8 / 8
第8話
ロレティカは本の頁数を覚えるとパタリと閉じて、本を抱えながら棚から顔だけを出した。
少し怖がっているように候爵と目を合わせてから一度隠れる。
チラリと見えた候爵は相変わらずだった。
父親とは思えない高圧的な態度と音量で隠れたロレティカに声をかけてくる。
「ロレティカ、隠れてこっちに来ないか! 手を掛けさせるな! 貴様に部屋を与えてやるんだから、言うことをきけ!」
部屋を与えると言いながら日陰の押入れだろ、と思う。
前世では候爵が怒っていることにビクついて、言葉を忘れていたロレティカは、隠れたままでいたために騎士が腕を引っ張て強引に候爵の前に立たされて頬を打たれた。
誰もいない部屋に閉じ込められて、一人ごとをぼやいていたが、たくさんの本で言葉は理解出来ても喋る人がいなかったのだ。
下手に喋ると不自然がられる。
人前では喋らないようにしよう。
ロレティカはもう一度顔を出すと、怯える子供を演じてただじっと大人たちを見つめた。
候爵の隣りには騎士とメイド、それに候爵に付き従っていた侍従がいて、ロレティカの言動を見つめていた。
近寄って来ない息子に候爵は舌打ちをこぼす。
「何もせん。着いてこい」
(よしっ──)
候爵が先に言ったことを確認すると、本を抱えながらよたよたと後について行った。
騎士とメイドがロレティカの後をついて来るので、出来るだけ合わせたい気持ちがあったが、たったの数段で息が切れて、足元が覚束なくなる。
「わっ……」
つま先が当たって転びそうになると、びたっと手をつく。けれど膝の痛みはなかった。
咄嗟に騎士が抱えてくれたらしくて、怪我をせずに済んだのだ。
ロレティカの叫び声に前を上っていた、候爵と侍従が振り返る。
大人の足と、栄養が足りずに成長が遅い子供の歩く早さは何倍もの差がある。
まだ十段も上ってないロレティカに、候爵は苛立ちを見せて騎士に命令した。
「軟弱者め」
「閉じ込めていた後遺症ですね。しばらくの移動は騎士に抱えられる必要があるかと」
「チッ。おい、ロレティカを抱えろ」
「はい」
支えていた騎士はそのままロレティカを持ち上げ、抱き上げた。
腕当てと胸当てをつけているのか硬いのが当たって、抱き心地はあまり良くない。
(まぁ抱き心地を望むのもな)
小さく苦笑して、階段を見上げる。
扉が開かれたままなのか、地上の光がぽつんと見えてくると、ロレティカはぎゅっと手を握りしめた。
地上に上がると前世で何度も見てきた回廊に出る。
中庭の噴水が見える回廊は円く、家族が住まう本館と、使用人の部屋がある別館。さらに大浴場や厨房のある館への通路と繋がっていた。
候爵が振り返った先、壁に沿うように控えていたメイドたちがロレティカをチラリと見て、候爵へと視線を戻す。
「こいつがロレティカだ。先に入浴を済ませろ。食事は我々と同じもので良いが、一緒に食べる気などない。部屋に運んで、一歩も外に出させるな」
「はい」
「そいつも一応、候爵家とあの女の血を引いた子だ。せいぜい王妃と王子の目を開く道具として役立って貰わないとな」
候爵の言葉にロレティカは俯いた。
引っかかりを覚えて思案する。
(フォロバトン候爵家は初代国王が誕生したときからある歴史的な家門だから王宮に行くのに特別な招待状などはいらないが。まるで母上も特別な家柄だと言っているようだ。平民の出で羨ましいと周りの女中が妬んでいたのに、矛盾していないか)
考えごとをしていたせいで、候爵が離れていくことに気付くのが遅れた。
騎士に抱かれたままメイドに連れていかれたのは、屋敷内にある大浴場だった。
長年、埃臭い地下の書斎に放置されていた身体が、丁寧に清められ、こびりついた汚れが落とされていく。
入浴を終えて立たされたのは鏡の前。ふんわりしたタオルで拭かれた。
鏡の中に映っていたのは、艶を帯び、金に近いクリーム色に輝く髪から水滴を落す幼い自身の姿だった。
入浴中に腰まであった髪はバッサリと切り落とされたのに、それでもまだくびれのあたりまで長さが残っている。
身体つきは貧相で骨張っており、まるで老人のようだが、蒼白い肌に長髪が重なると、その外見は少女のようにも見えた。
(母譲りの綺麗な外見。令嬢に言わせれば、見目だけは麗しいとか──。でも俺は男だからなぁ……)
令嬢のように跡継ぎを生むこともないのなら、こんな容姿は邪魔なだけだ。
何処に行くにも目立ってかなわない。
