本棚はどう見ても地下の古書倉庫だった。  この部屋は穀倉の様に奥行きがあって、壁棚や本棚、床に積まれた古書の塔だったりと、あらゆる書籍で溢れ返っている。  表紙を読めば神語で書かれた古い本から、エドライ語で書かれた新しい本まであり、内容もまちまちで、哲学などの学論書から雑学集など様々だった。  まるで図書館のような部屋に置かれたベットに、ロレティカは今は座り込んでいる。  咳払いをして口を動かす。 「なにが、おきてる、だ……?」  走馬灯にしては時が流れて行かないし、おでこの鈍痛もやけに本物だ。  懐かしい部屋を見回して、どうしてここにいるのか推測をはじめる。  さっきまでロレティカは王宮の広場にいたはずだ。  そしてギロチンの下で、確かに刃が落ちる音を聞いていた。  なのにどうして屋敷の地下にいるのか。  まるで瞬間的に移動したとでも言うように、首はまだ繋がっているし、空腹感はあれど餓えの症状は治まっていて、身体を動かす体力だってある。  ふと手を見るとやけに小さく思えた。 (まるで子供の手みたいだ……。子供の手──?)  まさかと思って、身体を弄る。  鍛えてやっとついた少しの筋肉がなくなり、骨張った身体が肋骨や、四肢から分かる。 「ど、いうことなんだ……。(もしかして本当に時が巻き戻った……?)」  ロレティカが人生の終わりに願ったのは、 “サルクの幸せ” と、 “同じ人生をもう一度やり直したい” だった。  ロレティカは神殿のペンダントを持っていたし、女神に祈りを捧げたりもしていたが、特別信仰していたわけじゃない。  街や、通りすがりの神殿で目についた女神像に、挨拶代わりに祈りを捧げていただけだ。 (──本当に叶えてくれた?)  未だに信じ難い現象だが、未だに痛むひたいの鈍痛は本物だ。  なら信じてみても良いだろう。 (たとえ気まぐれでも、願いを聞いてくれたことは有り難い)  本当に心から願っていたから。 (今世では絶対に、この家から逃げ出してやる)  ロレティカは頭上の本棚から落ちて来た本を手に取る。 「あ。このほんは、しってる」  これは確か、案内本だった気がする。  約百年前の時代から名を挙げた学者と、その人の論文や出版した書籍名を書いた本みたいなものだった。  実際にこの本に書かれた学者と題名は、アカデミーの学院試験に出るくらいには有名な話しだ。   「なつかし、いな……」  埃を被った部屋は一角にある小窓と、天上の電球、所々に置かれたランタンだけで明かりが保たれている。 (今は夜か。まぁ朝になっても半地下な部屋は暗いことにかわりないからな。これはまた外へ出た時に苦労しそうだ……)    外の世界を知った今だから分かるが蝋燭やランタンだけの生活はかなり酷い生活だと思う。  一日だけでも気が滅入りそうなのに、良く五年間も過ごしたと、幼少期の自分を褒めたくなる。 (今がいつなのか調べる必要があるな)  身体からしてそこまで幼いわけではないから、八歳に近いと思うが、今は幾つだろう。  もしも八歳だった場合、王宮へ出向く準備をすることになる。  ロレティカはランタンを持って立ち上がると、棚と棚の壁を照らした。  そこには九本の縦線に真ん中に横線が引かれた跡があり、下には小石が転がっている。  他の壁にも同様に壁を引っ掻いた跡がある。  これは幽閉されてしばらく経った後に書き出したものだ。  毎日、地上に突き出ている小窓から差し込む白い光を頼りに、朝に一本ずつ傷を付けていたのだ。  それが五枚の壁に渡って書かれていていることから、既に五年は経っているようだった。  つまり、今の年齢は八歳の誕生日を迎える少し前となる。  そろそろ登城するためにと候爵が地上へ出すように使用人へ指示する頃だろう。 (また数カ月はまともに目を開けられずに苦労することになるな。おまけに体力も無いもんなぁ……)  年に二、三回は出してもらえるから平行感覚が狂って目眩を引き起こすようなことはそこまで酷くなかったが、五感がどうも敏感らしく、地上へ上がるたびに大量の涙が溢れた。  匂いや音も結構敏感に反応してしまうので、前世は屋敷の中でも奥まった部屋で療養していたのだ。 「いつ、くるんだろう……。