18 / 20
第18話
ビークは家庭教師だ。世話役を任されているメイドや騎士とは違って、ロレティカが失敗していようと雇われているだけの家庭教師に損害はないのに。
(どうして、ビーク子爵は来てくれたんだろう)
優しさにまだ慣れなくて、不思議に思う。
確かに見直してもらうために提案書を見せたけど、真剣に聞いてくれただけでもロレティカにとっては新鮮な出来事だった。
それなのに、こうして駆け付けてくれるなんて思ってもみなかった。
ビークには好かれたくて何かをしたわけじゃない。自分のために授業を受けていただけだ。何がビークの心を突き動かしたのか、ロレティカには分からない。
今まで周りからは、出来ることが当たり前で、成功することが簡単みたいに、誰も気にかけてくれたことはなかった。
それがロレティカにとって当たり前だった。なのに確実に今世は一度歩んだ道を大きく外れていることを周りが教えてくれる。
「ありがとう。昨日の紙のことなら大丈夫、上手くいったよ」
そう伝えると、ビークは「そのようですね」と頷いた。
一階から二階へと案内されて既に大体は察していたのだろう。
扉のところで笑ったのも、安堵からきたようなものだった。
ソファに座るように促すと、ルカが紅茶を入れてくれる。
側にいた執事は広間から退出し、それぞれ仕事をしに離れて行った。
ルカとカナは授業中じゃないからか、壁に移動して静かに控えていた。
「昨日の夜に侯爵からこの部屋を与えて貰ってね。それで今度、オルガのパーティーにも出るように言われたんだ」
「オルガ様の──。そうですか……」
視線を外して思案する素振りを見せるビークだったけれど、直ぐに明るい声音で慰めてくれる。
「ロレティカ様がこんなに良い部屋に移られて良かったです。上手く交渉出来たようで心から安心しました。本当に良く頑張りましたね」
褒められて、ロレティカはおもはゆい気持ちになった。顔が熱くなって、俯いて、足を小さくバタバタさせる。
やっぱり褒められるのは嬉しい。
「こっちこそありがとう。ビーク子爵の助言がなかったらこんなに上手くいかなかったと思う」
「いえ、ロレティカ様ならその場で指摘されたとしても答えられていましたよ」
ずっと賞賛してくれるビークの言葉に、ロレティカは何て返せば良いのかわからなくなる。
出来て当たり前だと思っている人とは違う、まるで陛下のような人だ。
ただロレティカの実力を信じて、したいことを後押ししてくれる、そんな人。
こんなにも思ってくれる教師のことを、ロレティカは報いたいと思えた。
勢力争いなんかに巻き込みたくはない。
「本当に暖かい部屋ですね。授業中こんな快適な部屋で過ごせることを嬉しく思います」
ビークの素直な気持ちを聞けたことに、ロレティカはえへっとはにかんだ。
「良かった」
下手に意見すれば侯爵からどんな仕打ちを受けるのか分からない中で行動したものだから、本当に勇気がいるものだったけれど、こうして喜んでもらえて頑張った甲斐があるものだ。
「これからも色々と教えてね」
「はい。もちろんでございます」
姿勢を正して礼儀よくお辞儀をするビークに、ロレティカも軽く頭を下げる。
するとビークが紅茶を口に含んでから、カップを|受け皿《ソーサー》の上に置いた。
そして眼鏡のブリッジを上げて、目つきを変えて教師たる顔をする。
「これからは何を学びたいですか? 既にロレティカ様は計算も十分出来るようになっていると思いますが」
「これからは今の貴族社会について教えて欲しい」
「貴族ですか?」
「そう。オルガのパーティーに出るとなると、遠からず王宮や他の貴族との交流も増えるでしょ」
「そうですね。社交界の入口に立つことになるかと思います」
「なら、どんな領地や功績を持っているのか知っておいた方が良いと思うんだ。特に王妃の実家のこととか」
「やはり、ロレティカ様も察しておられるのですね」
不安気な表情を見せるビークに、ロレティカは確信した。
侯爵が弟のパーティーに出席させようとしている理由は、ロレティカを王妃に会わせるためだ。