それでも金色に近い髪は先祖の何処かで王族の血が混ざった証でもある。
候爵家か、母方かは分からないけど、陛下との唯一の接点のように感じられて、大切な一部だった。
メイドにされるがままになっていると、シルクのなめらかなシャツを着せられた。ズボンも上質な衣で出来ていて、椅子に座るとヘアオイルを馴染ませてから梳かされる。
そうして出来上がったのは貴族の息子らしい少年だ。
「まぁ。悪くないわね」
「えぇ、前の奥様を見てみたかったわ」
「かなりの令嬢じゃない?」
そんな会話から、ここにいる五人の中の三人はまだ新米なことに気付けた。
あとの二人は手際が良くメイドとして有能だがおっかない顔で見つめてくるので、きっと母上を妬んでいた使用人の一人だろう。
睨まれて不愉快なので、あとで候爵に二人を返還しようと思った。
もう一度騎士に抱えられて、本館の端っこ、物置き部屋を子供部屋に変えたようなところへ案内されると、椅子におろされた。
そしてすぐに食事が運ばれて来て、テーブルにはパンと、野菜たっぷりの温かいスープに加えて、肉料理が添えられた。
地下暮らしの幽霊生活から一変、人間扱いの料理に目を輝かせてロレティカは子供らしくカトラリーを握りしめて食べはじめる。
(食べづらいけど、そんなことよりも冷めないうちにスープを食べないとな)
お腹からポカポカと温まるスープに笑みを浮かべると、パンにかじりつく。
「おいひぃ……」
死に戻ってきてやっとありつけた食事に、喜びで足がバタつく。
そんなロレティカを新米メイドの三人が微笑ましくみていて、口元についた食べカスを拭ってくれた。
前世は塞ぎがちで暗い子供だったからか、誰も見向きはしなかったけれど、候爵からの愛情をきっぱり諦めてからは何もかもが新鮮に思えた。
(今度こそ候爵家からの呪縛から逃げ出すんだ。僕はもう普通の子供とは違うんだから、きっと何か貴族社会から脱出する方法があるはずだ)
ロレティカはお腹いっぱいになるまで食べて、ベッドで食休みをする。
食器を片付けるメイドたちを見つめていると、うとうとしだして、そのうちに思考回路が途切れいた。
次に目を覚ましたのは、ベッドの中だった。
布団をかけられて眠っていたロレティカだったが、ふと外から聴こえてくる虫の音に目が覚める。
目を開けてすぐは違った天井に驚いたが、すぐに地上へ上がってきたことを思い出す。
「そう、だった……。やっとこべやに、うつったんだ」
何度目覚めても、こうして逆行してきた今に現実味が分からない。
これから二年。ロレティカには鬼のような作法と六芸の授業に追われることになる。
バレック殿下の影武者になる準備がはじまる。
(今世はこの教養で、レイリス殿下を王太子にしてやるんだ。替え玉の人形なんかにはならない。殺戮も犯さない。王位争いを平和に終わらせる)
きっとそれがファウスト陛下の望みだった。
今ならそう思う。
ロレティカはカーテンのない窓から星空を見上げて夜が明けるまでぼぅとしていた。
日が上った頃、メイドたちが現れる。
顔を洗うための水面器とタオル。それに洋服を持って現れると、支度をすまされて近くの広間に通された。
そこには勉強机と、ソファテーブルが設置されていて、嫌な記憶を蘇らせる家庭教師の面々が並んでいた。
メガネをかけたメイド長がロレティカを見下ろす。
「ロレティカ様、こちら旦那様がお呼びした教師の方たちです。挨拶を」
そう言うメイド長にロレティカは遠い目をする。
(昨日、地下から上がって来た子供に挨拶しろなんてバカなのか? オルガの延長だとでも思ってるのかコイツは──)
内心呆れながらも、ロレティカは口元を袖で隠しながら、首を傾げてメイド長に返した。
「あの……。かて、きょーしって、なぁに……?」
舌足らずでハッキリと喋れないのが歯がゆいけれど、伝わったはずだと信じて大人たちの反応を見守る。
叱り飛ばすと思っていたメイド長が言葉をつっかえたのを見て、対立しているわけでもないのに勝った気分になれた。
「それは、ですね……。コホン。ロレティカ様がこれから大人になるのに必要なことを教えてくれる人たちです」
「おとな……。ぼく、おとなに、なれるんだ……」
そう笑ってみせると、並んでいた四人の家庭教師の一人が前に出た。
短い赤髪におおよそ綺麗とは言えない装いをした男は、前世では剣術の先生としてロレティカをいたぶってきた、リーリック・バロセンだった。
ともだちにシェアしよう!