はやく、でたいな……」  馴染みのある部屋は安心感はあるけれど、やっぱり昼には光を浴びていたい。 (はぁ……。早くサルクに会いたい。今、何をしてるんだろう。サルクは先にレイリス殿下の護衛騎士として登城してるのかな)  この国は同性婚を許してないし、サルクにも婚約者がいたから結ばれることはないけれど、公爵家の騎士になれば、サルクの幸せを側で守ることは出来る。  前世の知識があるから、体力さえ付けば剣技を習得するのは容易いはずだ。  公爵家騎士団の見習い試験くらいはきっとどうにか出来るだろう。   (令嬢じゃないのが残念だけど、婚約出来るとは思えないもんなぁ。それだったら側にいる方が絶対に良いだろう)  高望みはしない。  それは前世で、王妃とバレック陛下、そして候爵が教えてくれた。  父親の二の舞を演じるような真似は絶対にしたくない。  だから、サルクにこっそり内緒で付き合って欲しいとか、そんな望みは一切抱かない。  側にいて、サルクの幸せを守る。それだけで良い。 「──いい、はず……。(なんだけど……。一度だけでも良いから抱かれたいな。それだけ願うくらいなら、許されるかな……)」  小窓から覗く星空を見上げる。  女性を抱く練習とか、欲求不満の解消とか、そう云ったこじつけでいいから、一度くらいはあの温もりにもう一度包まれたいって、そう願っても罰は当たらないだろうか。 (サルクに抱かれたら幸せなんだろうな……)  それこそ天にも昇る気持ちになれる気がして、腕を組む。  ふとくらりと目眩がして俯いた。  前世の記憶が引き継がれているだけに忘れていたが、この身体は成長期をまともに迎えられず弱っているのだ。  貧血気味の身体に長時間上を向くのは、目眩いと吐き気を引き起こす。 (うっ……。気持ち悪……。いやっぱり早くここから出たいな。出たら食事をしっかり摂って、肉をつけないと鍛える前に死んでしまう)  無理にでも詰め込まないとな。  それまでは読んでなかった資料をちゃんと読んで、もっとたくさんの知識を身に着けたい。  床に寝転ぶと、目を閉じて目眩いをやり過ごす。 (寂しくて、悲しんでばかりだった八歳の頃とは違う。もう候爵に父親の愛情を求めたりしない。母上が帰ってくるかもと、そんな無意味な期待はもう二度としない──)  最初の人生で学んだことは、家族に期待するだけ無駄だと言うことだ。  だったらロレティカが思う、最善の道を行く。  自分の幸せは切り開いていかないと、王宮と社交界では生き残れないのだ。  決意を胸にしまうロレティカは眠気に誘われて、床に寝転んでいることも忘れて眠りに落ちた。    朝陽の光を浴びて起きたロレティカは、ガバっと起き上がると、すでに扉下のくり抜かれたところから朝食が置かれていることに気付く。 「ねむって、たのか……」  起き上がって、先に小石で壁を引っ掻くと傷痕をつける。  それから冷めてしまった朝食を食べて、身体を軽くほぐすと奥の棚から適当な本を取って、陽の光が灯す所で本を読み始めた。  小窓から差し込む日光は角度があって、夏であれば早朝から朱色に染まる夕方までは室内を明るく灯してくれる。  それまでは暖かい日を浴びて細かい本でも読むことが出来る。  その日過ごした日の長さは夏の時期で、地上に上がる解放日が訪れるのを心待ちにしながら、毎日を過ごしていた。  六冊目を読んでいた昼食の時間、いつもなら盆に乗って運ばれて来る昼食の変わりに、大勢の足音が窓の下から聞こえた。  扉の前に来ると、候爵の話し声が聴こえる。 「此処に来るのは久しいな」  そう言ってから扉を開く候爵を、ロレティカは本の文字を追って聞いていた。  ロレティカが今いるのはベッドから離れた棚と棚の間で、入り口からは遠い所にいる。  候爵は開けて直ぐ近くにあるベッドにいるはずの、子供の姿がないと知ると、その場で大声をあげた。 「ロレティカ・フォロバトン。どこにいる!? 出てこい」  つま先をタンタンと打ち鳴らしながら立っている候爵から、苛立っていることが仕草で分かった。    

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