そこで王子の遊び相手となる侍従として関係を持たせようとしている。
そうすれば侯爵は王族の後ろ盾を得られるし、ロレティカを縛り付けられるのだ。
「僕はね、ビーク子爵。大人の思惑通りに流されたくはないんだ」
「────とても大人びてる所があると思ってましたが、ロレティカ様は大人のように達観されていますね。知識量といい子供とは思えません」
「……でもまだ九歳になる子供だよ。僕は早く大人になりたいな」
部屋には執事はいない。
ルカとカナは元から信頼しているし、ビーク子爵もきっとロレティカにとって悪い人にはならないと確信を持てた。
何かあったとしたらきっと侯爵に弱みを握られているサインだと思える。
それくらいビークの行動には優しさがあった。
近い将来、ビークも安泰の就職先を紹介してあげないとと思う。それとも研究員にでもなるのだろうか。
そんなことをふと思ったりもしたけれど、今は考えている場合ではなくて、目前に控えた足掛かりに集中した。
「ロレティカ様は将来、何をなさりたいのですか?」
「今はまだ明確なことは言えないけれど……、とにかくこの家からは距離を取りたいかな」
「──それでは、私はロレティカ様に出来る限りの情勢を伝えられるように励みます」
「うん。先生、よろしくお願いします」
どうして前世の自分は信頼出来る家庭教師が側にいたことに気づけなかったのだろう。
(一生向けられない家族の愛情を頑なに欲しがって、バカみたいだ)
もう二度と家族のために生きたりなんかしない。
息子のように接してくれた陛下と、抱きしめてくれたサルク。そして、優しくしてくれる周りの人たちために出来る能力と時間を使いたい。
そして最小限の犠牲者だけで、これから起こるだろう後継者争いを終わらせてやる。
ロレティカはぎゅっと拳をつくると、ビークにこの後の予定を聞いた。
「授業まで時間があるけど、どうしますか?」
「そうですね……」
ふとビークがロレティカを見つめてきた。
何かを観察したのか、にっこりと笑って「今日の授業は見送らせてもらってもよろしいですか?」と聞いてきた。
聞かれて、目元を見られたのだと知る。
髪を整えてもらう時に鏡に映る自身の顔に薄っすらとだが、隈が出来ていたことを思い出す。
実際に寝不足で回らない思考回路で授業を受けるのは身体的にキツイものがあった。
気を利かせてくれたビークの気持ちも考えて、今日は授業を見送った方が良いだろう。
「うん。大丈夫だよ」
「では明日もこの時間に伺わせてもらいますね」
「今日は来てくれてありがとう」
「いえ、自力で欲しいものを掴むロレティカ様の勇姿には本当に感動しました。また何かあった時は何なりとお申し付けくださいね」
ルカとカナが扉を開けると、外には作業を終えたらしい執事二人と、お願い事で一人で動いてくれていたアルが既に廊下で待っていた。
「ロレティカ様」
名前を呼ばれて振り向くと、執事が伝言を頼まれていたらしく、端的に教えてくれた。
「ヨシュア伯爵夫人がお見えになったようです」
「では私はここで。見送りは大丈夫です」
「すみません。気をつけてお帰りください」
部屋の前でビーク子爵に挨拶をすると、今までのように騎士が付き添って、後ろ姿が見えなくなるまで見届けた。
戻って来る時にはヨシュアを連れて来るだろう。
使った茶器を一度片付けにルカがワゴンを引いていく。
「ロレティカ様、頼まれていたものは自室に置いておきましたのでご安心下さい。それと申し訳ございませんが、一度昼食を摂りに休ませて下さい」
「あぁ、そっか。大丈夫だよ。ゆっくり休んで」
「ありがとうございます」
二人の執事は既に休んだ後なのだろう。アルとルカ、カナの三人で食堂へ向かって離れて行った。
人手が増えるのは三人にとっていいことなのだろう。
今までは交代で昼食に入っていたので、今日からは楽しく休憩を過ごして欲しいと思った。
部屋に入ると、改めて二人の執事を見つめる。
やっぱり前世でも側にいた二人なのだろう。その印象は最悪はものだが。
ともだちにシェアしよう!

